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すちは小さく震えるみことの体を抱き直した。肩越しに伝わる呼吸はまだ乱れており、胸元の布がかすかに湿っている。涙と汗が入り混じった顔は赤く、必死にしがみつく両手は制服の布を皺になるほど握り締めていた。
「……こわい……かえ る……おうち、かえりたい……」
か細い声が喉の奥から洩れる。
すちはみことの髪を撫で、優しく耳元に囁いた。
「俺と一緒に帰ろうね」
落ち着かせるように背中をさすりながら、どう荷物を取りに行くかを考える。
教室に置きっぱなしでは、帰るにも困る。
「……ちょっとだけ待ってて。荷物、取ってくるから」
そう問いかけると、みことは首を横に振り、すちの胸元にさらに顔を押し付けてきた。
「…やだ……置いていかないで……」
涙で濡れた睫毛が頬に張り付いている。
すちは小さく息を吐き、困ったように笑った。
「じゃあ、一緒に取りに行こうか?」
再度提案してみるが、返ってきたのは即座の拒否。
「……いや……」
その声は震えていて、全身から拒絶の意思が伝わってくる。
(……完全に俺から離れるのが怖いんだな……)
すちは心の中で思いながら、次の手を考える。らんに連絡を頼むか、それとも……と頭を巡らせていた時、突然「ガラッ」と教室の扉が開いた。
思わず視線を向けると、そこに立っていたのは先ほど助けを呼んでくれたクラスメイトだった。少し汗をかいた額に手を当て、安堵の笑みを浮かべている。
「奏先輩……! これ……みことくんと、奏先輩の荷物……」
両腕に抱えた鞄を差し出す姿に、すちは胸がじんわり熱くなった。
「……ありがとう。本当に助かった」
深く頭を下げて荷物を受け取る。腕の中のみことは、依然として強くすちにしがみついていたが、クラスメイトの声に少しだけ肩の力が緩んだように見えた。
すちはその微かな変化を感じ取り、みことの耳元に囁く。
「もう大丈夫。すぐに帰ろう」
その言葉に、みことはぎゅっと目を閉じて、小さく「……うん……」と返事をした。
すちは腕の中で怯え続けるみことを見つめ、ゆっくりと自分の制服の上着を脱いだ。
「……これ、被ってて。顔、隠してなよ」
そう言ってみことの頭にふわりと掛ける。布越しに伝わるすちの体温と、彼の香りが微かに混じった洗剤の匂いがみことを包んだ。
「俺がいるから大丈夫。……静かに出ようね」
安心させるように囁き、すちはみことを抱き上げた。
みことは言われた通り、上着を頭から深くかぶり、ぎゅっと顔を隠した。周囲から視線を遮られることで少し心が安らぐ。
それでも胸の奥では、さっき蘇った忌まわしい記憶がじくじくと疼き、呼吸とともに涙が止めどなく溢れてくる。
「……っ……ひっ……」
嗚咽を漏らしながら、みことはすちの首に細い腕を回し、肩に額を擦り付ける。涙が後から後から頬を伝い、すちの制服の布地を濡らしていった。
すちはその重さをしっかりと受け止め、何も言わずに抱き締め直す。廊下を歩き出す足取りは穏やかで、急がない。それは「君を置いていかない、慌てさせない」という意思表示のようだった。
みことは震えながらも、そのぬくもりと優しい歩調に守られる感覚を覚えた。
すちの腕の中で、みことの涙は尽きることを知らないかのように流れ続けた。
歩道の雑踏や自転車のベルの音が遠くに霞む中、みことの嗚咽だけが静かに大きく聞こえる。顔を上着で覆っているため外からはよく見えないが、布地越しに伝わる震えから、心の奥底まで揺さぶられているのがすちにもはっきり伝わった。
「…ごめん……なさい……めいわく、かけて……」
かすれた声が、ふと漏れる。すちの首にしがみついたまま、力なく絞り出すように謝る。
すちはその言葉を軽く否定するように頭を振り、柔らかく笑ったような声で答える。
「迷惑なんかじゃないよ。頼ってくれて嬉しい。俺は、こうして一緒にいられるだけでも嬉しいよ」
その声に、みことは一度ぎゅっと肩をすくめ、わずかに返事をする代わりに腕の力を強めた。しがみつく力はさっきより確かなものになっていた。
行き交う人々は二人のことをちらりと見るが、すちは気にも留めずゆっくり歩を進める。歩道のわきに咲く小さな花の色や、遠くから聞こえるざわめきが日常の音として戻ってくる。そんな些細な風景が、みことの揺れた呼吸を少しずつ整えていく。
「ほら、深く吸って。ゆっくり吐いて」
すちは短く、でも繰り返し易しい指示を出す。みことはそのリズムに合わせるように肩を上下させ、徐々に呼吸が落ち着いていった。涙はまだ止まらないが、すすり泣きは次第に小さくなっていった。
ほどなくして家の前に差し掛かると、すちは軽く息を吐き、みことの頭を自分の胸に押し当てるようにして歩いた。家の玄関の前で立ち止まり、そっと上着を広げてみことの肩に優しくかける。布地にはすちの体温とわずかな洗剤の香りが残り、みことはそれに触れて深く安心した表情を浮かべた。
「さ、入ろう。ゆっくり休もうね」
すちはそう言って、みことを抱えたまま家の中へ静かに連れ込んだ。廊下の照明が柔らかく二人を包み、みことはまだ涙をぬぐいながらも、すちの胸に顔を埋めたまま少しだけ力を抜いた。