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「おはよう。」
「おはよ。」
「おはよ〜。」
3月も今日で終わり、明日から4月が始まる。
あっという間で、色々あった春休みも今日で終わりを迎えようとしていた。
「3月も今日で終わりだね。」
「春休み、あっという間だったなー。」
「だいぶ暖かくなってきたよねぇ。」
涼ちゃんの何気ない言葉に、胸の奥がふっと重くなる。
(暖房も、もう使わないし…また、別々に寝ることになるんだろうな)
そう考えた瞬間、静かに沈んでいく自分の気持ちに気づく。
また、寝つけなくなるかもしれない不安はある。
でも、それより、最初は心臓に悪いくらいだったこの目覚めも、今では、二人の温もりを感じながら迎える朝が、何よりも幸せに思えていたから…
こんなふうに目を覚ます春休みの朝は、もう、今日で終わってしまう——
そう思うと、胸の奥がきゅっと痛んだ。
「僕、考えたんだけどねぇ。」
今日はいつもよりも調子がいいスクランブルエッグを口に運ぼうとした時、涼ちゃんがぼくと若井を見ながら口を開いた。
「なに?」
若井がスープを飲みながら涼ちゃんに聞き返す。
ぼくは首を傾げて涼ちゃんを見つめた。
「暖房は必要なくなったけど、これからも一緒にリビングで寝ない?」
ぼくを見て、にこっと笑う涼ちゃん。
その言葉に、重くなった胸が、今度はふわっと胸が跳ねた。
「…いいの?」
ぼくは思わずそう聞き返していた。
「僕がそうしたいの。…そしたら、眠れなくて若井の部屋に行く事もなくなるでしょ?」
「え、涼ちゃん気付いてたの…?」
去年、夏が終わってエアコンの出番も終わり、またそれぞれの部屋で寝るようになった頃——
ぼくは不眠に悩まされていた。
そんなぼくに気付いた若井が、一緒に寝てくれていた事。
涼ちゃんは知らないと思っていたのに…。
ぼくと、そしてチラッと隣を見ると若井も。
同じように気まずい顔をして少し下を向いていた。
「わわわ、そんな顔しないでよぉ。」
涼ちゃんは慌てた様子で、両手のひらをぶんぶん振る。
「まぁ、ちょっと寂しいな〜って思ったけど、それで元貴が寝れるなら良いと思ってたし。秘密にしてた事を責めたい訳じゃないのっ。」
少し早口でそう言った後、少し恥ずかしそうにして涼ちゃんは続けた。
「…でも、ほら、今は元貴の彼氏な訳だし?今はヤキモチ妬いちゃうからさぁ。」
最後に『えへへっ』と笑うその顔は、ぼくたちに余計な気を使わせないためのものにも見えた。
でも、それが“涼ちゃんらしさ”で——
ぼくは、改めて涼ちゃんの事が好きだなぁ…と思い、胸がほわっと温かくなった。
色々気付いててもあえて何も言わずに見守ってくれる優しさや、気まずくなりそうな空気をさらっと笑顔に変えてしまうのも——
ほんとに…
「…もう、ズルいよ。」
ぼくがそう呟くと、若井がすかさず横から…
「そう、涼ちゃんはズルいんだよ。」
と、“うんうん”と頷きながら同意してきた。
「若井、いっつも僕にそれ言うじゃ〜んっ。」
「いや、だってズルいもん。ね、元貴。」
「うん、涼ちゃんはズルいっ。」
「えぇ〜、二人ともひどい〜!」
そんなやり取りのうちに、自然と笑顔が戻っていた。
気づけば、いつもの明るい食卓の空気。
涼ちゃんに『今日のスクランブルエッグ美味しい!』と伝えると、『そうなの!も〜、誰も言ってくれないから自分で言うとこだったよぉ。』と言うから、ぼくはまた笑ってしまった。
・・・
「今日は春休み最終日だからのんびりするぞー!」
