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「急いで消さないと、このままじゃ……」
備え付けられていた水差しをひっくり返し、シトリンが炎へ水をかける。
しかし、それはカーテンの一部を濡らしたに過ぎず、火はめらめらと天井を目指した。
「火から離れて! もう私たちの背丈を越したわ。こうなると炎は、簡単には消せないの」
ファビオラはシトリンの腕を引き、火元から遠ざける。
そして部屋の構造を確かめた。
「窓を開けてみましょう。そこから外へ、出られるかもしれないわ」
ここは二階だが、運が良ければ、下へ降りられる。
ファビオラはまだ燃えていないカーテンを力任せに引き剥ぎ、それを持って掃き出し窓からバルコニーへと向かった。
少し手すりは高いが、乗り越えられなくもない。
「『朱金の少年少女探偵団』なら、ここでオーズが七つ道具のうちの一つ、縄梯子を取り出すシーンだけど……ああ、思っていたより地面が遠いわね」
ファビオラの手の中にあるのは、長いカーテンのみ。
これをロープのようにして、脱出できるだろうか。
「でも、やるしかないわ! シトリンさん、カーテンに結び目をつくりましょう。降りるときの足掛かりになるわ」
「こ、ここから、降りるんですか? わ、私、あまり運動は、得意ではなくて……」
想像しただけで、シトリンが震えだしてしまった。
ファビオラは自分たちが少年少女ではなく、令嬢であるのを思い出す。
「そうね、冷静に考えたら無理ね。日頃から、そんなことをし慣れている訳でもないのだから」
ファビオラはカーテンをロープにするのを諦めた。
閉めた窓ガラス越しに部屋の中を確認すると、すでに炎はソファや壁紙を焼いている。
窓枠の隙間からは、黒々とした煙がもれ始めた。
「私たち以外、誰も異常に気づいていないのかしら。このままだと延焼して、大勢が逃げ遅れてしまうわ」
ファビオラは、どうして自分が火事に気がついたのか思い出す。
最初は匂いがきっかけだった。
「この焦げ臭い匂いを、どうにかして届けられないかしら」
「それは、パーティ会場に、ですか?」
「火が爆ぜる音は、楽団の奏でる曲にかき消されてしまうし、黒煙は天に昇って、夜闇へ混ざってしまうでしょう? でも匂いなら……」
「だったらこのカーテンを、扇のように使ってみるのはどうでしょうか?」
シトリンが提案する。
「端っこを持ってバサバサと動かせば、風が起きると思うんです」
「名案だわ! やってみましょう!」
ファビオラたちはバルコニーの端に寄り、煙を吸わないように気をつけながら、カーテンを大きくはためかせた。
ばふっばふっ、という音と共に、煤けた煙が横に流れていく。
窓の近くまで火が迫ってきて、肌でその熱を感じ始めた頃、ようやく誰かが「火事だ!」と叫んだ。
それからは、屋敷中が大騒ぎになった。
最初にバルコニー下へ駆け付けたのは、シトリンの婚約者だ。
火元である休憩室に、シトリンがいると知っていたからこそ、真っ先にここを目指して走ったのだろう。
「シトリン! 無事か!?」
「セブリアン、ここよ! ファビオラさんと、バルコニーに取り残されているの!」
シトリンが手すりから身を乗り出し、声を上げる。
セブリアンと呼ばれた男性は、砂色の髪に茶色の瞳で、全体的に柔らかい色合いをしていた。
釣書に添えられたセブリアンの肖像画を見て、シトリンが優しそうだったと評したのも頷ける。
「すぐに助ける! なるべく窓から離れて、煙を吸わないようにしゃがんで!」
シトリンとファビオラは言われた通りにした。
セブリアンは一階のテラスの手すりの上に立ち、そこから飛び上がると、腕の力だけで二階のバルコニーへと登ってきた。
「一人ずつ、背負って下ろす」
「ファビオラが先だ!」
そのとき、レオナルドがバルコニーの下に駆け付けた。
散々あちこちを探し回ったのだろう。
珍しく汗をかいて、喉も枯れている。
しかし、それでも声を張って、セブリアンへと命じた。
「ファビオラを下ろせ!」
「いいえ、先に下りるのは、シトリンさんです!」
セブリアンは平民で、シトリンは男爵令嬢だ。
ファビオラとて侯爵令嬢でしかないが、この中では最もレオナルドに対して物を言える。
危険を冒してセブリアンがここまで登ってきたのは、婚約者であるシトリンを救うためだ。
ファビオラも助けてくれようとしているのは、あくまでも厚意である。
「今のうちに、早く下りて!」
言い返されたレオナルドが、茫然としている間に、ファビオラは二人を促す。
セブリアンはシトリンを背負うと、その体をしっかりと上着で結び付けた。
#第3回テノコン
ひなーびぃ@続編連載中✌️
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#女主人公(令嬢・貴族夫人)
ウメバラサクラ
