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[不器用なメロディー]
若井side
午後3時を少し回った頃、放課後の教室には数名の生徒が残っているだけだった。
机に突っ伏して眠っていた俺は、携帯のバイブ音で目を覚ました。
メッセージの送り主は、いつも通り涼架だった
『まだ学校?職員室にいる?』
メッセージを読んだ俺は、返信せずに立ち上がった。
涼架は今、音楽室にいるはずだ。
彼女は音楽大学の進学を目指していて、放課後はいつも一人でピアノの練習をしている。
そのことを知っているのは、昔からずっとそばにいた自分だけだと、ひそかに得意に思っていた。
音楽室のドアを静かに開けると、涼架はやはりヘッドフォンをつけて熱心にピアノを弾いていた。
窓から差し込む夕日が、鍵盤の上を滑る彼女の指先を優しく照らしている。
俺は音を立てないようにそっと中に入り、一番後ろの席に座った。
しばらくの間、彼女の演奏を聴いていたが、涼架は全く気づかない。
いつの間にか、彼女の奏でる音に耳を傾けている自分がいることに気づき、少し照れくさくなった。
「なんだよ、涼架。下手くそじゃん」
つい、そんな言葉が口から出た。
涼架はびっくりしてヘッドフォンを外し、振り返った。
「うわっ、若井!なんでここにいるの!?」
「なんでって、俺の自由だろ」
「人の練習をこっそり見に来るなんて、気持ち悪いんだけど」
涼架はそう言って、再び鍵盤に向き直ろうとする。
若井はニヤニヤしながら、その隣に座った。
「いいじゃん、別に。お前こそ、俺に会いたかったんだろ」
「はぁ?なんでそうなるの?」
「だって、わざわざ俺に『職員室いる?』なんてメールしてくるんだからさ」
涼架は顔を赤くして、慌てて否定した。
「別に若井に会いたいわけじゃないし!ただ、先生に用事があったから、ついでに若井もいたらいいなーって思っただけだし!」
「ついで、ねぇ。そんなに俺が心配?」
「違うし!」
涼架はプイッと横を向いてしまう。
俺は、そんな彼女の反応が面白くて、つい笑ってしまった。
「ったく、素直じゃないな」
「それは若井もでしょ!」
涼架は鋭いツッコミを入れてきた。
俺は少しドキッとしたが、平然を装って冗談めかした。
「ま、いいけどさ。もうちょっと、俺を楽しませてくれよ。その下手くそなピアノで」
「だから、下手じゃないんだってば!
そもそも、若井に私のピアノの良さなんて、絶対わかんないし!」
「ふーん。じゃあ、聴かせてくれよ。お前のピアノがどれだけすごいのか、俺に教えてくれ」
若井はわざと涼架の顔に近づき、からかうような笑顔を見せる。
涼架はさらに顔を赤くして、プイッと再び横を向いた。
「もう知らない!若井のせいで、練習する気なくなっちゃった!」
「えー、それは困るな。俺のせいで、涼架が音楽大落ちたらどうしよう」
「落ちないし!私は大丈夫だから!」
涼架はそう言うと、再びヘッドフォンをつけようとする。
俺は、その手からヘッドフォンをひょいと取り上げた。
「ちょ、返してよ!」
「はい、どうぞ」
そう言って、涼架の頭にそっとヘッドフォンを乗せてやった。
「…自分でできるし」
「そうかよ」
若井はそう言うと、静かに後ろの席に戻った。
涼架は不満そうにしながらも、再びピアノを弾き始める。
若井は後ろから、その音を聴いていた。
心の中では、さっきとは違っていて、もっと優しい言葉をかけたいと思っていた。
『頑張れよ。お前のピアノ、俺は好きだよ』
そんなこと言えるわけもなく、俺はただ、彼女の演奏に耳を傾けていた。
もうすぐ、二人はそれぞれの道に進む。
この時間が、永遠に続けばいいのにと心の中でひそかに願っていた。
次回予告
[ふたつの道]
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