宣言すると同時に、ぼくはソファーへぱたんと倒れ込んだ。
「元貴はずっとのんびりしてたじゃん。」
「ふふっ、そうだね〜。」
「…確かに。」
三人の視線がぼくに集まり、なんとなく苦笑いがこみ上げる。
思い返せば、この春休み——
若井はちょこちょこバイトに出かけていたし、涼ちゃんは院進の準備で忙しそうだった。
そんな中でぼくはといえば、ほとんどソファーに転がっていただけだった気がする。
「じゃあ、せっかくの最終日だし、三人でどっか行こうよ。」
若井が、テレビのリモコンを手にしながらさらっと提案する。
「お花見とか?桜、もう咲き始めてるよね。」
涼ちゃんがカレンダーをちらっと見て、にこっとした。
「そっか、もうそんな時期なんだ!行きたい!」
“お花見”の響きに胸が弾んで、ぼくはソファーから勢いよく身体を起こす。
普段なら、人混みはあまり得意じゃないぼくだけど、三人で行くお花見だと思うと、自然と心が踊る。
「珍しいー。元貴人混み苦手なのに。」
若井が目を輝かせてるぼくを見て、珍しそうに見る。
「だって、これって“お花見デート”でしょ?」
「うん、そうだねぇ。“お花見デート”だねっ。」
涼ちゃんがふわっと笑い、若井も『まぁ、そうなるよね』と口元を緩める。
その瞬間、春休み最後の日が、特別な一日になる予感がした。
・・・
玄関を出ると、やわらかな風が頬をかすめた。
冬の名残をわずかに残しながらも、どこか甘い匂いを含んだ春の風。
空気が少しだけふわっと軽くなっている気がする。
「わ、咲いてる!」
若井が指さす先、並木道の桜は、まだ満開とはいかないけれど、淡い桃色の花びらが枝先をやさしく彩っていた。
「春だねぇ…。」
涼ちゃんが細く息を吐く。
その横顔はどこか穏やかで、ぼくは一瞬、歩みを緩めて見とれてしまう。
「ほら、元貴、置いてくよー。」
前を行く若井に呼ばれ、慌てて追いかける。
でも、その間にも道端の小さな花や、風に揺れる桜をつい目で追ってしまう。
いつもなら人混みやざわついた空気に疲れてしまうのに、今日はなぜか全部が心地いい。
——きっと、二人と一緒だからだ。
一駅先の川沿いの公園に着くと、既に沢山の人で賑わっていた。
シートを広げて談笑する人、屋台の列に並ぶ人、子どもたちのはしゃぐ声——
その全部が、春の空気に溶け込んでいる。
「わあ…すごい人。」
思わず漏れた声に、若井が口の端を上げてにやっと笑った。
「元貴、こういうとこだと迷子になりそうだよな。」
「ええ!じゃあ、こうしとく。」
そう言って、ぼくは若井の手をぎゅっと握る。
途端に、若井の表情がぴくりと固まり——ほんのり耳まで赤くなった気がした。
「ちょ、こういうのは先に言ってよ。 」
小声でそうぼやきながらも、若井は握り返してくれた。
「あっ、ズルい〜。僕も僕も!」
ぼくと若井が手を繋いでるのを見て、涼ちゃんが『はいっ』と腕を出してきたので、素直に腕を絡めると、涼ちゃんは嬉しそうにふわっと笑った。
その笑顔が、春の陽射しと同じくらいまぶしくて、ぼくはつい顔が緩んでしまう。
気付けば、屋台から漂う甘い匂いや、人々の笑い声、風に舞う桜の花びら——
その全部が、三人で繋いだ温もりと混ざり合って、胸の奥を満たしていった。
「ねぇねぇ、何食べる〜?」
屋台の並ぶ通りに足を踏み入れると、香ばしい匂いや甘い香りが一気に押し寄せてきて、ぼく達の中で一番食いしん坊な涼ちゃんが声を弾ませ聞いてきた。
「おれはフランクフルト!」
「ぼくはチョコバナナ!」
「僕は焼きそば〜!」
