「どうした?寒いか?」
「…ううん。ねぇリアム。あの山は今は冬だから雪が積もってるけど、ほんとに夏でも雪が残ってる?」
「残ってると聞く。よし、今度は夏に来てみるか」
「ほんと?」
「ああ、約束だ」
「約束…」
リアムが僕の額に唇を寄せる。
僕の顔は冷たいけど、リアムの唇が触れた箇所から暖かくなる。
僕は約束なんて信じない。ラズールは僕から離れないと約束した。だけど僕が城を出る時に現れなかった。
でもあれは、何か事情があったんだと思ってる。ラズールが一緒に来てくれなくて寂しかったけど、今はそれで良かったと思ってる。だってリアムと出会えたから…。
「俺は違うぞ」
「え?」
「今、ラズールとかいう男のことを考えただろう」
僕のストールを巻き直しながら、リアムが少し口を尖らせて言う。
僕は灰色のマントに頬を寄せながら謝った。
「うん…ごめん」
「謝ることはない。俺の心が狭いだけだ。それに俺は約束を破らない。夏に連れて来ると言ったら来るし、傍も離れないぞ」
「リアム…」
どうしてだろう。リアムは僕が欲しかった言葉をくれる。
僕は更に強くしがみついて「ありがとう」と呟いた。
山を見た後に昼食をとるために寄った店で、もう少し先に行けば滝があると教えてもらった。
僕とリアムは、せっかくだから見て行こうと話して急いで向かった。そんなに遠くはない場所だけど、のんびりしていると夜までに戻って来れないと聞いたからだ。
ここで一泊してから行ってもよかった。だけどリアムが、早く僕を国に連れて帰りたいと言ったので慌ただしく行くことになった。
一刻ほど馬を走らせると、滝に繋がる川に着いた。滝までは馬では行けないらしく、山の麓の木に手綱を括りつけて待ってもらう。
僕はロロとリアムの馬の首を撫でると、リアムと手を繋いで山道を進み始めた。
リアムの背より少し高い木が立ち並ぶ道を進む。薄く雪が積もっていて注意していないと足を滑らせそうだ。
初めは物珍しい雪を触りながら進んでいた。だけど僕が何度も滑りそうになったために雪で遊ぶ余裕がなくなった。でも滑る度にリアムが受け止めてくれる。僕はリアムの力強い腕に安心した。
そしてなぜかリアムは足を滑らせない。
「リアムのブーツが特別なの?」
また足を滑らせてリアムにしがみついた僕が不思議そうに聞くと、リアムが得意げな顔になる。
「俺は鍛え方が違うんだ」
「えー…、僕だってかなり鍛えてるよ?」
「そうなのか?それなら今度、フィーの筋肉を見せてもらおうかな」
「いいよ。でもあんまり筋肉ついてないんだ」
「…ついてなくていい。というか、いいのか?筋肉を見せてもらうということは肌を見せるということで、俺がおまえを抱くということ…」
「え?あっ…え?そ…うなの…?」
「そうだ」
「でも…いいよ。僕も…リアムに触れたい…し…」
「よし、早く滝を見てすぐに俺の国に帰ろう!俺の城に着いたら、もう我慢しないからなっ」
「うん…」
僕の手を繋ぐリアムの手の力が強くなる。そして歩く速度も早くなる。
ただでさえ歩幅が大きいリアムの早歩きについていけなくなって、僕が慌てて「待って」と言うと、すぐに速度を緩めてくれた。
今みたいに常に僕のことを気遣ってくれる優しいリアム。綺麗で高貴な身分で優しくて。自信なんてない僕は、本当に僕でいいのかなと不安になる。
しばらく無言で歩いた。すると道の先から大量の水が落ちる音が聞こえてきた。
少し急になった斜面を登り目の前が開けた瞬間、轟音と共に水しぶきが飛んできた。崖の向こう側に大きな滝が見える。
