百子はお風呂から上がると、リビングでソファーに座り、テレビを見てくつろいでいる陽翔の背中に声をかける。陽翔は頷いてテレビを消し、自分の隣をぽんぽんと叩く。百子はちょっと待ってと告げてから台所に一度行き、二人分の麦茶を入れたグラスを持ってきた。
「俺が急かしておいて何だが……今日話しても大丈夫なのか?」
彼の心配そうな表情を尻目に、百子は麦茶をテーブルに置いて首を振った。
「……うん。もう決めたから。東雲くんを不安にさせたくないのもあるけど」
百子は陽翔の隣に座り、一度麦茶を飲んでから深呼吸を3回ほど行った。正直弘樹に会って罵詈雑言を吐かれたことは思い出したくも無いし、何なら言いたくもない。浮気された自分が惨めに思えてしまうし、それを話すと陽翔に嫌われてしまうことを何よりも恐れていた。
(でも……話すって決めたもん。ちゃんと言わなきゃ……)
百子は下を向きながら、打ち上げの後に起こったことをぽつりぽつりと話し始めるが、途中言い淀んだりつっかえることがあった。弘樹に会って言われたことを思い出すのは苦痛以外の何物でもなく、それを唇に乗せるごとに、自分の心がひび割れる音が聞こえそうだった。泣くまいと堪えていたが、最後はしゃくりあげながら話す羽目になった。陽翔は元彼に会ったという言葉から既に眉を顰めていたが、話が終わると怒りのあまり目の前が真っ赤になりそうな心地がして、クッションに八つ当たりしたいのをすんでのところで我慢した。百子を怯えさせたく無かったからである。
「……ふざけんな! よくもまあそんなことを平気でほざけるもんだ! 自分が悪いことをしたくせに、他人のせいにできるなんてどれだけ性根が腐ってんだよ! 茨城、別れて正解だったな」
百子の嗚咽が酷くなり、陽翔はいたたまれなくなって彼女の肩に手を置く。彼女が更に体を折ってむせび泣くので、その体勢が辛そうに見えた彼は、恐る恐る百子を引き寄せて抱き締めた。彼女の体がびくっと震えたので、跳ね除けられることを覚悟して腕を緩めたが、百子が陽翔の胸にしがみついたことで、再び抱きとめる腕に力を込める。人目をはばかることなく、わんわんと泣く彼女の頭を陽翔はゆるゆると撫でた。
「辛いのに、話してくれてありがとうな。せっかくの打ち上げが台無しになっちまったな……すまん、急かすんじゃなくて、お前から話してくれるのを待つべきだった。昨日のお前を見て何となく嫌な予感がしたから、早く話すと楽になれると思ったんだが……確かに朝に話すのは嫌かもな」
百子が赤い黒目を陽翔に向けたので、陽翔は頭を撫でていた手を彼女の背中に移動させた。
「嫌いに、ならない、の? こんな、話をした、のに……? 私、は……浮気された人間、なのに……?」
「何言ってんだよ。浮気する側が100パーセント悪いに決まってんだろうが。裏切り行為というか背信行為だ。仮に何かお前に問題があったとしても、それはちゃんと話し合って解決すべきだ。話し合いに持っていけないのなら、ずっと関係を続けるのは無理だと思うから別れた方がいいと俺は思うぞ。お前は辛いだろうが、その程度の奴だって露呈したいい機会とも捉えられる。もし結婚とかして子供もできたら、それこそ地獄だろうからな」
百子は戸惑いながらも緩く頷く。きつめな言葉に感じられたが、彼の言うことはもっともである。
「そうね……話し合いはちゃんとしないと……持ちかけたことはあったんだけど、応じてくれない時点で諦めるべきだったわ……」
陽翔は眉を少しだけ上げた。
「話し合いはしたのか……良かったらその時のことを聞かせてくれるか? 辛いなら言わなくていいが」
百子は首を振って続けた。彼に吐き出したためか、多少涙声はするものの、つっかえることはなかった。
「うん……あのね、元彼と半年前にいきなりセックスレスになって……何でって聞いたけど、お前とはできないとしか言われなくて。私に問題があると思って、そのことを話し合おうと持ちかけたんだけどはぐらかされて……まあ私もその時は残業増えたり仕事が忙しくなってあんまり時間を取れなかったのもあって放置してたんだけど……流石にデートの約束まですっぽかされて喧嘩したわ。その時も弘樹はお前が掃除や料理をサボったりしたからだとか、色々なじられたわね……思えば半年前から弘樹は私にチクチク言うようになってたかも。きっと浮気はそこから始まってたんだわ……」
「それってモラハラじゃねえか。確かに浮気したらパートナーにモラハラする輩もいると聞いたが、まさか本当にいるとは思わなかった。まあお前の元彼の本性はそっちだったってことだな。尚更別れて正解だ」
彼に未練などない百子は迷うことなく頷いたが、再び涙が目の縁を追い越して溢れてしまう。陽翔はテーブルにあるティッシュで百子の涙を拭いた。
「……そうね、そこは良かったかも。あれが本性だと思うと何か騙された感じがして悔しいけど、ボロがでたことは喜ぶ所……かな。あんなことされたせいで荷物も取りに行きにくいのが嫌だけど……」
百子は色々な意味でがっかりとして下を向いたが、次の陽翔の言葉に目を剥くことになる。
「なあ、もし茨城さえ良ければだが……俺と一緒に住まないか?」