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一方その頃、九条はダンジョンを彷徨っていた。
「さて……。どうしたもんかな……」
最短でも助けが来るのは三日後だ。脱出方法を模索しながらも、それまで生き残ることが当面の目標。まずは水と食料の確保が先決だろう。
水はどこかで滴る音が聞こえていた。それが飲用できる綺麗な水だとすれば、残るは食料の問題だ。
そこでふと思い出した。腰の小さな布袋の中にリンゴが入っていることを。カガリが白狐の所まで俺達を案内した時に置いていったものだ。
これを少しずつ齧れば、なんとかなるかもしれない。
「ありがとうカガリ……」
俺は袋から出した真っ赤なリンゴをまじまじと見つめた。最悪これ一つで三日過ごさねばならない。
今までの人生で、こんなにもリンゴが美味そうに見えたことはなかった。
一口くらい食べてもいいんじゃないかと生唾を飲むも、それをぐっと堪えて袋の中にそっと戻し、いるかどうかもわからない魔物の影に怯えながら、慎重にダンジョンを潜り始めた。
「この奥か……」
水の音は目の前にある大きな木製の扉の内側から聞こえていた。
|閂《かんぬき》がされていて、内側から開かないようになっているということは、ダンジョン内に何かを閉じ込めている可能性は否めない。
その扉に片方の耳を密着させ静かに聞き耳を立てるも、物音一つ聞こえない。
鍵となっている角材を慎重に外すと、扉を前に深呼吸。細心の注意を払い、ゆっくりと扉を開け放つ。
僅か数センチの隙間から中を覗くと、盗賊達がいたホールと同じような場所が広がっている。
「失礼しまーす。誰かいませんかー?」
恐らく居ないだろうが、緊張感をほぐそうと小さな声で呼びかける。
もちろんそれに返事はない。部屋には六本の大きな柱が立っているだけ。
それ以外には何もない空間だと思ったのだが、勇気を振り絞り、中へと足を進めていくと柱の影に何か違和感を覚える。
「ヒッ……」
いい歳したおっさんが声をあげてしまったその正体は、人魂だ。半透明の青白い炎のような光が、ゆらゆらと空中を漂っていた。
実家の寺の隣は墓地。そんな環境で育っている俺にとっては日常茶飯事。人魂なんて、幼い頃に何度となく目にしていた。
不思議とそれに恐怖を感じる事はなく、歳と共に自然と見ることもなくなったのだが、その当時を思い出し、柄にもなく感慨に耽ってしまった。
とはいえ、逃げるほどの事でもない。その下には白骨化した動物か魔物の骨が散乱している。
結構な大きさ。黒い象牙のような骨が突き出ているが、象にしては小さいか……。
何にせよ刺激は避けた方が賢明だろう。触らぬ神に……仏に祟りなしと、軽く合掌する程度でその場は済ませた。
部屋の出口は三つだ。自分の入って来た扉と、左右に通路が一つずつ。
右か左か……。水の音は左から聞こえてくるのだが、その方向に行くにはあの人魂を横切らなければならない。
それを回避する為に右側の通路を進んでいくと、目の前には下り階段。そこを慎重に降りていった。
迷子にならぬよう落ちていた骨で壁に印を付けながら進んでいるが、かなりの時間が経過している。
見つかるものは何もなく、あるのは白骨化した死体と下り階段。宝箱のような物もあったが、すでにそれは開いていて、中身は空だ。
上層の方は獣の骨の方が比較的多かったように感じるが、今ではそのほとんどが人骨。それもかなりの年季が入っていて、少し力を加えただけで朽ちてしまうほど劣化している。
現在は地下八階前後。そして、目の前にはまた下り階段。
「この先を探索して何もなければ、一度人魂の部屋まで戻るか……」
そんなことをつぶやきながら地下九階へと足を踏み入れた途端、明らかに今までとは違う雰囲気に、俺は身を震わせた。
ピリピリとした緊張感。わかりやすく言うと、葬式で坊主の読経を黙って聞いてないといけない場の空気感だ。
まっすぐ伸びた通路の左右に扉が数カ所設置されている。今までの傾向から、その奥には小部屋があるはず。
それよりも目を見張ったのは、一番奥にある大きな扉だ。
