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<前回までのあらすじ>
若井が疲労で倒れ、一晩元貴と過ごした藤澤は、二人が共依存関係だと気づく。
藤澤は、何とかして友だちである若井の目を覚まさせるため、作戦を立てようとしていた。
(更新遅くなってすみません…)
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数日が経過した。
夜の22時。藤澤の自室は、デスクライトの青白い光に包まれた静寂に包まれている。耳に押し込まれたイヤホンからは、雨音を加工したような穏やかな音が流れ、思考の輪郭をぼんやりと撫でていた。
カタカタと乾いたキーボードの打鍵音だけが、深夜の停滞した空気を僅かに震わせる。
締切が迫った大学のレポート。無機質な文字の羅列を眺めながら、意識の底には、あの日見た病室での会話が消えない染みのようにこびりついていた。
その時、デスクの隅に置かれたスマートフォンが、短く震えた。
重苦しい思考を断ち切るように、画面が冷たく光る。無意識に息を止め、端末を手に取った。通知欄に踊る「若井」の二文字を見た瞬間、心臓が大きく跳ねた。
イヤホンを乱暴に外す。静寂が鼓膜に押し寄せたが、今はそれどころではなかった。
画面を凝視する。内容は、一晩元貴の面倒を見たことへの礼をしたいとのこと。さらに読み進めていくと、あの日、病室でとった態度への謝罪が飾り気のない言葉で綴られていた。
『あの時は、ついムキになって強く言いすぎた。本当にごめん』
唇から、ふっと熱い吐息が漏れた。
てっきり、あの拒絶が最後通牒だと思っていた。
(……こういうとこだよなぁ)
この愚直なまでの誠実さ。
この数年間、衝突することも、価値観の相違に苛立つこともあった。それでも今日まで友人としてやってこれたのは、こうしてどちらからともなく歩み寄ってこれたからだ。
どれほど激しく感情を爆発させても、熱が冷めれば対話のテーブルに戻ってきてくれる。自分が指摘したことは、若井にとって最も触れてほしくないものだったはずだ。それなのに、彼はそれを晒したまま、再びこちらに手を伸ばしてきてくれた。
無意識のうちに口角が上がっている自分に気づく。
もちろん、元貴から若井を引き離すための足がかりが得られたという戦略的な喜びもあった。だが、それよりもずっと深い場所で、かけがえのない友を失わずに済んだという、泥臭い安堵感が胸を満たしていた。
(現金なもんだな、俺も……)
自嘲気味に呟きながら、浮き立つ気持ちを抑え、返信の文面を練り始めた。
約束の日、街角をなでる風はどこか浮き足立った湿り気を帯びていた。
若井が指定したのは、かなり評判の良い、値の張る焼肉店だった。学生が騒ぐチェーン店とは一線を画す、落ち着いた佇まいの店。そこで奢るという申し出に、彼なりの償いの重さが透けて見える。
待ち合わせの角に辿り着くと、その姿はすぐに目に留まった。
少し所在なげに立っているその背中は、病室で見たときよりも心なしか力強さを取り戻している。けれど目が合った瞬間、若井の表情には隠しきれない気恥ずかしさが滲んだ。
「……お待たせ」
「……おう」
自分もまた似たような、しまりのない顔をしていたはずだ。
数日前、あんなに激しく口論をしたのが嘘のように、二人の間には妙にぎこちない沈黙が流れた。まるでお見合いの席で、初対面の相手を前にした時のような距離感。
一秒、二秒。
アスファルトの上で、互いの視線が微かに泳ぐ。
「……」
「……ふふっ」
どちらからともなく、喉の奥から乾いた笑いがこぼれた。それは、気まずさを無理やり引き剥がすような和解の合図だった。
「行こうぜ。予約してるから」
若井が、いつもの明るい調子を取り戻して言った。その声には、もうこちらを排除しようとする冷たさは欠片も残っていない。
「そうだね。腹減ったー」
そう笑って頷き、若井の少し後ろを歩き出した。
店へと向かう道すがら、二人の影が街灯に引き伸ばされては重なっていく。
自分と目を合わせ、以前と変わらぬ友人の顔をしている彼。その事実に胸の奥が温かくなるのを感じながら、同時に後ろめたくもなった。
(……ごめんな、若井。俺はまだ諦めてないから)
店内に足を踏み入れると、炭火の香ばしい匂いと、低く流れるジャズの調べが二人を迎え入れた。
案内されたのは、程よく視線を遮る格子のついた半個室の席だった。
前を歩く若井の背中を見つめながら、ポケットの中で静かに拳を握りしめた。手のひらにじっとりと脂汗が滲む。嫌でも、自分が極度の緊張状態にあるのがわかった。
今日この日が来るまで、頭の中で幾度となくシミュレーションを繰り返してきた。手元にある手札の中から、まずは最も穏健で、かつ確実なプランAから着手するつもりだ。
(……なんか俺スパイみたい…)
自嘲気味にそう思う。だが、これは遊びではない。この数時間の食事で若井を完全に説得できるほど、事態が単純ではないことは百も承知だ。
