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「おはよう。」
「おはよ。」
「おはよ〜。」
4月になり、新学期が始まった。
2年生になったという実感はまだあまり湧かないけど、今日はガイダンスがある。
これからどんな授業を受けて、何を学んでいくのかを考える大事な日だ。
「若井は履修科目決めてる?」
「んー…まぁ…ねぇ。」
隣でぼくの首元に顔を埋めたまま、若井が眠そうに返事をする。
まともな言葉になっていなくて、むにゃむにゃと震える声がくすぐったい。
そんな様子に涼ちゃんがクスクスと笑って、少し真面目な声で口を開いた。
「僕みたいに院進するにも、就職するにも、2年生って結構大事だから、ちゃんと将来を考えて決めるといいよ。もし、将来どうしたいか分からなかったから、興味がある分野を広く履修すると、進路のヒントを見つける事が出来ると思う。」
「わあー、なんか大人みたい。」
「一応、3つお兄さんなんだけどぉ?」
「あははっ、そうだったあ。」
普段はそんな感じしないけど、やっぱり涼ちゃんはぼくなんかよりはちゃんと大人で、ちゃんと先を見て動いている。
今は寝ぼけている若井も、真面目な奴だからきっと色々と考えているんだと思う。
それに比べてぼくはというと、周りに身を任せて今に至る気がする。
そもそも、大学に行くことにしたのは親が『行け』と言ったからだし、今の大学に決めたのは、若井が行くと言っていたからだし…
……そう考えると、なんだか少し胸の奥がずん、と重くなる。
ぼくだけ取り残されてるみたいで、ちょっと不安になる。
「…ん?」
ぼくが黙り込んでいたせいか、若井が寝ぼけ声で顔を上げた。
「元貴、難しい顔してた。」
「え、うそ?そう見えた?」
「うん。眉間にシワ寄ってる。」
「ふふ、ほんとだぁ。」
涼ちゃんまで笑いながら指摘してきて、思わず慌てて額を撫でる。
「大丈夫。焦ることないよ。」
涼ちゃんが、いつもの落ち着いた声でそう言ってくれる。
「今はまだ、“なんとなくやってみたい”って気持ちだけでも十分。大学って、その“なんとなく”から始まることが多いんだから。」
「……そう、かな。」
「そうだよ。」
若井もにやっと笑って、ぐしゃぐしゃとぼくの髪をかき混ぜてきた。
「元貴は元貴らしくでいいって。」
「ちょ、髪ぐちゃぐちゃになるー!」
「ははっ。」
ふたりの軽さに救われて、重くなりかけた胸が少し和らぐ。
――きっと、ぼくはまだちゃんと“これから”を考えられないだけだ。
でも、こうして隣にいてくれる二人がいるなら、今はそれでいいって思えた。
「若井は何取るか決めてるのー?」
涼ちゃんが作ってくれたカチカチの目玉焼きをもそもそと食べながら若井に聞いてみる。
「おれ?んーまだ悩んでるけど、スポーツ実習は絶対取る!だって、身体動かして単位取れるとか最高じゃない?!」
「うえー…ぼくは絶対やだ。 」
「あははっ。じゃあ、映画研究とかどう〜?」
「なにそれ!楽しそう!」
「いいじゃんっ、おれもそれ取ろうかな!」
「僕も2年の時取ってたけど、結構楽しかったよ。」
「へえー、そうなんだ。涼ちゃん、あとはどれ取ってたの?」
「あとはねぇ……」
・・・
涼ちゃんの話を聞いてるうちに、朝食の時間はあっという間に過ぎて、ぼく達は三人揃って慌てて家を飛び出した。
そして、あれこれ考える間もなくガイダンスが始まった。
大講義室で先生がスライドを切り替えながら淡々と説明をしていく。
選択必修や自由選択の紹介のときには、少しでも気になったものを忘れないようにとメモを取った。
途中、眠気に負けそうになる瞬間もあったけれど、どうにか先生の話を頭に叩き込み、ようやくガイダンスが終わる。
大講義室を出ると、廊下には同じように解放感を漂わせた学生たちがあふれていた。
「えーと…単位がこのくらい必要だから…」
手元の紙を見ながら、ぼくがぶつぶつと計算していると、若井が横から肩をぽんっと叩いてきた。
「ま、とりあえずお昼食べてから考えよ?午後はフリーだし。」
「……あ、そうだよね。」
若井の顔を見た瞬間、張りつめていた気持ちがふっと緩んで、自然と笑みがこぼれた。
「涼ちゃーんっ。」
「お疲れ様〜、ガイダンスどうだったぁ?」
「もう、頭パンクしそう!」
「あははっ。確かにそんな顔してるねぇ。」
食堂に行くと、既に涼ちゃんが来ていて、先にご飯を頬張っていた。
持っていたトレーをテーブルに置いて涼ちゃんの前に座ると、ぼくと若井は『いただきます』と手を合わせた。
「元貴、今日はがっつりだねぇ。」
「うんっ、履修科目決めるのに気合い入れようと思って!」