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#学校生活青春シリーズ
きょう
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きょう
1,392
「すぐに戻る」
そう言って、セブリアンが身軽に手すりを乗り越えた。
下り始めてしまえば、レオナルドにもどうしようもない。
そしてファビオラを助けるまでは、セブリアンに手出しができない。
「急げ! 早くファビオラを助けろ!」
シトリンを背から下ろしたセブリアンは、また二階を目指す。
そのとき、パリンとガラス窓が割れ、バルコニーにまで炎の手が伸びた。
「ファビオラ!」
悲痛なレオナルドの声が響く。
ファビオラは口と鼻をハンカチで押さえ、目をぎゅっと閉じて身を護る。
「しがみついてくれ。すぐに下りるぞ」
近くでセブリアンの声がして、ファビオラは縋りついた。
体を上着で括りつけられる間に、お礼を言われる。
「ありがとう、おかげでシトリンは助かった」
「まだよ! あなたと私が無事じゃないと、シトリンさんは気が気じゃないはず」
「確かに、それはそうだ」
ふっと笑うと、セブリアンはひょいと手すりを跨ぐ。
「こんなところに長居は無用。あの恐ろしい顔をした王太子さんのとこへ、戻るとするか」
それはファビオラにとって、笑えない冗談だった。
何往復もしているが、セブリアンはまるで疲れをみせない。
あっという間に地上に下ろされ、ファビオラはホッと気が抜けた。
「ありがとうございました」
抱き合っているシトリンとセブリアンへ、ファビオラは頭を下げる。
「セブリアン卿のおかげで――」
「これはファビオラを助けた褒美だ」
ファビオラが謝辞を述べている最中に、レオナルドが横入りしてきた。
そしてセブリアンへ、つけていた銀色のタイピンを放り投げる。
これで終わりだとばかりに背を向けると、レオナルドはファビオラの手を掴んで歩き出した。
よろけながらもファビオラは抗議する。
「待ってください。まだ、ちゃんとお礼も言ってないのに――」
「見え透いた芝居に付き合うのも、ここまでだ。僕はもう、ファビオラの死に目に会うのは、懲り懲りなんだよ!」
「……誰かと、勘違いされてませんか?」
ファビオラは死んでいない。
こうして今も、生きている。
19歳で死んでしまうのは、予知夢の中のファビオラだ。
「きっとこれも、神様の仕業だ。ファビオラの銀髪が美しいから、ラモナのように連れて行くつもりなんだ」
レオナルドの顔色は悪く、言葉には険がある。
(ラモナ殿下と私を重ねているんだわ。どうしたら分かってもらえるかしら)
ファビオラは必死にレオナルドを留める。
「王太子殿下、私を見てください。生きて、ここにいます。だから――」
「そうだ、生きている。だから今のうちに、神様から護らなくてはならないんだ。分かってくれるね、ファビオラ。これは決して、僕の我がままや暴挙ではないって」
レオナルドの瞳には、暗い意志が宿っていた。
ファビオラは直感する。
(監禁される! あの屋敷で!)
ファビオラは、パッと後ろを振り返った。
そこには、心配そうにこちらを見ているシトリンと、その肩を抱いて隣に寄り添うセブリアンがいる。
助けて、と思わず叫びそうになって、ファビオラは唇を噛んだ。
(あの二人を、巻き込んではいけない。これは私が、抗わないといけない運命なんだから)
ファビオラは、大丈夫と言うように、微笑んで見せた。
そして王家の紋章がついた馬車へと乗せられ、騒動の渦中である外務大臣の屋敷を後にしたのだった。
◇◆◇◆
「王太子さんってのは、キレイな顔して、おっかねえんだな」
肝が冷えた、とセブリアンが言う。
シトリンはまだ、ファビオラが去った方角を見ていた。
「このタイピン、王家の紋章が入ってる。……これじゃ、売るに売れないな」
転がったタイピンを拾い上げて、矯めつ眇めつしているセブリアンへ、シトリンの体がどっと倒れかかる。
「おっと、大丈夫か? 今頃になって、腰が抜けたか?」
「セブリアン……馬には乗れたよね?」
シトリンの言葉は、震えていた。
「ああ、乗れる。だが、どうしたんだ、一体……?」
「分からない。でも……大変なことが起きているの。私、6年間も一緒にいて、ファビオラさんのあんな笑顔を見たのは、初めてなのよ……」
ぎゅっと、セブリアンの服を握りしめ、シトリンは頼んだ。
「お願い! グラナド侯爵家へ、急いで行きたいの! ファビオラさんが王太子さまに連れて行かれたのを、ご家族に知らせないといけない気がする!」
「お安い御用だ。このタイピンを渡せば、厩舎で一番いい馬を貸してくれるだろうよ」
セブリアンにとって、レオナルドのタイピンは、その程度の価値しかない。
むしろシトリンの願いがそれで叶うなら、なによりだ。
――このシトリンの機転によって、ファビオラに訪れた危機は、いち早くグラナド侯爵家へと伝えられたのだった。