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【廿捌話】
「羽田警部に氷川のバックに付いている暴力団の覚醒剤の情報を漏らしたのは君だね?そしてこの時期、あの土間の木も植えた。ふふふ、忙しかっただろう?それが君の最初の〝手〟だった。それで無くとも羽田は出世を焦っていた。そこにさりげなく持ち掛けた大量検挙の餌、すぐに喰い付いただろう。」
「そうですね。取るものも取らず、署にお戻りになりましたわ。」
此処には居ない羽田警部を嘲笑する様に遥は鼻先で笑った。
「羽田はその足で暴力団に揺さぶりを掛ける。暴力団は摘発を恐れ、焦って薬を捌こうと氷川に圧力を掛ける。氷川は焦り、小出しにしていた薬を大量に売り始めた。そこに食いつくのは嘉島伸江。金が要る、マネージャーに頼むマネージャーは実家に帰り、無心し、勘当され、その足で強盗、放火――誤算も多かっただろうが――うん、綺麗な流れだ。非常に美しい。」
恍惚と歌う様に話す野々村に背筋が冷たくなった。
「マネージャーだけでは足りない。かつての友人にも無心を、なかば恐喝で金を毟ろうとする。一人だけ金持ちに見受けされた事への嫉妬も在ったんだろう。そんな彼女も必死で金を貪り過ぎて…恐らく龍二にきゅっと、ね。
氷川殺しも往々にしてその流れだろう。重雄が自殺したなら遺書が在る筈だ。それで何か判るんじゃないかな。それはこの件に余り関係無いので置いておくよ。
それと同時進行でもう一つ。こっちの進行が早かったみたいだね。
氷川は嘉島からの僅かな購入では捌き切れない。
しかし暴力団は押し付けた薬分、金を要求してくる。
其処へ前々から目を付けていた嘗てのスタアに付いて辞めて行った才能も無く、功名心ばかりを滾らせる女を思い出した。
君は勿体無かった。幾らでもスタアになれるのに、
志津子は金持ちだ、引っ張り出させて再び上京してくれば大々的に売り出してやるとか何とか云ったんだろうね。
真に受けた容子はその通りに動こうとする。
元々、志津子さんと同じ、地べたを這って生きてきた様な彼女だ、悪い知り合いも居ただろう。共謀して金を毟り取る事を考えた。
その事が志津子さんをより一層追い込んだ。
そして逃げ道として用意された毒薬。二人は死んだ。
君が書いた筋書きはここまで。後は計算外の出来事。
本当なら君はこの二人と一緒に殺される――予定だったんだね?」
遥は庭を見たまま動かない。
「ああ、違うか。三人毒殺した志津子さんは死体処理に困り、前もって旅行に出して置いた、彼女が父親の様に慕う須藤さんに諭され自首、もしくは通報、又はその須藤さんにさえ偽って孤独の中、貴方の仕掛けた罠、 つまり僕達に追い詰められ、通報され、惨めな獄中生活を送らせて君はあの世で哂う、と。」
「そうよ!――その――つもりだったわ。」
ひり出された様な苦しげな声だった。
「殺されなかったし、おまけに昔の知り合いとか何とか云う女性が連れてきた男がさっさと死体を片付けてしまった。」
「良いじゃないか、事件が迷宮入りすればお母さんに罪悪感を一生抱えさせ、燻らせる事が出来る。ずっと怯えながら暮らすんだ。立派な仕返しだと思うよ?」
「――捕まらないと、意味が無いじゃない」
「何故?捕まると裁かれて罰則を受け次第、
また社会に帰って来てしまうんだよ?」
「裁かれて――苦痛を味わって来ると良いのよ!」
「馬鹿だな。裁かれると裁かれないとだったら――どっちが辛いと思うんだ。裁かれると心の何処かで区切りが付いてしまうが、そのままだと終わり無い自虐でもって延々と、寝ても起きても彼女を苛む事が出来るのに。」
