「おはよう。」
「おはよ〜。」
「おはよ。」
7月後半。
期末試験が始まり、レポートの提出期限にも追われながらーー今日はついに最終日。
一年生の時のドタバタや、小テストでの反省。
それに、毎日コツコツ院試の勉強をしている涼ちゃんの姿に刺激を受けながら、ぼくと若井も計画的に準備を進めてきた。
そのおかげで、この夏の期末試験は、多少夜更かししてレポートを仕上げることはあっても、徹夜で朝を迎えることはなく、思った以上に順調に乗り切れていた。
「うあーーっ、今日頑張ったら夏休みだあーー!」
両側に張り付いている二人を押しのけ、ぐいーっと腕を上げて伸びをすると、右側にいる涼ちゃんがクスクスと笑った。
「今年はレポートの提出期限間違えてない~?」
「同じ間違いは繰り返さないもんねっ。もう全部期限内に提出済みだし!」
「ふふっ。確かに、元貴、すっごく頑張ってたもんねぇ。」
「うん。なんか、涼ちゃん見てたら“頑張らなきゃ”って思ってさ。」
「……そうなの?それ、なんか嬉しいなぁ。」
涼ちゃんは、ぼくの言葉にふわっと目を細めて笑った。
すると今度は、左側から声がする。
「…ねぇ、おれも。レポートも勉強も頑張ったんだから、褒めて?」
「ふふっ。若井も頑張ってたよねぇ。サークルもあったのに、偉かったね〜。」
「はいはい。若井もえらいえらいー。」
むにゃむにゃとまだ眠そうな若井の頭を、涼ちゃんは優しく撫で、ぼくはわざとぐしゃぐしゃに掻き回す。
『へへっ。』と笑ったその顔は、いつものかっこいい若井じゃなくてーー
不意に、年下みたいに可愛く見えた。
・・・
「「「いただきまーす!!!」」」
期末試験中は頑張れるようにと、ハムやウインナーなどが、スクランブルや少し不格好な目玉焼きと共にお皿に乗せられていた。
けど、今朝のお皿にはーー
「…なんで、さつま揚げ?」
「トーストに…さつま揚げ?」
洋風の朝食プレートに、ひとつだけ強烈な存在感を放つ和の影。
「それは、僕の好物だからです〜。」
きょとんとしているぼくと若井なんて気にせず、涼ちゃんはニコニコしながら、さつま揚げを嬉しそうにパクっと口に運んだ。
「さつま揚げ好きとか初めて知ったわ。」
「涼ちゃんって、結構渋い物好きだよね。」
「渋いかな〜?まぁ、和食は結構好きだけど。」
和食好きなのに、朝はトースト派なんだ..とか。
やっぱり、トーストにさつま揚げは合わないだろ…とか。
色々ツッコミどころは満載だったけど、そんな“涼ちゃん節”に、結局ぼくと若井は笑わされる。
不思議と肩の力が抜けて、期末試験最後の日も、いい気分でスタート出来そうだった。
・・・
三人で大学へ向かい、三人共それぞれの講義室へ。
午前の一限、二限での試験が終われば、ついに夏休み。
胸の奥には、しっかり勉強してきたという自信と、それを解放するような期待がふくらんでいた。
一限目ーー
先生の号令と同時に、試験が始まる。
一斉に紙をめくる音。
カリカリと、机の上でペンを走らせる音。
その中に自分の鼓動まで混ざり込んでいるようで、静かでいて落ち着かない空気に包まれていった。
目の前の問題を追いながら、頭のどこかでは『今日が終われば夏休みだ』なんて浮ついた考えがよぎる。
けどすぐに首を振るように意識を戻して、文字を埋めていった。
……うん、大丈夫。
見たことある問題ばかりだ。
昨日まで、涼ちゃんに付き合ってもらって復習したところだし。
若井とも深夜まで一緒に勉強した。
そう思うだけで、不思議と背中が支えられているような気がした。
試験用紙に答えを書き込む手は止まらずに動いていく。
汗ばむ手のひらを机の下でそっと拭いながら、『終わったら三人で何しようかな』なんて未来を思い描いてしまう自分に、苦笑しそうになった。
一限が終わり、確かな手応えを感じながら次の講義室へ向かった。
中に入ると、ほとんどの人がノートや教科書を読み返している。
そんな張り詰めた空気の中で、ひとりだけ余裕そうにスマホを弄っている人の隣に腰を下ろした。
「桐山くん、余裕そうだね。」
名前を呼ばれて顔を上げた桐山くんは、ふっと笑って肩をすくめる。
その軽さが、緊張で固くなっていた自分の気持ちを、少しだけ和らげてくれた気がした。
「まあね!てか、もっくんも余裕そうじゃん?」