ゆっくりと、外堀から一段ずつ着実に埋めていく。
その長期戦において、今日という一日は極めて重要な布石になる。
若井は今、目の前でメニューを見ているが、まさかこの期に及んでまた説教をされるとは微塵も思っていないだろう。若井は、あの日の拒絶から、 もう二度と二人の世界に踏み込まれないという確信を得ているはずだ。
何より、若井は知っている。藤澤が、自分に対して強く出きれない性格であることを。その信頼を、あるいは慢心を利用させてもらう。
ここから先は、薄氷の上を歩くような、あるいは地雷原を指先で探るような、極限の慎重さが求められる。
(理想を言えば……)
網の上で脂の弾ける音がした。若井が楽しそうに肉を並べている。
(……説得されていると気づかないまま、若井自身の意思で、あの場所から離れてもらうのが一番なんだけど…)
それが唯一、若井という人間を壊さずに、元貴という沼から引き摺り出す方法だと考えていた。
「……タンからでいい?」
そう言って屈託のない笑顔でトングを向けてくる。その瞳を真っ向から見返し、無理のない、いつもの穏やかな笑みで頷き返した。
網の上で、分厚いタンが熱に悶えるように縮み、食欲をそそる脂の爆ぜる音がパチパチと弾ける。
目の前の若井が言葉を選びあぐねているのを肌で感じ取れる。沈黙が長引けば、それだけあの日の影が濃くなる。
先手を取るべきなのは自分の方だ。
「……ありがとね。わざわざお礼なんて、気にしなくて良かったのに」
肉をトングで無造作にひっくり返しながら、努めて静かな、日常の延長線上にある声で呟いた。
若井がふっと顔を上げ、網の向こう側で小さく首を振った。
「ううん。本当に世話になったし。それに…」
一度言葉を切り、手元の箸を見つめるようにして、絞り出すような声で続けた。
「……本当に、ごめん。あんな言い方、しすぎた。自分でもどうかしてたと思う」
若井の瞳を正面から見つめる。
そこには、後悔と怯えが混ざり合っていた。
あえてすぐには答えず、視線を再び赤く燃えるグリルへと移す。
肉から立ち上る煙が、二人の間に不透明な境界線を作る。
「……」
この沈黙さえも、計画の一部だ。
「許された」という安堵を安易に与えない。同時に、怒っているわけではないという空気も醸し出す。
(お前は、自分がどうかしてたって言うけどさ……)
肉を皿に運びながら、思考を巡らせる。
若井が謝っているのは「言い方」であって、「元貴との関係」そのものではない。彼はまだ、あの異常な共依存を正当化したままだ。
「いいよ、もう。俺も、ちょっとお節介が過ぎたかなって反省してるし」
そう言ってわざと少しだけ自嘲気味に笑ってみせた。
若井の表情が、目に見えて緩む。
自分が引いた不可侵の境界線を理解してくれた――。
若井がそう誤認した瞬間、彼の防衛本能は、ほんの数センチだけその分厚い壁を下ろした。
「……食べて。冷めると固くなるよ」
そう言って促すように若井の皿に肉を置いた。
食事が進むにつれて、若井の強張っていた肩の線が目に見えて緩んでいった。グラスに注がれたビールが半分を過ぎ、二杯目、三杯目と進む頃には、彼の頬には微かな赤みが差し始めている。
自分のグラスを弄びながら、網の向こう側の親友を観察する。
若井の視線が、時折手元のスマートフォンへ泳ぐ。通知を確認するその一瞬、彼の眉間に宿る深い依存の影。それは、ここにいない元貴という存在が、今この瞬間も彼の精神を支配し続けている証拠だった。
(……酒が入って、ガードが甘くなってきたな)
昔の馬鹿話に声を上げて笑い、ようやく二人の間に戻った日常の感触を、心底から楽しんでいるように見える。
自分を否定しない、理解ある友人。
若井が今、最も求めている無害な人間を完璧に演じきる。
喉の奥にせり上がってくる緊張を酒と一緒に胃の底へ押し流す。
掌が熱い。心臓の鼓動が耳の奥で早鐘を打つ。ここからが、プランAの核心だ。これを世間話のトーンで、いかに自然に、かつ抗いようのない必然性を持って打ち込めるか。
若井が網の端に肉を寄せ、ふう、と満足げな息を吐いた。
その、一瞬の空白を逃さない。
そっと箸を置き、グラスの縁を指でなぞりながら、ごく自然な思いつきのような声音を作った。
一拍。
肺に溜まった熱を、静かに言葉へと変えた。
「……なあ、若井。一つ相談っていうか、お願いがあるんだけど」
「ん? なに?」
疑いを知らない澄んだ瞳がこちらを向く。
藤澤は、今日一番の穏やかな微笑を浮かべ、勝負のカードを静かにテーブルへ置いた。
「……元貴くんと連絡先繋ぎたいんだけど、だめかな」
コメント
10件
何だか緊張が伝わる回でしたね。藤澤さん、何を考えてるの?優しい若井さん、大森さんもどんな関係性になっちゃうんでしょうね!次回も楽しみです

お久しぶりです! 涼ちゃんに頑張ってほしいけど、失敗して欲しい気持ちもある…。失敗したら、若井との関係はどうなるんだろ…めっちゃ楽しみです!
久しぶりーーー❗️ 連絡先繋いでどーすんのかな? 楽しみ🪐