イヴァル帝国の王都の周りには石でできた高い壁がある。その壁ほどもある高さから大量の水が流れ落ちている様は、圧巻だ。
「すごい…」
僕は繋いでいた手を離して、滝に一歩近づいた。
途端に後ろから抱きとめられる。
「危ないぞ」
「すごい…ねぇすごいよ!」
「ああ。俺もこんなに大きな滝は初めて見た」
「リアムは他の滝を見たことがあるの?」
「バイロンにも幾つかあるからな。また連れて行ってやる」
「うんっ」
僕は嬉しくて興奮して、振り返るなり抱きついた。腕に力を込めるとリアムも強く抱きしめてくれる。
初めて目にした景色に感動して、幸せに満たされて嬉しくて、また涙が溢れた。
「フィー、泣いてるのか?」
「うん…っ」
「どうした?」
「僕…辛くても泣くの我慢してたのに…幸せだとすぐに涙が出てくる…」
「そうか。いいぞ、いつでも泣け。ただし俺の前だけな」
「うん…」
幸せな気持ちになるのはリアムが傍にいる時だから、リアムの前でしか泣かないよ。
そう言おうとした時、またもや胸が痛くなった。痛みで思わず顔が歪む。
僕は顔を見られたくなくて、リアムの胸に額を押しつけた。
「おまえは可愛いな。もっと甘えろよ」
「ん…」
リアムは僕の不調に気づいていない。気づかれてはいけない。心配をかけさせてしまう。
それにしてもこれはどういうことだろう。僕は何か胸の病気なのだろうか?でも僕は姉上と違って健康だ。今まで毒を喰らって寝込むことはあっても、病気をしたことはなかった。
ツキンツキンと痛む胸を押えて、小さく息を吐く。確実に痛みが長くなっている。まだ今は耐えられるが、耐えられなくなってきたらリアムに相談してみようか。リアムの城に着いたら。
「フィー、もう大丈夫か?」
「ん…大丈夫」
しばらくしてようやく痛みが引いてきた。僕はゆっくりと顔を上げてリアムに微笑む。
リアムが愛おしそうに笑って、僕の瞼にキスをする。
「腫れたな」
「変な顔してる…から見ないで」
「変じゃない。可愛い」
「僕より綺麗なリアムに言われても…」
「ふむ、イヴァル帝国の城にいる者達の目がおかしいと思っていたが、おまえもか?フィーが一番綺麗じゃないか」
「…ほんと?」
「本当だ。だから俺は、おまえを誰にも見せたくない。誰もがおまえに目を奪われるからな」
「えー…」
僕は街の中をリアムと並んで歩いていた時のことを思い返す。
僕達はフードを深く被っていた。それでもすれ違う人々はこちらを見てきた。主にリアムの方を。フードで顔が半分隠れていたとしても、リアムは人を惹きつけるオーラがあるから。
一方、小さくて貧相な僕を見る人はいない。いるとしたらリアムの隣にいたからだ。ついでに見てきただけだ。
なのにリアムはいつも綺麗だ可愛いと褒めてくれる。そのおかげで全く無かった自信というものが、僕の中に芽生え始めている。
「誰にも綺麗と思われなくてもいいけど、リアムがそう思ってくれているなら…嬉しい」
「そうだな。俺もフィーが世界一かっこいいと思ってくれたならそれでいい」
「ふふっ、もちろん思ってるよ」
「おまえは本当に可愛いな。さて滝も見たし俺の城に帰ろう。婚儀を挙げて正式に俺の妻になったら、またゆっくりと旅に来よう」
「うん」
僕が大きく頷くと、リアムが僕を抱き上げた。そしてそのまま山を降り始める。
驚いて歩くと言うけど「下りの方が滑りやすくて危険だ」と離してくれない。
リアムは意外と頑固だ。こうなったら譲らない。
だから僕は諦めて、大人しくリアムの肩に頭を乗せた。