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 朝の光が、やけにやさしかった。 カーテンの隙間から差し込む白が、部屋の輪郭をふわっと溶かしていく。ぜんいちは目を開けて、まず思った。

――今日は、何も起きない気がする。


 キッチンのほうから音がする。食器が触れ合う、生活の音。

 それだけで胸が少し緩んだのが、自分でも分かって、ぜんいちは小さく眉をひそめた。


「起きた?」


 振り返ると、マイッキーがいた。

 近い。距離が。

 いつもより、ほんの一歩分。


「……おはよ」

「おはよ。ちゃんと寝れた?」


 問いかけがやさしい。探る感じがない。

 ぜんいちは一瞬だけ言葉に詰まって、それから頷いた。


「うん、まあ」

「そっか。よかった」


 それだけ。

 なのに、胸の奥がじんわり熱くなる。


 朝ごはんは、特別なものじゃない。トーストと卵と、いつものコーヒー。

 でもマイッキーはやたらと褒める。


「焼き加減ちょうどいいね」

「今日の顔、なんかいいじゃん」

「そのシャツ似合ってる」


 褒め言葉が、呼吸みたいに自然に落ちてくる。

 ぜんいちは「そう?」と笑いながらも、どこか落ち着かない。


――こんなに、優しかったっけ。


 動画の打ち合わせも、今日は穏やかだった。

 意見を出せば、ちゃんと聞いてくれる。被せてこない。否定しない。


「それ、ぜんいちの案でいこ」


 名前を呼ばれる。

 それだけで、背筋がわずかに揺れた。


「……珍しいね」

「なにが?」

「俺の案、通すの」


 マイッキーは少しだけ目を細めて、笑った。


「だって、頼りにしてるし」


 軽い言い方。

 でも逃げ場のない真っ直ぐさ。


 昼、外に出るときも、距離は近いままだった。

 肩が触れそうで触れない、その曖昧なライン。


「迷子になんなよ」

「なんでだよ」

「冗談。……でも、離れんなよ」


 冗談みたいな声なのに、最後だけ少し低い。

 ぜんいちは気づかないふりをして、歩幅を合わせた。


 夕方、家に戻るころには、胸の奥に変な安心感が溜まっていた。

 息をするのが楽で、思考が静かで。


――ああ、大丈夫なんだ。

――全部、考えすぎだったんだ。


 ソファに並んで座る。

 マイッキーが何気なく距離を詰めてくる。


「今日さ、楽しかった」

「……俺も」

「ほんと?ならよかった」


 一拍。

 それから、当然みたいに続く。


「好きだよ、ぜんいち」


 心臓が、遅れて跳ねた。


「……急に言うなよ」

「だめ?」

「だめじゃないけど」


 視線を逸らした瞬間、指先が絡め取られる。

 拒む理由が見つからない。


「俺さ」

 マイッキーの声が、やけに近い。

「ぜんいちがそばにいると、落ち着くんだよね」


 その言葉は、毛布みたいに重くてあたたかい。

 包まれて、思考が鈍くなる。


「……俺も、たぶん」


 無意識に返した言葉に、自分で少し驚いた。

 でもマイッキーは満足そうに笑うだけだった。


「でしょ」


 夜。

 電気を消した部屋で、ぜんいちは天井を見つめる。

 今日は何もおかしくなかった。

 怖いことも、痛いことも、なかった。


――これが、普通なんだ。


 そう思った瞬間。

 背中に回された腕が、静かに力を込める。


「ね、ぜんいち」

「なに」

「このまま、ずっと一緒でいよ」


 優しい声。

 逃げ道のない言い方。


 ぜんいちは返事をしなかった。

 しなかったけれど、離れもしなかった。


 安心は、いつの間にか鎖みたいに重くなっていた。

 それに気づいたときには、もう――


 目を閉じるしか、できなかった。

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コメント

1

ユーザー

ワァァ…✨️♡ 最高。大好きです…😚

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