「うん、今回結構調子いいんだよねえ。」
そう言いながらも、周りから聞こえてくるページをめくる音に、胸の奥がざわっとする。
桐山くんと話している間だけ、ほんの少しその緊張を忘れられるような気がした。
桐山くんと話しているうちに、いつの間にか先生が講義室に入ってきていた。
一気にざわついていた空気が引き締まり、周りのページをめくる音やペンの走る音も止む。
「それじゃあ、始めます。問題用紙回してってー。」
黒板の前で声が響くと同時に、緊張がまた胸の奥に戻ってくる。
手の中に置かれるであろう問題用紙を想像して、深く息を吸った。
隣を見ると、桐山くんは相変わらず余裕の笑みを浮かべていて、その姿にほんの少し勇気をもらえた気がした。
「はい、そこまで。」
先生の号令と同時に、手の中のペンを机に置いた。
静まり返っていた教室に、張り詰めていた糸がぷつりと切れたように、ほっとした息や小さな歓声が次々と漏れていく。
ぼくも思わず『終わったー!』と声を上げようとした、その瞬間ーー
「よっしゃー!夏休みだーー!」
隣から弾けるような声が響き、思わず笑ってしまった。
桐山くんのその明るさに、張り詰めていた空気が一気にほどけていく。
リュックにノートや筆箱をしまいながら、ちらっと教壇を見ると、先生まで少し苦笑していて。
重たかった試験用紙も、なんだか軽い紙切れみたいに感じる。
「ふうーっ。スッキリした!」
「だね。これで心置きなく夏休み!」
桐山くんと顔を見合わせ、肩を並べて教室を出る。
廊下に出た瞬間、むわっとした夏の熱気が押し寄せてきてーー
けど、それすらも妙に心地よくて。
夏休みが始まった実感が、じわじわと胸の奥に広がっていった。
「夏休み中さ、誘うからどっか遊びに行かん?」
「え!行く!」
思わず即答してしまって、桐山くんが『ははっ』と笑う。
なんてことない会話なのに、その一言で、夏がもっと楽しみになった気がした。
「良かった!じゃあ、俺、鈴木ちゃん待たせてるから先行くね!また連絡するー!」
「おっけー!楽しみにしてるねー!」
軽く手を振って走り去っていく背中を見送りながら、廊下に残された熱気の中で深呼吸をひとつ。
気持ちがふわっと軽くなって、足取りも自然と弾んでいた。
「ぼくも二人と合流しよっかなあ。」
スマホを取り出してメッセージを送ると、すぐに既読がついて、【 正面玄関で待ってる〜】と若井から返事が来た。
気持ち早歩きで廊下を歩いていく。
正面玄関に近付くにつれて、胸の奥がじんわり熱くなる。
外の眩しい光の中に立っていたのは、見慣れた二人の姿だった。
「元貴ー!こっちこっちー!」
「元貴、お疲れ様〜。試験どうだった?」
手を振ってくる若井と、穏やかに笑う涼ちゃん。
その顔を見た瞬間、さっきまでの試験の疲れも、緊張も一気に溶けていった。
「…二人の顔見たら、さらに夏休みが始まったって実感湧いてきた。」
自然と口からこぼれた言葉に、二人が顔を見合わせて笑う。
その笑顔が、夏の始まりの合図みたいに眩しくてーー
ぼくの胸は、これからの夏への期待でいっぱいになっていった。
・・・
「はぁー、終わった終わった!もう二度と試験勉強なんてしたくなーい!」
大きく伸びをしながら叫ぶ若井に、ぼくと涼ちゃんは思わず笑ってしまう。
「それ毎回言ってない?」
「だって本当にそう思うんだもん!」
「ふふっ。気持ちは分かるけどねぇ。まぁ、僕は来月院試だから、まだ気が抜けないけど。」
涼ちゃんは涼しい顔で頷きながらも、手にしていたペットボトルの水をぐいっと飲む。
一先ず期末試験が終わった安心感からか、その横顔が普段よりも少しだけ柔らかく見えた。
「元貴はどうだった?」
「今回はね…結構いい感じだと思うんだよねえー。」
『お、余裕じゃん!』若井が嬉しそうに肩を叩いてくる。
蝉の声にかき消されるように、三人の笑い声が夕方の通学路に溶けていく。
ただ帰っているだけなのに、荷物も気持ちも軽くて。
夏休みの始まりを告げる空が、どこまでも高く見えた。
コメント
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毎回思うんですけどいいね数凄すぎません?!流石すぎます…………