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「おはようございます!」
奈々がカウンターから身を乗り出し、深々とお辞儀をする
「おはよう」
ジンは短く答え、彼女に一瞥もくれず、足早にエレベーターへと向かった、奈々は丁寧なお辞儀を終えると、すばやく手元のスマホを手に取り、指を滑らせてメッセージを打ち込んだ
―ターザン玄関に現る―
30階の桜のスマホがポンッと軽快な音を立て、奈々からのメッセージを見る
「キャー! 来た!」
社長室で観葉植物に水をやり終えた桜は小さく声を上げ、慌てて最後の朝の掃除の仕上げに取りかかった
デスクの上の書類を整え、テーブルの埃とサッシの埃をサッと拭き取り、消臭フレグランスをまんべんなく部屋に吹きかけた
途端に社長室が爽やかな香りに包まれる、エアコンは23度、暑くもなく、寒くも無い温度に設定すると、デスク横のカウンターには、ジンのお気に入りのスタバのアイスラテをいつもの定位置に丁寧に置いた、今日は小さな茶菓子皿に「モロゾフ」のチョコレートを二粒セットする・・・
この間の「花笠」のおかきはあまりお気に召さなかったようだ、手を付けずに残されていた、
桜は思った、いったいこの会社でどれほどの人がここのCEOが甘いものが好きだという事実を知っているのだろう
彼女は壁の鏡で髪と服を素早くチェックし、タブレットを手に社長室の入口に慌てて直立不動で立った、その姿は王宮のドア番の様だった
―ポンッ―
エレベーターの到着音が響いてドアが開くと、ジンを先頭に、上層部の社員達がドカドカとオフィスに流れ込んできた。朝の活気が一気にフロアを満たす
「おはようございます! 社長!」
桜は背筋を伸ばし、45度に腰を曲げ慎しまやかに挨拶した
「おはよう」
ジンは無表情で答え、彼女を見ずに社長デスクへ向かう、社長の金魚のフンの社員達はそれぞれのデスクに散っていき、フロアは一瞬にして仕事モードに切り替わった
ジンは社長室に入るなり、カウンターのアイスラテを手に取り、ドカッと革張りのチェアに腰を下ろした
緑のストローを口に含み、一口アイスラテを飲むと、わずかにしかめっ面の眉が優しく緩む
―お顔に似合わず、甘いのがお好きなのよね―
桜はその一瞬を見逃さなかった、ガムシロップ1個半の甘さブレンドがお気に召したようで、思わず口元が緩みそうになったが、すぐに気持ちを引き締め、タブレットを構えた
「今朝は9時から健康診断アプリ開発の清水さんとのWeb会談の予定でしたが、顧問弁護士さんから連絡がありました、労働ビザの件で至急連絡が欲しいそうです。30分ほど会議の時間をずらしてもらいましょうか?」
ジンは緑のアイスラテのストローを口から離し、初めて桜に視線を向けた、その目は、まるで彼女の言葉を一語一句スキャンするかのように鋭かった
「弁護士が? いや、大丈夫です、このまま会議に入ります」
「でも・・・」
「弁護士はあとでいいです」
桜は一瞬躊躇したが、すぐに頷いた
「承知しました、それでは何かありましたらまたお呼びください」
彼女が一礼して退出しようとした瞬間、ジンがふと思い出したように口を開いた
「ああ、山田さん」
「はい!」
桜は反射的に振り返って背筋をピンと伸ばした
「この間の写真画像で自律神経が計れるアプリの件、企画書を拝見しましたが、大変良かった、少しコードが複雑になると思いますが「React Native 0.81」を使えばスムーズに行くと思います」
「え・・・?てことは・・・?」
桜が目を丸くして言う・・・しばらく二人は見つめ合った
「あなたの企画を通そうと僕は今言ってるんですが、日本語は合っていますか?」
クイッとジンの方眉が上がる、パァッと、桜の顔が一気に明るくなった、まるで朝陽が彼女の笑顔に差し込んだかのようだ
「本当ですか? 嬉しいです! ありがとうございます!」
「期待しています」
桜は小刻みに震え、彼女の声には抑えきれない喜びが溢れていた、ジンはすでにモニターに視線を移していたが、口元にほのかな笑みが浮かび、めったにお目にかかれない彼のえくぼが現れた
―ああ!今日はラッキーだわ!―
・:.。.・:.。.
