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自室に入ると、静かな空間に二人だけの気配が広がった。
すちは床に腰を下ろし、膝の上に座らせるようにしてみことを抱え直した。
ふわりと掛けていた上着を取ると、露わになったみことの顔は泣きはらした赤さを帯びていて、瞳はうるんだまま充血していた。
頬には乾ききらない涙の跡が残り、弱々しい呼吸とともにその胸が小さく上下している。
ゆっくり瞬きを繰り返しながら、みことは視線を上げ、正面にいるすちを見つめた。心細さを隠そうとしないまま、その眼差しは必死に安らぎを求めているようだった。
「……みこと」
すちは穏やかに声をかけ、微笑んだ。
大丈夫だという言葉を口にする代わりに、そっとその頬に唇を触れさせる。温もりを含んだ短い口付けを終えると、次は額に。しっとりとした感触を残し、さらに目元にも順に口付けを落とした。
みことは瞼を震わせ、閉じかけてはまた開き、すちの顔を追い続けた。触れるたびに強ばっていた体の力が少しずつ解け、頬にほんのりと安堵の色が戻っていく。
「おまじない、ね。ちゃんと効いてる?」
すちは冗談めかしてそう囁き、指でみことの涙の跡をそっと拭った。
みことはただ頬を寄せるようにすちの胸へ顔を擦り付け、小さく「ん」と声を漏らした。その仕草は言葉以上に「効いてる」と伝えていた。
すちは抱き寄せたまま、みことの震えが次第に落ち着いていくのを腕の中で感じ取った。
「もう学校行きたくない…」
ぽつりとこぼれた声は、弱音というよりも切実な叫びに近かった。
「……どうして?」
すちは急かさず、あくまで優しく問いかける。その声音には責めも否定もなく、ただ知りたいという誠実さだけが滲んでいた。
みことはしばらく唇を噛み、言葉を紡ぐのをためらっていた。肩は小刻みに揺れ、視線はすちの胸元から動かない。やがて、堰を切るように低い声で答えが落ちてきた。
「……新しく来た先生、あの人……俺の親戚で……」
喉を詰まらせるように一度言葉を切り、拳をぎゅっと握り締める。
「俺に、暴力振るったり……いるまくんに……ひどいこと、した人……」
絞り出す声は震えていて、思い出したくもない記憶を無理やり掘り起こしているのが分かる。
「教室で顔見た瞬間、頭真っ白になって……呼吸もできなくなって……」
そこまで言うと、みことはもう声を震わせながらすちに縋り付いた。
すちは強くは抱きしめず、あくまでそっと包み込むように腕を回し、背を撫でた。
「……そっか。言ってくれてありがとう」
すちは静かに言葉を置き、みことの頭に口付けを落とした。
みことの胸の奥に渦巻いていた恐怖はすぐには消えない。けれど、すちの声と温もりが「守ってくれる」と確かに感じた。
みことの体はまだ震えを残していたが、泣き疲れたのか、やがてゆっくりと瞼が落ちていった。
すちは膝に頭を預けて眠りについたみことの表情を見つめる。浅く荒かった呼吸も少しずつ落ち着いていき、涙の跡だけが頬に残っていた。
その幼い寝顔に胸を締め付けられる思いで、すちはそっと髪を撫でた。
――このまま何もなかったことにしてはいけない。あんな人間が教師として学校にいるなんて、絶対に許せない。
すちはスマホを手に取り、まずは出張中の両親へ連絡を入れる。
「すぐに伝えたいことがある。学校に新任で来た教師が、みことやいるまを傷つけた親戚だったみたいでみことが怯えている」
声は抑えていたが、内心は怒りで震えていた。両親も驚きと動揺を隠せず、すぐに帰れるよう調整する、と答えた。
次に、らんとこさめに「みことを連れて早退した」とメッセージを送った。
理由までは書かなかったが、らんなら分かってくれるだろう。
スマホを置き、再びみことに視線を戻す。
小さな寝息とともに、微かに「すち兄ちゃ……」と夢の中で呟く声が耳に届いた。
すちはその声に胸が熱くなり、みことの頬にそっと触れる。
「大丈夫。どんな手を使っても守るから…」
そう誓うように小さく囁き、眠るみことの隣で静かに見守り続けた。