そう言う涼ちゃんのトレーには、カツ丼がどんと乗っていて、 (いや、涼ちゃんも十分がっつりじゃん…)と内心突っ込みながら、ぼくは目の前のカツカレーを一口頬張る。
衣のサクサクがルーに少しずつ溶けていくのが、妙に安心させてくれた。
若井はというと、唐揚げ定食を前に、もう待ちきれないとばかりに口いっぱいに頬張っている。
『んん〜っ、うまっ!』と幸せそうに笑う顔を見ていたら、ガイダンスの疲れがじわじわと溶けていく気がした。
・・・
食べ終わる頃には、三人ともお腹いっぱいで椅子にだらんと寄りかかっていた。
「ふぅ〜……午後の授業なくてよかったぁ。」
と若井が天井を仰ぐと、涼ちゃんが『ちょっとぉ、寝ないでよ〜?』と笑う。
「でも、そろそろ履修決めなきゃだよね。」
ぼくがそう切り出すと、若井は『うっ…やるかー… 』と顔をしかめた。
結局、食堂のざわざわから少し離れた中庭のベンチに移動することにした。
木陰に腰を下ろすと、春の風が頬を撫でて心地いい。
ようやく頭が整理出来そうな気がして、リュックから配られた時間割表を広げた。
「えーと……必修はもう決まってるから、あと自由選択をどう埋めるかだよね。」
時間割表を見ながらそう呟くと、
『スポーツ実習はおれ確定!』と若井が真っ先に言った。
「うわぁ…やっぱりやるんだ。」
思わず眉をひそめるぼくに、涼ちゃんがくすっと笑う。
「元貴は絶対やらないタイプだもんねぇ。」
「……まぁね。」
体育館の匂いとか、汗だくの時間を想像するだけでちょっと気が重い。
「じゃあ、元貴はどれが気になるの?」
「ぼくは…映画研究とか、心理学とか?」
「おれも映画研究取る!朝、涼ちゃんの話聞いて面白そうって思ったし!」
「ほんとに?」
「うん!それに元貴取るんでしょ?なら絶対やるし。 」
そう言って、二カッと笑う若井の笑顔があまりにも真っ直ぐでぼくは思わず視線を逸らした。
「いいなぁ。僕も二人と同じ講義受けたかったな〜。」
涼ちゃんの方を見ると、ほんの少しだけど寂しそうにそう言ったので、今度は胸がきゅっとなった。
確かに、涼ちゃんも同い年だったら、一緒に講義を受けるのはきっと楽しかったに決まってる。
でも……。
「それは、絶対に楽しかっただろうけどさ。ぼくは涼ちゃんがお兄さんでよかったなって思うよ?…たまに、すっごく頼りなるしっ。」
“たまに”と言ったのは照れ隠し。
ぼくがヒヒッと悪戯っぽく笑うと、涼ちゃんは『たまにってなによ〜!』と声をあげて笑ってくれた。
そんなぼく達を見て、若井は『出た。元貴の照れ隠しー。』とからかってくるもんだから、ぼくは『うるさいっ。』と言って若井の肩に軽くパンチをする。
いつの間にか、眉間に寄ってたシワもなくなり、気がつけばいつものぼく達だった。
三人で顔を見合わせて、くだらないことで笑い合って──胸の奥までじんわり温かくなっていく。
春の午後のやわらかい光の中で、ぼく達の時間は、ゆっくり、穏やかに過ぎていった。
・・・
「…これでよしっと。」
途中、話があちこちにそれながらも、ぼく達はなんとか履修科目を選び出し、数時間後、履修登録を済ませにきた。
少しだけ、肩の荷が下りた気がしてホッとする。
けれど、ほんの少しの不安もあった。
一年生の時とは違い、選んでみると若井と被る講義は半分ほど。
若井とは、ずっと一緒に過ごしていたから、一人になる瞬間があることに少し戸惑いもした。
それでも、自分で考えて決めたという実感が胸にじんわりと広がる。
初めて自分の足で、将来に向けて一歩踏み出せた気がして――
なんだか少し、誇らしい気持ちにもなった。
「じゃ、行こっか。」
「スーパー寄って帰ろ〜。」
若井がぼくの肩に腕を回してくる。
続いて涼ちゃんがぼくの腕に腕を絡めてくる。
三人で歩くと、春の柔らかい陽射しが道に差し込み、いつもより景色が明るく感じられた。
スーパーでは、それぞれ好きなものを手に取りながら、あれこれ言い合う。
「このジュース、懐かしくない?」
「うん!小さい頃よく飲んでたやつだ!」
ぼくはカゴに入れる手を止めて、二人の笑顔を見て思わず微笑む。
何気ない会話なのに、なんだか胸の奥がじんわり温かくなる。
買い物を終えて外に出ると、夕暮れ前の柔らかい光が三人を包んだ。
肩や腕に触れる温もりを感じながら歩く道は、特別なことは何もないのに、今日一日の小さな達成感と、春の穏やかさで満たされていた。
「お腹減ったー。」
「帰ったら、今日の夕飯は何にしようか?」
「ん〜、三人で作るのも楽しそうじゃない?」
小さな笑い声を交わしながら、三人で歩く帰り道――
こうして過ぎる何気ない日常が、ぼくにとって一番の幸せなんだと、二人の笑顔を見て改めて感じた…