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#ブラフラ
なみゃ
20
skbn
11
て ぃ あ ら 。
2,081
8
思考の森を出た私は、自宅のソファで目を覚ました。瞼の裏に残る森の湿った空気を振り払うように身を起こすと、視界はぼやけたままだった。
「……っ。」
癖になってしまったのだろう。私は何も見えないまま、テーブルの上やソファの隙間へ手を伸ばすが指先が空を切る。
「はい。」
柔らかな声とともに、小さな温もりが掌へ重ねられた。
髪ゴムと眼鏡。
私は礼を言う代わりにそれらを身につけ、ようやく彼女の顔を見る。
「……神崎先生。」
彼女は困ったように笑う。
「今は作先生なんですね…。」
その言い方にも、もう慣れてしまった。
「体調は大丈夫ですか?」
「問題ありません。」
即答をして、私はクローゼットへ向かった。
背中越しにも、彼女がまだこちらを見ている気配だけは伝わってくる。
それでも振り返らなかった。振り返れば、また期待してしまうから。
あの笑顔が向けられているのは、私ではない。彼女が待ち続けているのは、
いつだって──朔なのだから。
私は嫉妬という感情を知らない。
恋をしたことがないからだろうか。
誰かを想って胸が締めつけられる苦しさも、その人が誰かの隣で笑うだけで心が壊れそうになる痛みも、私にはまだ遠い世界の話だった。
恋とは何なのだろう。
人はそれを幸福だと呼び、同時に呪いだとも言う。誰かを救い、誰かを壊し、たった一つの言葉で天国にも地獄にも変えてしまう。
私には、その形がどうしてもわからない。だから私は、恋を少しだけ恐れていた。
ネクタイを首元へ添え、ゆっくりと結び目を整えようとした、そのときだった。
『時間を無駄にするんじゃない!』
乾いた怒声が、不意に耳の奥で弾けた。
『そんなものはやめなさい!』
指先から力が抜け、結びかけたネクタイが胸元へ落ちて揺れた。
―違う。
もう聞こえるはずがない。あの人はもうこの世にはいない。
誰よりも恐れ、誰よりも逆らえなかったその人は、もう二度と私を縛ることはできない。
そう理解している。理解しているのに。
首へ布が触れるだけで、息が詰まる。
締め上げられているのはネクタイではない。
幼い頃から首に掛けられ続けた、目には見えない首輪だった。
愛という名前で与えられたそれは、私を守るものではなく、自由を奪うためだけに存在していた。
勉強。
成績。
将来。
期待。
そのどれにも逆らえず、私は「私」であることよりも、「期待に応える誰か」であることを選び続けてきた。
だから今でも、あの声は消えてくれない。静かな朝ほど、鮮明によみがえる。
私はゆっくりと目を閉じ、小さく息を吐いた。
胸の奥に沈殿した記憶を押し流すようにもう一度ネクタイを締め直す。
鏡の中には、いつも通りの私がいた。何事もなかったような顔をした、誰にも心を読ませない精神科医。
リビングへ向かうと、朝の柔らかな陽射しが窓から差し込み、静かな食卓を淡く照らしていた。
その温もりとは裏腹に、私の口から零れたのは、感情を削ぎ落とした事務的な言葉だった。
「今日は海外大学との合同公開手術研修があります。帰宅は遅くなります。」
それだけ。必要なことだけを伝えれば十分だった。
その短い一言は、温かな朝の空気を静かに切り裂いていく。
向かいにいた彼女の肩が、ほんのわずかに震えた。驚いたのか。
それとも、私の冷たさに慣れながらも、まだ傷ついてしまうのか。彼女は何も言わなかった。
ただ、小さく微笑み、「わかりました」とだけ答える。
その笑顔は春の日差しのように優しかった。
だからこそ、私は視線を合わせることができなかった。
優しさというものは、ときに責められるよりも苦しい。愛されることを知らずに育った人間は、差し伸べられた温もりの受け取り方すら、知らないのだから。
コメント
1件
**はる。だわ。** 第11話、めっちゃ刺さった……。「見えない首輪」って表現、ズルいわ。ネクタイ締めるだけで息が詰まるって感覚、愛って名の支配をリアルに描いてて鳥肌立った。神崎先生の優しさにすら戸惑う主人公の心情、切なすぎる。続きが気になる🔥