果樹園の周りに壁をつくってから数日が経過したわ。
ワイとケイナは、最低限の警戒はしつつも、のんびりしとった。壁を作った効果が大きかったんか、それとも単純に連中の準備が整ってないだけか、果樹園を襲ってくるもんはおらんかった。
空は晴れ渡り、穏やかな風が枝葉を揺らしとる。熟れた果実の甘い香りが鼻をくすぐり、時折、鳥の囀りが響いた。こんな平和が続けばええのにな、なんて気楽に考えた矢先やった。
「……ナージェさん」
低く抑えた声。ケイナの視線は果樹園の奥を向いとる。風に乗って、ほのかに土と草の匂いが流れた。
「ああ。ワイも気付いとるで」
果樹園の中に、人の気配がある。一人や二人やない。五人ぐらいはいそうや。あちこち動き回る足音は、獲物を狙う獣のそれとは違う。慎重なようでいて、どこかぎこちなく、迷いと焦りが混じった、不慣れな足取りやった。
「チッ! 高い壁があっても、侵入しようと思えばできるか……」
舌打ちが無意識に漏れた。三メートルの壁。本来なら、普通の奴はそう簡単に登れる高さやない。
普通の防犯なら、それで十分やったはずや。高い壁がある時点で、大抵の泥棒は面倒くさがって他を狙うもんやからな。けど、侵入者の足音を聞く限り、そいつらはその常識を覆してきたっちゅうことや。
道具を使えば壁を登ることは可能やろう。とはいえ、それには多少の時間がかかる。普通の城塞戦なら、その間に防衛側が迎撃の準備を整えるところや。けど、この果樹園には”防衛側”がまともにおらん。今、ここにおるのはワイとケイナだけや。
ケイナは戦えん。ワイも”半殺し”の能力でボコるくらいしかできん。壁を登っとる奴らを遠距離から落とす術もなければ、敵の侵入を察知する特別な能力もない。今こうして気配を感じ取れたんも、単に相手の気配消しが雑やったからや。
「どうしよう? とりあえず、私が様子を見て……」
「いや、ワイが見てくるわ。ケイナはここに隠れとけ」
ケイナは一瞬口を開きかけたが、ワイの目を見て、こくりと頷く。反論するより、任せた方がええと判断したんやろう。
ワイは気配がした方へ向かった。夜の闇に身を溶かし、足音を殺しながら果樹園の影を縫うように進む。空気はひんやりと冷たく、肌を撫でる夜風が、じわりと冷気を忍び込ませる。鼻腔を満たすのは、熟れた果実の甘い匂いと、ほんのりと湿った土の香り。耳を澄ませば、かすかに葉擦れの音と、遠くの虫の鳴き声が聞こえる。
慎重に、一歩、また一歩と進む。踏みしめる草葉の感触が、靴底越しにじんわりと伝わる。息を潜め、闇に溶け込むようにしながら、気配のする方へと近づいていった。そして、月光の下にぼんやりと浮かび上がる影を捉えた。
そこにおったのは、小汚い子どもたちや。
人数は五人。年齢はバラバラやが、どいつも似たり寄ったりのボロ布みたいな服を身にまとい、肌は泥にまみれとる。痩せ細った手足からは、まともな食事を取れてへんのが見て取れた。今にも死にそうな状態やったケイナよりはマシやけど、こいつらの状態も大概やな。
そいつらは、懸命にリンゴをかき集めとった。震える手でそれを抱え込み、まるで命綱みたいにしがみついとる。リンゴの赤い皮が、かさついた小さな指の間で月光を受けて鈍く光る。その手の震えは、寒さのせいなんか、それとも飢えのせいなんか。
ワイは、しばらく黙って様子をうかがった。子どもたちは必死にリンゴを拾い続けとるが、周囲に気を配る余裕なんてなさそうやった。まるで獲物を貪る小動物みたいに、ただ食べ物にすがることしかできへんのやろう。
せやけど、このまま黙って見過ごすわけにもいかん。
「なにしとんねん」
ワイの声に、子どもたちはビクッと肩を震わせた。反射的に顔を上げ、揃ってワイを見た。
その目に浮かぶ感情は、驚きと恐怖――でも、それだけやない。飢えた獣みたいな必死さも、そこにはあった。咄嗟にリンゴを隠そうとする子、息をのんで後ずさる子、互いに視線を交わしながら動揺しとるのがわかる。
けど、ワイの問いには誰も答えず、次の瞬間には反射的に散り散りに駆け出した。
「逃げられると思っとるんか? 三メートルの壁に囲まれたここに、逃げ場は――」
そう言いかけたところで、ワイはふと気付く。なら、そもそもどうやって侵入したんや。
三メートルの壁は、中級以上の冒険者ならともかく、子どもにはキツイはず。縄も梯子もなしでどうやって?
「……あっ、そういうことか」
ワイは、なるほどと思った。
子どもたちは迷いもせず壁際に駆け寄ると、流れるような動きで四人がしゃがみ込み、互いに肩や背中を支え合って即席の台をつくる。まるで長年の訓練を積んだ兵士のような無駄のない連携やった。
最後の一人がその上に飛び乗ると、ぐっと腕を伸ばし、指先を壁の縁に引っ掛ける。軽々とよじ登り、あっという間に壁の上へ到達した。そいつは迷うことなく下へ手を差し伸べる。すぐさま別の一人がその手をつかみ、スルリと登る。その動作を繰り返し、わずか十秒足らずで全員が壁の向こうへ消えた。
あのしなやかな動き、迷いのなさ。こいつら、何度もこうやって生き延びてきたんやろな。
「器用なもんやな。感心するわ」
呆れとるはずやのに、口をついて出たのは感嘆の言葉やった。
確かに、ワイはリンゴを盗まれた側や。せっかく育てた実をタダで持っていかれるのは腹立たしい。けど、それ以上に、あのガキどもが見せたチームワークと生存への執念に、妙な感心すら覚えてしまうんや。
あいつらは、金目当てやない。食うに困っとるだけや。換金性の高いマンゴーやなくて、食べごたえのあるリンゴばっかりを盗んだのがその証拠や。飢えとる時、人間は柔らかい果物よりも腹持ちのするもんを選ぶ。
そもそも、壁をつくる前からたまにリンゴ泥棒はおった。この数日は平和やったけど、今さらちょっと盗まれたところで激怒するほどのモンではないわな。
もちろん、こっちも慈善事業でやっとるわけやない。苦労して育てたリンゴを好き勝手持っていかれて、大歓迎ちゅうわけにはいかん。けど――リンゴを惜しんでガキどもが野垂れ死ぬんも目覚めが悪い。
ワイはポケットから一つ、小ぶりなリンゴを取り出し、ぽんと放り投げた。赤い実は弧を描き、手のひらに収まる。
「……今度は、ちゃんと渡したるか」
そう呟いて、ワイは夜の空を仰いだ。壁の向こうには、腹をすかせたガキどもがまだおる。風がそっと吹いて、リンゴの甘い香りを運んだ。
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