今までの木製の物とは違い、金属製で豪華な装飾がされている立派な扉。そこを調べるのは最後。とりあえずは今まで通り、左右の小部屋から探索を始めた。
張り詰めた空気の中、最初の扉の前に立ち、いつも通り扉に耳をあてて中の様子を窺うも、物音はしない。
扉を開けようと力を込めるも、何かがつっかえてるようで開かなかった。それならばと引いてみたところ、扉は内側から押されたように一気に開け放たれ、中から何かが溢れ出したのだ。
ガラガラと豪快な音を立てて雪崩を起こした何かに動揺するも、それは俺の足元を埋め尽くすと、ようやくその勢いを止めた。
それは全て骨の残骸。綺麗な形の物もあれば、砕けて粉々な物もある。
正直もう見飽きていて何とも思わないのだが、六畳ほどの小さな部屋に雪崩が起きるほど詰め込まれているその量は、どう見ても異常。
部屋を片付けるために、無理やり押し入れに押し込んだような状態。
さすがにこの量をかき分けて部屋に入って行く気にはなれず、踵を返そうと骨に埋まった片足を上げたその瞬間、それは突如現れた。
「あーあ。また派手にやっちゃって……。久しぶりに人間が来たと思ったらコレかぁ……」
俺の横をすうっと通り抜け現れたのは、半透明の女性。端的に言うと幽霊という表現が一番しっくりくる。足はあるが、空中をふわふわと漂う姿はまさにそれ。
幽霊といえば和服か着物と相場は決まっているのだが、コイツは違う。水着のようでもありレオタードのようでもあるそれは、エナメルのような素材でうっすら光沢を帯びていて全体的に硬そうだ。
現実にこんな服装の女性がいたら露出狂かと疑うレベルではあるが、半透明であるが故に性的には見えなかった。
そして一番特徴的だったのは、耳の上のあたりから生えている二本の角と、お尻の付け根から出ている先細った長い尻尾だ。
雰囲気で何かが居るとは思っていたが、油断したところに不意を突かれたせいもあり、俺はその場で固まってしまった。
「聞こえてないだろうけどさあ、これ片付けるの大変なんだよ……。魔力もほとんど残ってないし……」
視線すら動かさずに思案する。逃げられれば早いのだが、逃げる場所などどこにもない。
「まあ、どうせ今回も餌になるんだし、汚さないように死んでおくれよ」
ならば戦う……といっても、幽霊相手にどう戦えばいいのか……。
「……あれ? 動かなくなっちゃった? 骨の山を見て気絶? おーい」
俺を叩いたり蹴っ飛ばしたりしている幽霊の女。しかし、それには痛みどころか触られている感覚すらない。それらが全て俺の身体を通り抜けているのだ。
幽体であるが故に物に干渉できないのではないかと推測するも、それを見て閃いた。相手がこちらに干渉出来ないのであれば、このまま見なかったことにすれば良いのでは? ……と。
葬儀屋で働いていた時の鉄則を思い出したのだ。仏様が見えても目を合わせてはいけない。話しかけるのはもっての外だと。
餌と言われたのが気がかりではあったが、聞かなかった事にして平静を装い行動する。
「わ、わあー。骨がいっぱいだあ。びっくりしたなあ」
……我ながらの大根役者である。しかし、幽霊の女は気づいていない様子。
「おっ、やっと動いた。早く玉座に行けってば」
どうやら玉座なるものがあるらしい――というヒントを得ながらも、足元の骨を蹴散らし脱出すると、何事もなかったかのように歩き出す。
振り返ることは出来ないが、気配で憑いてきていることはわかる。
正直この時点で、すでに恐怖という感情はなかった。というのも、コイツの話し方が近所のギャルのようで、まるで緊張感がなかったからだ。
「出来れば開けないでほしいんだけどなあ」
わかってはいるが、聞こえていないよう振舞うためにワザと扉を開け放つ。
結果は先程と一緒。大量の骨の山が崩れ、それが通路へと流れ出る結果に。
「はぁ、やっぱり開けるよねえ。ここはどこの部屋も骨しか詰まってないんだけどなあ」
「うわ、ここも骨か」
「だからそう言ってんじゃん」
ワザとらしく言う俺に、まるで会話をするかのように合わせて来る。
これはうまく使えば情報を引き出せるのでは? と、次の部屋も豪快に扉を開け放つ。
「ここも骨か……。なんでここは骨ばかりなんだ? これを片付ける人も大変だなあ」