まるで事前に打ち合わせをしていたみたいに、三人の声が順番に重なる。
『え、じゃあバラバラに並ぶの?』と笑うと、若井が『いや、でも元貴は迷子になりそうだから一緒に行こうな』と意地悪く言ってくる。
その横で涼ちゃんが、腕を絡めたまま『えぇ〜、僕と元貴で焼きそば行くから、若井がフランクフルトとチョコバナナ買ってきてよ〜』なんて、のんびり提案してくる。
結局、わいわい言い合いながらも、それぞれの屋台へ散っていく。
人混みのざわめきと、春のやわらかな風が頬をなでる中——
“春休み最終日”が、どんどん特別な一日に変わっていくのを感じていた。
「あ、涼ちゃんっ。」
チョコバナナを手に、待ち合わせ場所に向かっていると、焼きそばを二つ持った涼ちゃんがぼくの前を歩いていた。
「チョコバナナ買えた〜?」
駆け寄りぱっと腕を組むと、涼ちゃんはにこっと笑った。
「うん!涼ちゃんは焼きそば二つも買ったの?」
「うん。一つは僕ので、もう一つは元貴と若井の分。 」
「えっ、やったあー!」
そんな会話をしながら待ち合わせ場所に着くと、若井がベンチに座ってこちらに手を振っていた。
「おっ、やっと来たー。」
彼の隣には、買ったばかりのフランクフルトが二本。
「…ってことは、三人で分けっこだね。」
涼ちゃんが笑い、ぼくも頷く。
春風が桜の花びらをひらひらと運んで、三人の間にふわっと落ちた。
若井の隣に腰を下ろすと、涼ちゃんが焼きそばのパックをぼくの膝にそっと置いた。
「はい、こっちが元貴達の。」
「ありがとお!」
若井はフランクフルトを片手に、ぼくのチョコバナナをじっと見つめる。
「それ、一口だけ。」
「やだよー!絶対大きくかじるでしょ。」
「ははっ、バレてる。」
そんなやり取りをしていると、涼ちゃんが箸で焼きそばをひょいっと摘んで、ぼくの口元に差し出してきた。
「はい、熱いから気をつけてね。」
「あ、ん……うん、美味しい!」
三人でわいわい笑いながら食べていると、川沿いから吹く春の風が、花びらと一緒にほのかな屋台の匂いを運んできた。
それだけで、この時間が少し特別に感じられた。
夕方、川沿いの公園は西日で金色に染まっていた。
屋台も少しずつ店じまいを始めていて、人の賑わいもゆるやかに減っていく。
「そろそろ帰るか〜。」
若井が伸びをしながら立ち上がると、涼ちゃんも空になった焼きそばのパックをゴミ箱に捨てに行った。
ぼくはベンチの上で、まだ少し名残惜しく春の空を見上げていた。
帰り道、三人並んで川沿いを歩く。
夕風が少し冷たくなってきて、思わず腕をさすったぼくに、若井が『ほら』とパーカーの袖を引っ張って寄せてくれる。
自然と若井の手を握ると、横から涼ちゃんが『僕も〜』と笑って、自分の手もそっとぼくの腕に絡めてきた。
「帰ったら温かいお茶淹れるね。」
涼ちゃんの声が、少し冷えた指先よりも温かく響く。
ふわり——桜の花びらが三人の間を漂いながら落ちてきた。
風に舞うその薄桃色が、夕日に照らされて一瞬だけ黄金色に変わる。
「桜、綺麗だったねぇ。」
涼ちゃんがぽつりと言うと、若井が『とか言って、涼ちゃんは花より団子派じゃん。』と笑い、ぼくはつい吹き出してしまった。
遠くに見える駅の灯りが、少しずつ大きくなる。
今日の賑やかさも、笑い声も、全部春の匂いと一緒に胸の奥にしまい込みながら、ぼく達は一駅先の家へと、手を繋いだままゆっくり歩いて帰った。
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