「面白い話を聞かせてもらった。九郎兵衛といったな」
徳川家康の目が鋭く光る。僕の言葉一つひとつを慎重に吟味しているのが伝わってきた。
「流通の改善……具体的にはどうすればよいと思う?」
問われて背筋が伸びる。ここぞとばかりに準備してきた案を述べ始めた。
「まず検地制度を見直すべきです。現行の太閤検地は土地の正確な評価ができていないため、不公平が生じております」
「それはわしも感じておったが……」
太閤検地とは、豊臣秀吉が全国統一した頃の1587年以降に行った土地の調査である。
全国の田畑の面積と収穫量を全国統一の基準で測定し、土地の生産力を「石高」で表す「石高制」を確立。これにより武士や荘園の特権を廃止し、領主と農民を直接結びつける近世の封建体制の基礎を築いた(引用:Wikipedia)。
家康の眉間に皺が寄る。確かに検地制度の改革は政治的リスクが高い。それでも指摘しないわけにはいかなかった。
「そこで各村に『石高札』を設置してはどうでしょうか。毎年の収穫量と実際に納付された租税を掲示するのです。これにより農民の透明性向上だけでなく、担当者の腐敗防止にもつながります」
家康が静かに唸った。僕は様子を見て続ける。
「さらに重要なのは運搬コストの削減です。街道整備だけでなく『定期便船』の制度化を提案いたします」
「定期便船?」
側近たちが首を傾げる。
「はい。現在は荷物を載せる商人ごとに船を雇っていますが、一定の日にち・航路で貨物を集積輸送する仕組みを作れば安価になります。例えば京・江戸・大阪の三都を結ぶ輸送網です」
真剣な顔で説明しながら、自分の商売の構想まで膨らんでいく。この仕組みを実現できれば、莫大な利益が見込めるはずだ。
「ふむ……面白い」
家康は満足げに頷いた。
「ただし実現には莫大な資金が必要であろう?それにはどう対応する気だ?」
核心を突く質問だ。当然の疑問だろう。
「そこで私の商会にお任せいただきたいのです。最初は私が元手を出します。成功したら、利潤の一部を国庫に還元する仕組みにすれば良いかと」
これは一種の官民連携モデルだった。国家のインフラ整備を民間資本で賄うという発想はこの時代では画期的と言える。
「大胆な提案だな……」
家康は扇子を閉じて考え込む。そのとき突然障子が開いた。
「父上!また怪しげな話に惑わされておいでですか!」
怒鳴るように入ってきたのは、まだ幼さの残る青年だ。家康によく似た顔立ちをしている。確か秀忠……後の二代将軍である。
「秀忠よ、これは大事な話だ。黙っておれ」
父親の厳しい声に青年は一瞬たじろいだが、それでも僕の方を睨んだ。
「このような出自不明の者を信用なさるのは危険だと、何度言えば分かるのですか!」
場の空気が凍りつく。すると家康は意外にも優しく微笑んだ。
「出自か……わしも尾張の一城主からここまで来た。境遇など関係あるまい」
その一言に周囲が静まり返る。秀忠も反論できず唇を噛んだ。
「さて九郎兵衛。もう一つ気になることがある」
改まった様子で家康が問うてきた。
「貴様はどこでそのような考えを学んだ?」
これは最も答えにくい質問だ。現代から転生してきたとは、とても言えない。
「……私は幼少より算術を得意としておりました。また各地を旅するうちに、商人たちの話を多く聞いたおかげにございます」
苦し紛れの言い訳に、内心冷や汗をかく。だが彼は意外にも納得したようだった。
「そうか。ならば……」
彼は机上の硯を引き寄せ筆を執った。
「これを持ってゆけ。正式に許可を与える」
差し出されたのは徳川家の朱印状。
『江戸・京都・大阪間に於いて定期輸送を許可す 慶長八年十月吉日 徳川家康』
「これをもって全国の港で自由に活動するがよい。ただし失敗は許さぬぞ」
冗談半分とは思えない眼光に背筋が寒くなる。とはいえ千載一遇のチャンスだ。
「ありがとうございます!必ず成果を挙げてご覧に入れます」
深々と頭を下げて退出しようとすると、背後から家康の声がかかった。
「ところで……貴様の店で扱ってる金利の件も気になっておった。あれほど安価にして本当に採算が取れるのか?」
振り向くと、今までに見たことがないほど純粋な好奇心を帯びた眼差しをしている。
「はい。長期的には多くの顧客を集められる。メリットの方が大きいのです」
「ほう……そういうものか」
彼の顔に少年のような笑みが浮かぶ。まさに歴史を変えた英傑の顔だった。
帰り道、僕は興奮を抑えきれずにいた。夢にまで見たビジネス計画が突然現実になろうとしている。しかし一方で不安も募る。この世界の常識を知らない自分が、本当にうまくいくのだろうか?
店に戻ると、重次郎が待っていた。
「坊ちゃん! 驚きましたよ。あんな大役を任されるなんて……」
「いや実は……」
これまでの経緯をかいつまんで説明する。当初は半信半疑だった番頭も、徐々に真剣な表情になっていった。
「これは大きな商機ですね。私も全力でお支えいたします」
「ありがとう。それにしても……」
ふと窓の外を見る。夕暮れ時の空は、茜色に染まっていた。
「徳川様はすごい御方だったな……」
思わず漏れた感嘆の声に、彼が答えた。
「そうですなぁ。でも坊ちゃんだって負けていませんぜ。少なくとも私の目にゃ、同じくらい大きな野望を持っているように見えるけどねぇ」
温かい眼差しに胸が熱くなる。
こうして僕の江戸経済改革の旅が始まった。
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