「シュガさん、おはようございます。」
「…はい。」
控室に行くと、マネージャーがすでに待ち構えていて。
用意されていた衣装を手渡される。
俺は試着室に入り、服を着替えた。
今回の作品で、俺が演じるのは”シウ”。
相手の新人俳優が演じるのは”スホ”。
俺が攻めで、相手が受けだそうだ。
着替え終わり、スタジオ入りまで時間があったため、最終確認として台本を読み返す。
“コンコン”
“失礼します”
楽屋挨拶だろうか。
ドアがノックされ、返事をする。
ゆっくり開いたドア。
「初めまして…あの…今日から…デビューさせていただきます…え、えっと…あの…キム・ソクジン…といいます…」
「…ああ、初めまして。」
そこにいた男の人は…。
とても美しかった。
正直、”美しい”という言葉一つだけで表現しきれないほどに、美しい。
世間的に言う…”正統派イケメン”というジャンルに当てはまるのだろうか…。
艶やかな黒髪に、ぽってりとした唇。
スタイルはすらっとしていて、緊張しているのだろうか、耳が真っ赤だ。
「…俺は…ミン…あ、間違えた…っと…キム・シュガ。」
危ねぇ…咄嗟に本名を言ってしまう所だった…
結構、動揺している。
まさか、相手の人がこれほどに美しいとは、予想もしていなかったからだ。
「キム…シュガ…先輩…よ、よろしくお願いします…っ…」
「…ああ。こちらこそ。」
他の女優の方と比べると、話しやすい気がする。
でも、何故、この人はこの職業を始めようと思ったのだろうか。
この人の顔やスタイルなら、競争率が激しいK-popアイドルや、もしくはテヒョンと同じ路線の舞台俳優などを目指せたのではないだろうか。
でも、あえてその道に進まず、この穢れた業界である”AV男優”になろうと思ったのか、気になってしょうがない。
でも、あえてそれを聞こうとは思わない。
人には、それぞれ隠したい過去やそれぞれの事情があるからだ。
俺のように。
「シュガさん~、そろそろスタジオ入りです~」
ドアの向こうからマネージャーの声が聞こえて、俺は返事をする。
そして新人男優の人に声を掛けた。
「今から…スタジオ入りだから。行くか。」
「は、はいっ…」
緊張しているようで、声が上ずっているな。
肩に力が入っているのか、肩が上がっている。
俺も、初めての仕事の時は、こんなもんだったな、とか懐かしい事を思いながら、俺はスタジオまでの廊下を歩く。
まぁ、俺のデビュー当時は、こんなに整った環境のスタジオとかじゃなかったよな。
結局、過去にあるのだ。
俺の人生を狂わせ始めた、人生最大の過ち、失敗、きっかけは、全て過去、原点にある。
「シュガさん、入られますー!」
「…よろしくお願いします。」
「ジンさん、入られますー!」
「よ、よろ…しく…お願いしますっ!!」
「やーやー、シュガー、また君の作品を担当することになったよ~、台本は読んだか?」
「あ、どうも。お世話になってます。」
別に、お世話になど一切なってないけどな。
変態クソ親父の脚本家が俺に声を掛ける。
まぁ、この人が書く内容は過激すぎるし、一見見ればただの変態クソエロ親父なんだが、正直言えば、こっち路線の脚本の才能は半端じゃないし、脚本界のボスと言えるほど、才能にあふれる人だ。
「シュガ、引き受けてくれてよかったよ、売れっ子だから引き受けてくれないんじゃないかってスタッフの間で心配されてたんだけどな、まあ、よかったよ、」
監督にもしっかり絡まれる。
ついでにこの人もこの業界では本当に有名な人で、多才であり、凄い人だ。
まぁ、見た目は胡散臭いんだがな。
「おーやー、ソクジン君~ !! デビューおめでとう !! 期待してるよ !!」
と、俺の後ろに隠れるようにしていた新人俳優まで、監督がウザ絡みでウィンクを飛ばしているため、俺は庇うように立つ。
「この現場の監督と脚本家、まじで変態エロ親父でちょっと頭がぶっとんでるから。気にしなくていいぞ。」
「…そ、そうなんですね。」
俺がわざと監督や脚本家に聞こえるように言うと、地獄耳の監督が愉快だというように口を出す。
「あ、おい、シュガ、誰が変態エロ親父だって~?」
「監督、向こうの方のカメラの様子がおかしいみたいですが、大丈夫なんですか?」
「ん、あ、やば。」
俺はとりあえずマネージャーからペットボトルを受け取り、水を一口飲み、心を落ち着かせた。
これが、仕事する前の落ち着くルーティーン。
「じゃあ、スタンバイお願いします。」
「…はい。」
「は、はぃっ」
真っ白なスタジオの中の一角に用意されている、異様な家庭的なセット。
今回のコンセプトは、同棲中の同性カップルだそうで。
シーン1は、ベッドの上で、寝る前の日常を切り抜いたような、ほんわかとしたやり取り。
そして、シーン2で眠りにつくところに入るのだが、設定としては、性欲を抑えきれなくなった俺演じるシウが、気持ちよさそうに眠っているスホを襲うというシーンだ。
そしてシーン3では、前戯を始めるらしい。
一応、同性愛ものの行為の仕方や知識などは、パソコンやインターネットを使い調べまくったため、ある程度どうすればいいかわかる。
