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(――痛くない、わ。どこも……)
煙を吸い込んだ喉も、炎に焼かれた体も、痛くも熱くもない。
まどろみのような時間から目を覚ました私は、ぐっと体を起こして周囲を見回した。
「……ここ、は?」
「ここは世界の深層――君らが言うところの、死後の世界というやつさ」
「っ――だ、誰!?」
真っ暗で、けれどどこか温かいような、懐かしいような不思議な空間。
そこに突如自分以外の声が聞こえて、私はビクッと体を強張らせた。
もしかして、兵士がここにいるのか――そう思ったが、声の主は姿を見せなかった。
「僕はね、君たちより少しだけ高い場所から世界を見ている者だ。上位存在って呼ばれたり、神って言われたり、役職は色々。だけど、本質はあんまり君たちと変わらない」
「か、神ですって……? っ――レイチェルを見放した神が、今更私に何の用かしら」
「おやおや、僕も嫌われたもんだね。聖女である君になら少しだけ干渉できるから、こうやって話してあげてるのに」
子どものようにも、老人のようにも聞こえる声だ。性別も男か女か、よくわからない。
けれど、相手が【神】を名乗るのならば、私だって文句の一つや二つ言ってやりたかった。
「残念だけど、もう神にかしずくのはやめたの」
「だろうね。……酷い有様だ。レイチェルのことも痛ましいと思っていたよ」
「ならどうして……!」
「僕が世界に介入するのは、あんまりよくないことだからね。――まぁ、そうも言っていられなくなったんだけどさ」
はぁ、と小さく息を吐いた上位存在とやらは、なんだか疲れ切っているみたいだった。
年齢も性別もわからない声だが、それだけは読み取ることができる。
「レイチェル・ド・ヴルスラート。君は――聖女でありながら、魔女と呼ばれて火刑に処された。理由は冤罪もいいところだ」
「やっぱり、お父様とお母様は何もしていないのね?」
「うん。レイチェルだって、本来ならこんなところで死ぬ運命じゃなかったんだけど……人間って、時々すっごい行動力に溢れたアホだよね」
暗がりの中で、呆れたような溜息が響く。
だが、私は正直どうでもよかった。神が何を嘆こうが、人がどれほど愚かであろうが、全てどうでもいい。
私にとって大切なのは、冤罪で家族の名誉が穢されたこと――優しい両親や妹が、悪意によって命を奪われたことだ。
「今回、人間たちは間違えてしまった。シオン、彼らは君を殺すべきじゃなかったんだ……おかげで大変だったんだから」
「大変?」
「そう。君の死をきっかけにして、大陸中で内乱が起こってね。おかげで色んな国が潰しあいして、大陸の文明レベルが下がるような事態に発展――流石にこれじゃまずいってことになってね」
「……その恨み言でも言いに来たの? 悪いけど、私には全く関係がないことよ」
死んだ後のことまで面倒見きれない――そう言うと、上位存在は確かにそうだと首肯した。
「ただ、君が冤罪で死んだっていうことが問題だった。だから、死ぬ前――いや、その運命が決定づけられる前に、時間を戻そうという話が出てね」
「……それは、あなたが決めたの?」
「僕たち、と言っておこうかな。世界の意志として決まったことを、僕が君に伝えているに過ぎない」
なんだか途方もなくスケールの大きな話だ。
とにかく、私が死んだことが原因で大変なことになり、上位存在と呼ばれる者たちが時間を巻き戻すことを決めた、というのだけは理解できた。
だが、だったら私はなぜここにいるのだろう。素朴な疑問を口にすると、彼――または彼女は、疲れ切った声で答えた。
「僕らとしてもさ、また同じような事になると困るんだよね。だから君にこのことを話して、未来の矛先を変えてもらおうかと思って」
「……それは、なにをすればいいの?」
「ごめん、具体的なことは何も言えないんだ。ただ、君が聖女として冤罪で死ぬという未来は避けてほしい――それ以外ならなにをしても構わないから」
ごめんね、と呟く声が、急速に遠ざかっていく。
体がグンッと浮上するような感覚と共に、上位存在がぽつりと一つ付け加えるのを、確かに私は聞いていた。
「あ、これ以上の干渉はできないから~! ごめんねシオン! あとは自分でなんとかして~!」
オイちょっと待て、と抗議の言葉を口にする前に、急速に意識が浮上する。
ひゅっ、と小さく喉が鳴った瞬間、私の意識はものの見事に覚醒した。
「っは……!」
「あぁっ、目が覚めたのですね、シオンお嬢様! 奥様! お嬢様がお目覚めになりました!」
――全身が汗だくだ。それと、物凄く関節が痛い。
目に涙を浮かべて母を呼びに行ったのは、この家に昔から使えてくれている乳母だ。
(ここ、は……ヴルスラート公爵邸……)
どうやら私は眠っていたらしい。ベッドの上で周囲を見回し、ついでに自分の手のひらをじっと眺める。
(……小さい)
指が短く、手のひらはふっくらとしていて肉付きがいい。
さっきのアレは夢かとも思ったが、乳母に呼ばれて部屋にやって来たお母様の様子を見て、私はようやく自分の状況を理解した。
(わ、若い――っていうことは、やっぱり時間が巻き戻ってる……。アレは夢じゃなかったのね……)
「シオン! あなた、高熱を出してずっと寝込んでいたのよ……! お医者様は今夜が峠だって言ってて……あぁ、本当に良かった……!」
「だ、大丈夫よ、お母様……それよりも、えっと――喉が渇いてしまって」
「すぐに冷たい水を用意して! あぁ、そうね。汗もかいているから着替えをしなくちゃ……」
涙を流しながらよかったよかったと私を抱きしめてくれる母のぬくもりに、胸がぎゅっと締めつけられた。
――優しい人だ。昔から、お母様は私たち姉妹に惜しみない愛情を注いでくれた。そんなお母様が冤罪で殺されるだなんて、そんな未来は信じたくない。
「ねぇお母様、レイチェルは?」
「風邪が移ったらいけないから、離れにいるわ。大丈夫、元気になったらまた一緒に遊べるわよ」
今晩は一緒に眠ろう――そう言ってくれた母の腕に抱きしめられながら、私は心の底から安堵した。
大丈夫。レイチェルも両親も、みんな生きている。
……神を名乗る上位存在に言われた通りにするのは癪だった。神の名のもとに尊厳を奪われたのだから当たり前だ。
それでも、大切な人たちの命を守るためには、未来を変えなければならない。
(要は、私が聖女になって死ぬ未来を変えればいいのよね? それなら――)
それならば、いい考えがある。
レイチェルに危険が及ばないようにしながら、未来を絶対的に変える一手。
久々に母の柔らかい腕の中で眠りながら、私はこれから自分がするべきことを胸に刻んだのだった。