そのまま帰る気にもならず……と言っても実家に帰ることだけど。
酒でも飲みに行くかと佐々木に電話をかけた。
「よぉ!久しぶりだな」
『あ、なんだよ、雅史か』
「なんだはないだろ?どうだ、新婚生活は」
_____授かり婚が舞花のせいではなかったらしいが、それでもそろそろありきたりな生活に飽きてきてる頃だろう
『あー、楽しいな』
「え?」
『自分の子どもって、可愛いんだなぁ。そうそう、先週生まれたんだよ、予定よりちょっと早かったけどな。見に来てくれよ、うちのお姫様、可愛いぞ!』
弾んだ佐々木の声の向こうから、赤ちゃんの泣き声が聞こえてきた。
「そうか、生まれたのか、おめでとう」
『おう、ありがとう。もうさ、やっとお風呂?沐浴ってやつ?やらせてもらえるようになってさ。今からミルクのあげかたも練習するとこだよ』
嬉々とした佐々木の声に、何を話すんだったか忘れそうになる。
「へぇ、それはすごいな。立派なイクメンになりそうだな」
嫌味でもなく、心底そう思った。
_____俺は沐浴なんてしたことない
『そんなことより何か用か?』
「いや、暇だったら飲みに行かないか?と思ってさ。でも忙しそうだな」
『悪い、もう多分ずーっと忙しいよ、俺は。姫のためなら仕事もめいっぱいやらないといけないしな。当分、酒なんて飲みに行けそうもないよ』
「あぁ、わかった。じゃ」
『またな。あ、杏奈さんによろしく。舞花が色々と相談に乗ってもらってるみたいだから。そこらのママ友より杏奈さんの方が信頼できるってさ』
「あ、うん、伝えとくよ」
そこで電話を切った。
_____なんだ?なんで佐々木はあんなにも楽しそうなんだ?
杏奈もそこに加わっていたとは。
俺の予想とは全く反対の佐々木の状況に、自分だけが取り残されたような感覚になる。
ひとまず酒でも飲んで落ち着こうと、居酒屋に入った。
焼き鳥や枝豆と、生ビールの大ジョッキを注文する。
まだ客の入りも少ない時間だから、厨房の様子まで見える。
「何度言えばわかるんだ!そうじゃない、ジョッキはこうやって……」
まだ不慣れなアルバイト店員だろうか?
店長らしき人が、苛立った様子であれこれと指導している。
それにしても、こっちには関係ない怒号でも聞こえてくるといたたまれない気持ちになる。
_____俺もどこかの店長になると、またあんな感じになるんだなぁ
エリアマネージャーという役職が性に合っていたからか、また現場での仕事に戻ることが億劫でならない。
_____でも転職は無理そうだし
この日は何杯飲んでも、楽しい気分にはなれなかった。
夜遅くまで飲んで、終電で家に帰った。
ダイニングの灯りはまだ消えておらず、親父かお袋が起きているのかと思ったら、気が重い。
また説教か愚痴を聞かされるかもしれない。
「……ただいま」
「おかえり、遅かったな」
酎ハイのグラスを片付けながら俺を出迎えたのは、親父だった。
「えっと、たまたま友達と会ったからさ」
「また女じゃないだろうな?」
「違うよ、誰でもいいだろ?そんなことより!」
カチンときて、声を荒げてしまう。
「お前のそういうところは、昔から変わらないな。大事な話になっても自分に都合が悪いと話を変えてしまう……」
「あー、もうっ、1人だよ、1人で飲んできたんだよ。そんなことより、お袋は?」
「なんだ?」
俺と会話しながらも慣れた手つきでグラスを洗い、残ったおつまみもラップをして冷蔵庫に入れている。
「親父、今までそんなこと一切やらなかっただろ?家事というか」
「俺は俺の好きなことをやることにしたからな、自分のことはできるだけ自分でやるよ。母さんの時間を奪うこともあるまい。もう俺も母さんも明日何があってもおかしくない歳なんだからな」
タオルで濡れた手を拭きながら、俺を見た親父の目線は、俺よりだいぶ下になっていた。
_____あれ!親父、こんなに小さかったっけ?
「そんなことより、どうするんだ?杏奈さんと圭太のことは。話し合いはしたのか?」
「………話すよ、そのうち」
「そのうちじゃダメだ、できるだけ早い方がいい」
「なんだよ、親父は俺たちが離婚する方がいいのか?圭太に会えなくなるんだぞ?」
「そんなことはないだろう、杏奈さんのことだから孫としての圭太は、ちゃんと認めてくれるさ。問題は杏奈さんとお前との関係だ。顔を見るのも嫌だとしたら、そんな生活は苦痛でしかないぞ。早くけりをつけてやることが、優しさだろ?」
「………」
わかっているけど仕事が、とは言えない。
「それとも、誠心誠意謝罪して、元鞘《もとさや》なんて考えてるのか?」
「いや、それは……」
「だよな?そんな虫のいい話はない。ごめんなさいって謝って済む問題じゃない」
_____まだ謝ってもいなかったなんて、言えないな
「まぁ、俺なりに考えてるから。もう寝るわ」
まだ何か言いたそうにしていた親父を無視して、さっさと部屋に引っ込んだ。
離婚、仕事、一度に降りかかってきた問題に、何の解決法も見つからず、グダグダ過ごしてしまい、支店長になるかどうかの返事を忘れていた。
結果、今いる実家より少し離れた店舗の厨房の責任者という、一番わりに合わない仕事になってしまった。
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