社長室を足取り軽く出ていく桜の後ろ姿をジンは彼女に気付かれない様にこっそり盗み見をしていた
韓国を離れて日本にやってきて、この会社を軌道に乗せてから5年・・・
二年前に入社して来た桜は恐ろしく優秀なエンジニア兼アシスタントで、ジンにとって信頼できる部下であり、流砂のようなこの世界で彼を支えてくれる揺るぎない岩みたいな存在だった
美しいアーモンドに光る瞳に内気な笑みをたたえた、綺麗と言うよりどこか可愛らしい日本人女性の山田桜・・・
もっとも身長187㎝のジンからしたらここでは誰もが小さく見えるが、彼女はひときわ小動物か高級な猫かと思わせるほどに小さくて可愛らしい・・・
さらにただ可愛いだけではなく、とても頭が良くてアプリ開発の才能にも恵まれているのだ
しかしなぜか本人はその事に無頓着だ、都会のオアシスを闊歩するその反面、生まれは淡路島の、のどかな場所で育ったと言う、それこそ淡路の風の様に彼女はさっぱりしていて、27歳という年齢よりもとても若く見える
もっとも日本人はみんな驚くほど若く見える、韓国人でごつい骨格、、睨むと迫力がある三白眼、一重瞼のジンからしたら桜の顔はとても不思議で、彼女の顔は全部が丸い・・・
広い額に均整の取れた頬骨・・・輪郭も丸い、笑うと綺麗な白い歯がこぼれる、けれどもとりわけ魅力的なのは繊細でまん丸く綺麗なカーブを描いている目だ、まるで鳥山あきらの漫画に出て来る女の子キャラクターの様だ
昔・・・ジンの学生時代の親友の「ヒョニン」はジンと同じぐらいの体つきだが、小さな女とばかり付き合っていた、どうして小さな女と付き合うのか、ある日ジンが聞いたことがあった、ヒョニンはニヤリと笑って「小柄な女性はアソコも小さいからだ」と言った
それを思い出した時、ふとジンの脳裏に桜の顔がよぎった
・・・本当なのだろうか?・・・
ガタンッッ!「いかん!いかん!」
咄嗟に立ち上がって頭の考えを振り払いながら、高層ビルの最上階にあるCEOオフィスの窓から御堂筋の朝の街並みを眺めた
きらびやかなネオン街と整然としたオフィス通り・・・この町は二つの顔を持つ、深夜になっても活気を失わない大阪の中心部は、彼が子供の頃に夢見た日本の姿そのものだった
ずっとジンは子供の頃から日本アニメを観て、日本にあこがれて育ってきた、そして、いざ日本に来てみれば、本当に環境も、人種もみんなアニメから抜け出てきたようだった
道にはゴミ一つ落ちていなく、人々は互いに敬意を払い、海外では「日本は30年進んでいる未来都市」と噂されるが、ジンはその言葉を実感していた、この国は秩序と美しさが調和した世界でも特別な国だった
ジンは韓国で生まれ育ってITアプリ開発の技術を必死に学んだ、あの頃ソウルの雑然としたアパートで、夜遅くまでコードを書き、夢の第一歩を踏み出していた、日本の文化に憧れながらも、そこで成功するには技術と誠実な人間性が必要だと知っていた
10年前・・・家族を交通事故で亡くしたジンにとって、夢はもはや単なる憧れではなく日本で生きる理由そのものだった
両親と弟を失ったあの日の痛みは、今も胸の奥に刺さったままだ、もうこの会社しか生き甲斐が残っていなかった
裸一貫で父が憧れていた日本に渡ってゼロから這い上がったジンは、今や御堂筋の一等地に自社ビルを構える敏腕CEOだ
開発したアプリの数多くは日本だけでなく、アジア全域で爆発的な人気を誇り、彼の会社はIT業界の新星として名を馳せていた
社員達は彼を「先見の明を持つリーダー」と讃え、取引先は彼の鋭いビジネスセンスを信頼した、この会社はジンにとってただのビジネスではなく、彼が失ったすべてを懸けて築いた命そのものなのだ
だからそんな自分が・・・・
自分よりも7歳も年下のアシスタントの女の子に淡い恋心を抱いているなんて・・・
決して他の人間には知られてはいけない、何がセクハラ要因になるかわからない時代だ
ジンはデスクに戻って次のプロジェクトの資料に目を落とした、画面に映るコードは、彼が韓国で夢見た未来を形作るものだった、彼は再びキーボードに手を置いた
自分はこの国では異邦人・・・
家族以外に無条件で自分の味方をしてくれる人間などいない
どんな人間にも決して気を許してはいけない、たとえどんなに可愛いと思っている彼女にも、どんな事が起こっても誤解されるような態度を取ってはいけない、何があっても気高く生きる
孤高の人間とはそういうものだ
ジンは毎日彼女が用意してくれている、ハマバのアイスラテを手に取ってまた一口飲んでつぶやいた
「・・・(学)って誰だ? 」
アイスラテのカップにはマジックでこう書かれていた
―電話してね(はぁと)学より―080-3456-●&%△
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