北斗はこぶしを握り締めてベッドの上で寝返りを打った
伊藤アリス・・・・
名前はアリスだ・・・・
今は夢の霞の中にアリスが初めて見た時と同じように、細やかに巻かれた綺麗な巻き毛を顔周りに、可愛らしく垂らしていた
初めて彼女を見た時、陰鬱な世界で唯一色を帯びた無防備な儚い花のようだった
彼女の大きな戸惑いに満ちた瞳を見つめた時、脳は機能を停止し、喉はふさがり、おなじみの緊張に襲われた
しかし唇が触れ合った瞬間、北斗にははっきりわかった。彼女は自分のものだと腹を殴られたような衝撃と共にそれを認識した
彼女の唇は花びらのようだった、ほんの束の間だが唇を重ね、舌でそっと触れた時は最高に気持ちが良かった
北斗は衝動的に彼女を抱きしめ、夢中で柔らかい唇をむさぼった
彼女の事を考えるとはかなくて、魅惑的な思いが胸に溢れれる
思い出すたびに胸に溜まっていた熱い思いが、せきを切ったように迸る
唇で唇の輪郭をなぞり、そっと舌の先を歯に当てると、彼女は抵抗しなかった。北斗は再び唇を重ね、燃える気持ちを抑えて優しく彼女の唇を開かせた
やめようと思うのだがどうしてもキスをやめられなかった
彼女に男性経験がないのは間違いなかった
なので彼女が怖がらない程度にキスをした
教えてやりたいことが沢山ある、自分が最初の男になりたかった。それも彼女にとって、ただ一人の恋人に・・・夫に・・・
その瑞々しい体をシーツで包み込み、きちんと結われた巻き毛をほどき、悦びに頬を染めるその顔を見たい
しかしあの時・・・・最後に彼女は泣きそうな声で「行かせてくれ」と懇願した
だから彼女を・・・行かせた鬼龍院のもとに・・・
今ではあの選択を、後悔で身の切る思いを毎日している
彼女が拒んだ理由がわかっている。自らの欠点が憎らしい、昔から嫌だったが、今ほどそれを痛感したことはなかった
自分に鬼龍院のような美しい顔も、巧みな弁舌もない
弟の直哉なおやのような魅力的に、女性に誘惑の言葉をささやきかける知恵もない
ああ・・・もう一度彼女と最初の出会いをやり直したい
でも何度やり直しても同じだ
残念なことに麗しい伊藤アリスは手の届かない人物だ
初めからそうだった、星に触れることが出来ないのと同じように、彼女はまさに北斗にとっては星だ
明るく輝く星、はるか頭上にあってまともに見る事すら叶わない
どうがんばっても自分のものには出来ないのだ
自分は今まで生きてきて一生懸命、欠点を克服しようとしてきたものの
今でも緊張すると時々、言葉が出てこなくて困る時がある
悪い癖だ、そういう時・・・・
ひとつひとつの言葉を絞り出すのは拷問の苦しみだ、話さなければいけないと思えば思うほど、舌が上顎に張り付いて言葉が出なくなる
子供の頃5歳までしゃべらなかった自分を、父は自分の子は出来損ないだと判断した
子供の頃は「黙るな!なんとか言え!」とよく父親に折檻された
「お前みたいな出来損ないは私の息子ではない」と・・・
そしていつも母が庇ってくれていた。その母親も北斗が15歳になった春に病気で死んだ
そして父は再婚し継母と暮らすために、邪魔な北斗を母屋とずいぶん離れた。東の離れに幽閉した外に出ることは許されなかった
しかしその父が8年前に死ぬと継母は浮気相手との子供を残して蒸発した
伊藤アリスが欲しくてたまらない
しかし彼女は鬼龍院と結婚するだろう、仮に自分の忠告を聞いて婚約を破棄したとて、また別のふさわしい男と結婚するだろう
そして北斗自身も早急に、結婚しなければいけない理由もある
すっかり目が覚めた北斗はベッドから起き上がり、全裸から黒のトレーナーと擦り切れたデニムを履いた
せめて緊張しても、もう少し流暢に誰とでも、心を砕いて話せるようになれたらいいのにと思いながら・・・・