食事が終わり秘書室に戻るエレベーターの中で、久我さんは娘さんの写真を見せてくれた。
「これが娘の芽衣だよ」
久我さんがほらっと言って見せてくれた携帯の画面には、すらりと背の高い中学生にしては大人びたとても可愛い女の子が写っている。
「すごく可愛い女の子ですね。お父さんとしてはこれから色々と心配になる年頃ですね」
そう言うと久我さんは少し照れたように私に言った。
「自分自身が子供の頃色々とやんちゃしたから、芽衣には絶対にそうなって欲しくないんだけど血筋なのかな。全然言うこと聞かなくて困ってるよ」
私は芽衣ちゃんと似た顔の久我さんを見た。
彼は今でこそ少し歳をとっているものの、なかなかの男前だ。彼の過去の話を聞いたからなのか、よく見ると落ち着いた大人の雰囲気の中には野性的な部分も見え隠れしている。
きっと若い頃は今とは違った雰囲気でカッコ良かったに違いない。私はそんな久我さんの照れた顔を見ながらクスクス笑った。
丁度その時エレベーターが開き、降りようとしたところで思わず立ち止まった。
「桐生さ、……社長……」
エレベーターホールには、機嫌悪そうに腕を組みながら壁に寄りかかった桐生さんがいた。
── 一体いつからここにいたの?まさかここにずっと居たの?
一体何人の社員がエレベーターを降りた途端こんなに機嫌の悪い社長を見たのかと考えながら、慌てて彼に駆け寄った。
「あの、いつお戻りになられたんですか?今日は夕方までお戻りにならないと予定にあったので……」
「昼飯を食べに戻ったんだ。何回か電話したんだが……」
慌ててバッグの中から携帯を取り出してみると、確かにお昼過ぎ、丁度私が久我さんと一緒に外を歩いていた時間帯に桐生さんから電話が数回入っていた。
「申し訳ありません。気付きませんでした」
携帯から顔をあげて桐生さんを見上げると、彼はじっと久我さんを見つめていた。振り返って久我さんを見ると彼も桐生さんを見ている。
久我さんはしばし桐生さんを真っ直ぐに見つめ返した後、視線を私に戻した。
「七瀬さん、お昼付き合ってくれてありがとう。それじゃまた後で。社長、お疲れ様です」
そう言うと久我さんは秘書室へ去って行った。そんな久我さんを桐生さんはしばし見た後、ため息をついた。
「久しぶりに一緒に昼飯でもどうかと思って帰ってきたんだが、一歩遅かったみたいだな」
「ごめんなさい。せっかく帰ってきてくれたのに……。桐生さんご飯は食べたんですか?」
久しぶりに桐生さんと一緒にお昼を食べるチャンスを逃した事にがっかりする。
「いや、まだだ」
「ええっ?そんな……今すぐにお昼を買ってきます!」
慌ててエレベーターに戻ろうとすると、桐生さんは私の手を握りしめた。
「いや、もう時間が無いからいい。出先で何か食べるから。その代わり今日は早く帰ってくるから一緒に帰ろう」
桐生さんは誰もいないことを確認すると私の頬にキスをした。しかしその後何か言いたげに私の手を掴んだまま離さない。
「……どうしたんですか……?」
私は首を傾げて彼を見た。すると彼は何か言いたかった事を飲み込むかのように目を伏せ、私の手をもう一度強く握りしめた。
「いや、なんでもない……。また後でな」
そう言って桐生さんはタイミング良く来たエレベーターに乗り込んだ。
「ふふっ、くすぐったいです」
その日の夜、夕食の準備をしている私に後ろから戯れついてくる桐生さんに、クスクス笑った。
彼は先ほどから私のシャツの中に手を忍び込ませ、指を素肌に滑らせては首筋や肩に何度もキスをしてくる。
「んー…早く食べたい……」
そう耳の中に囁くと、彼は意味ありげに首筋に甘噛みした。
「今すぐに出来るからちょっと待ってください」
私はそう言って火を止めると、フライパンの中にある餃子を皿に移した。焼き上がったばかりの餃子を桐生さんはひょいっとつまんで食べた。
「うまい。蒼は料理上手だな」
今日は彼が夜遅い時一人で延々と作って冷凍してあった餃子とお味噌汁、ほうれん草のおひたしと作り置きしておいた煮物を食卓に出している。お昼はどうしても外食になってしまうし、桐生さんは私の手料理がいいというので週末や彼の帰宅の遅い日はいつも色々と作り置きをしている。
「これテーブルに持って行ってください」
私は桐生さんに出来上がった餃子を渡してテーブルに一緒についた。
「なんか久しぶりですね。こうやって一緒に食べるの」
私は嬉しくてニコニコした。彼もとてもリラックスして嬉しそうにしている。
「最近忙しかったからな。ごめんな」
「お仕事だから仕方ないです」
私たちは箸を取ると一緒に食べ始めた。
「今度一緒に旅行に行かないか?」
桐生さんは徐に話し出した。
「えっ、旅行ですか?」
思わず嬉しくなって色々と考えを張り巡らせた。今は10月初めで紅葉にはまだ早いが温泉なんかいいかもしれない。
「いつ行きますか?週末で行ける場所だと、箱根とか草津もいいですよね」
私はウキウキしながらご飯を食べる。
「いや、国内じゃなくてアメリカに行こうと思ってる。正確にはサンフランシスコ」
「えっ……?サンフランシスコですか……?」
私は少し驚いて桐生さんを見た。いきなり国外旅行とかさすが考えることが違う。しかしサンフランシスコだとまさか日帰りではないだろうから最低でも4日は必要になる。
「えっとそしたら年末年始のお休みですよね」
今年の年末は宮崎に帰れないかなと考えていると