勿体無いな、と野々村は遥さんを見ながら伸びをした。
「それは――」
「で、内部告発の為に僕達を呼んだ訳だ。蒼井さん経由で。前もって僕達の、僕の話を聞いていたんだろう?蒼井さんから。」
「ご友人の話を聞いている限りは昔、私の云っていたお父様と同じ様な方だと――想像以上でしたわ。お陰で母を酷く動揺させる事が出来ました。」
「私の行動も計算済みだったって事――!?」
蒼井さんは顔色を失い信じられない様な顔をして力無くそう云った。
「御免なさい。桂子が私の事で心を痛めてくれていたのも知っていた。でも助けてくれる訳じゃ無かった――」
遥さんは蒼井さんに視線を送ったが、一瞬で反らしてしまった。
擦れ違う様に蒼井さんは遥さんを見て「役に立ったなら、それで良いわ」と呟いた。
遥さんの瞳が一瞬揺れ、閉じられた。
「分かりますか?唯一の肉親に恨まれ、冷たく当たられる孤独が!視線すら合わせて貰えない辛さが!夜な夜な加虐される記憶が朝になって怒涛の様に押し寄せてくる苦しさが!体を蝕む苦痛が!悲しさが!そしてッッ!――それでも忘れられない嘗ての愛情への渇望が。」
視線の端で誰かが崩れ落ちるのが見えた。
激しくすすり泣いていた。きっと志津子さんだろう。
「社会的に抹殺されてしまえと思いましたの――逮捕されて――目の前から居なくなればせいせいすると思いましたの。それで――」
「それは嘘だッッ!」
私は耐え切れず言葉を発した。彼女はそう思い込もうとしている。 自己防衛の為に、精神の持つ限りの願いを虚しく払われた自分を、揺らぐ自己存在理由を守る為に、そう思い込もうとしている事が 酷く痛々しかった。
いや、これは只の感傷だ、分かってる筈――筈だけども!
私の胸が痛い。自己満足だ、我侭と責められようと彼女が今そうやって目を瞑るのは余りにも失うものが多すぎるではないか。
野々村は彼女を庇う様に立ちはだかった。
「何の話です?貴方に何が分かるのです?」
小首を傾げ、私を馬鹿にする様に哂った。
私は彼越しに、その背にいる彼女に問いかけた。
「せいせいなど、しない癖に――」
「します――」
「するに決まってるさ。ねえ、遥。彼女が何も行動しなければ今頃、相も変わらず親に痛めつけられ、姉同然の女にも、愛してもくれない母親の変わりに罵倒され、虐げられて来たんだ。せいせいもするさ、そして彼女は正しかった。結果を見れば瞭然だろ?」
「君には云って居ない!」
私は野々村を威圧した。野々村は目を逸らし卑屈に哂った。
「彼女を守る者は彼女しか居なかった。他にどんな道が在ったと云うんだ!」吐き捨てる様に野々村は云った。
「だから君には話して居ないと云ってるだろう!」
声を荒げたので静かだった室内が余計に沈んだ様に感じた。
私の上げた声の余韻が沈んで、消えていく。
それを確認して私は野々村の肩を掴み、その背後の遥さんに問いかけた。
「荒いんだ、余りにも。本当は――君の考えた計画には裏があった。そうだね?遥さん。」
彼女は俯いたまま動かない。
「志津子さんの犯した犯罪は彼女がやったと特定するには証拠が余りにも少なすぎた。黙っていれば露呈しなかった。非常に自供頼りの解決だっただろう?」
皆は一様に首をかしげた。
「逆に言えば、幾らでも彼女の罪を着る事が出来た。貴方がそう偽れば。一緒に住んでいる限り毒の入った粉の瓶にも、貴方に言い寄っていた男の指輪にもきっと、貴方の指紋が付いているじゃないか。」
遥さんは俯いて笑っていた。
【続く】