俺、シウはベッドの上に恋人のスホと腰掛ける。
そう、俺は”シウ”だ。
“キム・シュガ”でもなく、”ミン・ユンギ”でもなく。
ただの同性愛者であり、スホと言う名の恋人がいるだけの”シウ”。
「それでは、リハに入ります。リハ開始まで5,4,3…」
「今日は疲れたな。」
「確かに。」
“確かに”と滑らかなセリフで返すスホは、先ほどのおどおどと緊張していたソクジンさんとは、全く別人のようで。
俺は少し驚く。
このシーンでは、特に用意されたセリフは無い。
ムードを作るために、ほんわかとしたセリフをアドリブで入れるように台本には書かれていた。
つまり、大切なのは喘ぎ声のスキルでもなく、前戯のスキルでもなく、ただの純粋なる演技力だ。
演技力にはまぁまぁ自信がある。
ずっと長年、舞台俳優を目指して生きてきたからだ、演技のレッスンなど受けたこともある。
だから、アドリブなどもある程度は。
でも、生まれてから彼女などいたことが無かったため、カップルが寝る前にする甘い雰囲気の話で何を話したらいいのか、見当がつかないため、結構大変だ。
何を話そうか迷っていたら。
「最近、シウ、お隣の綺麗なお姉さんと距離近くない…?」
「…え?」
「今日、僕がコンビニから帰ってきたときに、話してたから、何話してたのかなーって。」
「いや、世間話だよ。何?嫉妬でもしてたのか?」
「う、うるさいなぁ、もうっ…嫉妬なんか…」
上手い…相手のアドリブスキルが…凄く上手い。
俺がリードされているように感じてしまう。
それに、”うるさいなぁ”という時は、若干焦りを出し、わざと口ごもるような演技で、本当に上手な人だと再認識する。
「嫉妬してたのかよ~?」
「ち、違う…し。だって…さ、シウがあまりにもカッコいい…から、取られるのが…怖くって…あーもう、僕、何言ってんだろうっ…」
「ふふ、可愛い。」
「あ、もうっ、そこはカッコいいにしてよぉっ!!」
気づけば、俺は完全に”シウ”に入り込んでいた。
相手のセリフのテンポやスキルが上手い為、俺も知らず知らずのうちに返すアドリブのテンポが上がってゆく。
「ふぁ~…」
「何?眠いのか?」
「まぁね…」
あくびも、わざとらしすぎず、自然な感じで…結構な上級者…
「じゃあ、寝るかぁー…」
「うん…っ」
俺は布団をそっとかけて、一緒のベッドで目を閉じる。
「カット!!」
お、カットが出た。
これでNGが無ければ、今演技をしたシーンはリハだった為、本番に入る事になる。
監督に呼ばれる。
「よし、じゃあいったん休憩挟んでからシーン2撮るぞ。」
「…えっと…本番テイクは…」
「あ、今のテイクを本番用に使う。」
「…!!」
…こんなことは初めてだ…
練習テイクがそれほど良かったのだろう。
俺はプロデューサーに手招きをされ、隅っこの方に移動する。
「シュガ、分かっただろ?あの子が期待されている理由。」
「…ええ、まぁ、なんとなくは。」
「あの子も、お前と同じようなこの業界の寵児となりそうだ。」
「…あの人はそうかもしれませんが、俺は違いますよ、寵児なんてそんな綺麗なもんじゃないです。」
「…何を言っている、あの子も、お前も同じだよ、実は言えば、あの子がこの業界に入ったのは、お前と同じようなきっかけだ。だから…結構あの子の心境的にも、精神が不安定な出来だろうから、お前が先輩として助けてあげてくれ。」
「…ソクジンさんも…同じキッカケ…」
「ああ。この世界は、繊細な心なんてもんはすぐにぶっ壊してしまう。あの子は耐えられるか、プロデューサーの立場からすると、結構心配なんだよ。シュガ、誰もがお前みたいに強くはない。」
「……。」
そういうと、プロデューサーは煙草に火をつけた。
真っ白な煙が、ゆっくりと天に上ってゆく。
唯一、俺がこの業界で心を許している存在であるプロデューサーは、俺の心に寄り添ってくれる人だ。
「まぁ、とりあえずあの子を頼むよ。」
「…分かりました。」
「お前なら、、、何をすればいいはずか…見当がつくはずだ。まぁ、行動に移すかどうかは…お前次第だがな。」
そして、プロデューサーは俺のズボンのポケットに何かをねじりこんだ。
「頑張れよ。」
それだけ言うと、プロデューサーはひらひらと手を振って、スタジオの奥へと消えて行った。
あの人も…俺と同じキッカケでこの業界に入った、という事を聞いて、とても不安になった。
俺と、同じような末路をたどってほしくない。
あの人が、スタッフから期待されている理由。
それは結局”目指すべきところ”にあるのだ。
俺も同じ。
でも、確実にソクジンさんは、その目指すべきところとは別の道を歩みかけている。
俺はもうこの業界から抜け出すことは不可能だが、あの人だけは、どうにか助けたい…
この、闇だらけの業界から、早く救い出さなければいけないと、心の中で思う。
俺は、ポケットにねじりこまれたものを取り出すと…
「…っっ…!!!」
♡→500以上…
コメント
2件
連投おつかれ!今回も神すぎて泣けるわ…私の生きる糧…!!