「いや、年末は宮崎にいる蒼の実家に行きたい」
と桐生さんは真剣な眼差しで言った。
「えっ……本当に行くんですか……?」
以前家族写真を見せた時そんな事を言っていたが、まさかここまで本気にしているとは思わなかった。
桐生さんは食べるのをやめて箸を置いた。
「蒼の家族にちゃんと会って話をしたい。それと蒼、サンフランシスコに行った時話したい事がある」
私も食事を中断し、箸を置いて彼をまっすぐに見た。真剣な態度からもしかして……プロポーズ……?と一瞬思うものの私達はまだまだ付き合い始めたばかりだ。一体なんだろう……。もしかするとここ最近感じていた彼の隠し事に関係することかもしれない。
「わかりました。……でもサンフランシスコに年末の休みの前に行くとしたらいつですか?それとも年明け……?」
はっきり言って最低4日取れる連休など年末年始以外しばらくない。
「11月の勤労感謝の日の週はどうだ?」
日本の勤労感謝の日のある週はアメリカでは感謝祭の週だ。
「えっ……。確かにアメリカは連休になるところが多いですけど日本は連休にならないですよ……」
「わかってる。その週は……出張扱いにしよう。俺の出張に蒼が同行する形で」
「ええっ……!?そんないいんですか……だって……」
「いいんだ。実はビジネスでの用事もあるから」
「そうなんですか?……でも……」
少し戸惑っていると、そんな私の心配をよそに桐生さんは私に尋ねた。
「どこに行きたい?」
「……サンフランシスコですよね」
私はしばし考える。日本からアメリカへ行く場合よく手短にハワイなどに行くが、今回はそれを飛び越えてアメリカ本土まで旅行に行く。
しかも南カリフォルニアだとディズニーランドなど遊べるところがあるが、サンフランシスコとなると何があるんだろう……?
「ゴールデンゲートブリッジとか?ナパバレーもいいですよね」
私は必死にサンフランシスコ周辺に何があるのか考えを巡らす。
「ゴールデンゲートブリッジの眺められるフィッシャーマンズワーフあたりは、観光して歩いてまわれる店が沢山ある」
桐生さんにそう言われて急に思い出す。
「そう言えばアルカトラズの刑務所とかありますよね?映画で有名な。それ見に行きたいです!それと路面電車に乗って坂を降りて行くとか」
映画で見たことがあるシーンを色々と思い出す。
「よし。それじゃ着いたらその辺りを散策しよう。それで感謝祭はサンフランシスコ郊外に住んでる友達の家に行く予定になっている。感謝祭が終わったらナパバレーの方まで行こう。その予定で航空券とホテル、レンタカーの予約をしてくれ」
「はい!凄く楽しみです!」
私の頭の中はこの旅行のことですぐにいっぱいになる。
「それから年末の宮崎へ行く予定もご両親と話しててくれないか。それと行く前に俺からも挨拶したいから電話番号を教えて欲しい」
「わかりました……」
実は家族に桐生さんの事はまだ一度も話していない。これは早急に両親に彼のことを話さなければならないだろう。しかし彼がある意味一般人でない大企業の御曹司だということを父と母は何と思うだろうか……?
「蒼の家族に会うの楽しみだな」
桐生さんは以前見た写真を思い出しているのかふっと笑った。
突然キッチンにある彼の携帯が鳴り出す。
嫌な予感がして携帯をチラリと見るものの桐生さんは無視してご飯を食べている。私も極力無視して食べるが2回、3回と鳴り続ける。
「あの、電話取らなくて大丈夫ですか……?もしかすると緊急の用事かも……」
さすがに見兼ねた私が言うと、桐生さんはため息をついて立ちあがり、キッチンにある携帯を手に取った。すると4回目の着信があり彼は苛立ち気に通話ボタンを押した。
「もしもし……」
桐生さんは時々相槌を打ちながら聞いている。電話の向こうからは微かに女性の声が聞こえる。おそらくまた結城さんだろう。
「……今日は絶対に行かないって言ってあるだろ」
桐生さんはため息をつきながらイライラと髪をかきあげると、再び相槌を打ちながら聞いている。
「……親父が?……ああ……わかった……」
そう言って彼は電話を切ると、片手を髪に突っ込み「くそっ」と呟きながら髪をかき乱した。
「あの、お仕事ですよね?大丈夫ですよ」
私は極力平静を装ってそう言った。そんな私を彼は探るようにじっと見つめる。私はなるべく彼に負担がかからないようにとニコリと微笑んだ。
「丁度これからやろうと思ってた事があるし、私の事は心配しなくて大丈夫ですよ。全然一人でも平気ですから」
そう微笑む私に彼はなぜか傷ついた顔をする。そしてため息をつくと「わかった」と答えて寝室に戻った。彼は部屋着からもう一度外出用の服に着替えると、鞄と一緒に車の鍵と携帯を取った。
「それじゃ行ってくる。多分帰ってくるのが遅くなると思うから先寝ててくれ」
そう言いながら桐生さんは玄関に歩いていく。私も彼の後を追って玄関まで見送った。
「はい、行ってらっしゃい。あまり無理しないでね」
努めて笑顔でそう言うが、彼は私とは目を合わさず無言で玄関から出て行ってしまった。
私は一人ポツンと玄関に取り残されたまま彼が出て行ったドアをいつまでも見つめた。
そしていつの間にか以前のようにもう大丈夫だと自分に言い聞かせる事ができなくなっている事に気付いた。
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