「お? コイツ人間のクセにわかってんじゃん。でもまあ、あんたが死んだらその魔力で片づけるから、気にしないでいいよ」
そしてついに、豪華な装飾がなされている扉の前に立った。
重そうな鉄扉。金持ちの家で見かける、ライオンの顔を模ったようなドアノッカーは、今にも吼えそうなほど精巧だ。
とは言え、やることは一緒である。耳を扉にくっつけて、慎重に向こう側の様子を窺う。
この先には魔物がいるかもしれない。死にたくはないし、相手の出方によっては開けずに引き返すつもりだ。
そのままの態勢で約三分。さすがにしびれを切らしたのか幽霊の女はご立腹。
「もお、早く開けなよお。誰もいないんだから、なにも聞こえるわけないのにぃ」
危険がなければと腕に力を込めると、金属の重い扉が軋みながらも開け放たれた。
眼前に広がる景色は地下ダンジョンとは思えないほど洗練された空間だった。恐らくは今までで一番の面積を誇るフロア。
複数の柱が大きなホールを支えているが、天井には光が届いておらず、それは闇に飲まれているようにも見える。
中央にはレッドカーペットが敷かれていて、一番奥には床よりも一段高いところに立派な玉座が鎮座していた。
所々に赤い布と金の装飾が施されており、普通の椅子より数倍大きいそれは、まるで巨人用かと思うほど。
素直なイメージとしては、西洋のお城にはよくある謁見の間といった雰囲気。そう例えたのは、玉座の上に王冠らしき物が置いてあったからである。
その作りは豪華。金で出来た冠に、煌びやかな宝石がこれでもかとあしらわれていて、売れば一生遊んで暮らせそうな価値がありそう。
しかし、それに舞い上がるほどバカじゃない。幽霊女の言動から察するに、何かしらの罠があって当然。
慎重に玉座の前まで進むと、黙って王冠を睨みつける。
「ほらほらあ。王冠綺麗でしょぉ? 被ってみたくなるよねぇ? 早く被って魔力ちょうだいよぉ」
先程とは一転して上機嫌。幽霊は楽しそうに、俺の周りをクルクルと回る。
これを被ると魔力を奪われ死に至る――ということなのだろうが、そうとわかればこんな物被るわけがない。
とはいえ、演技は必要だ。目の前の王冠を手に取り、隅々までくまなく調べるフリをする。
外見だけなら怪しい点も見当たらない普通の冠といった感じなのだが、専門家でもない俺が見たところで、何もわかるはずがない。
「バーカ。調べたって人間にはわかるわけないのに。そんなことより早く被ってよ。あ、そぉれ、かっぶっれ! かっぶっれ!」
確かに被ってみたいという人間心理を上手く突いているとは思うが、そんなことより幽霊女がめちゃめちゃ煽ってきて、正直ウザい。
とはいえ、コイツがいなければ、俺は魔力を吸われ死んでいたかもしれないのだ。
色々と教えてくれたお礼にちょっと期待を持たせてやろうと、王冠をゆっくり天へと掲げた。
「おっ? やっとか。これでダンジョンとしての機能を維持出来る……」
幽霊がホッとしたのも束の間。俺は被りかけた王冠を無造作に投げ捨てた。
「えいっ」
盛大に響く金属音。ガラガラとしばらく床を転がっていた王冠はようやくその動きを止めると、広間はシンと静まり返る。
「ええええ!? 嘘、なんで!? こいつ罠に気づいたの!? そんな……魔族でもないのに……。クソッ……こうなったら別の手段を……」
慌てふためいた幽霊は捨て台詞を残し、玉座の裏に聳える壁の中へとすうっと消えていった。
バレる覚悟でやったのだが、相手は真面目に捉えたらしく、俺は笑いをこらえるのに必死。
俺が話を聞いていることがバレた所で相手はこちらに干渉出来ないのだから、怖い物は何もない。
笑いの波が引いたところで辺りをざっくり見渡すも、これ以上進む道もなさそうだ。
あとは引き返すしかないのだが、こういうのは定番で玉座の下に階段が隠されていたり、壁に隠し通路があったりするもの。
そう思って玉座の裏側の壁を触って見ると、案の定俺の右手は壁を貫通した。
王道過ぎて正直ちょっと引いてしまうが、そこから顔を覗かせると、その先にはさらに下へと続く階段が。
「まだ下があるのか……」
ぽそりとつぶやき、いい加減うんざりしながらも、俺はしぶしぶ階段を降りて行った。