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放課後の喧騒を抜け出し、駐輪場でスマホを取り出した悠真の指先は、わずかに震えていた。
普段は連絡事項以外で使わないメッセージアプリを開き、美月へのトーク画面を呼び出す。
(ちょっとマズい事態が発生しました)
送信ボタンを押すと、ほどなくして「既読」がついた。
(え? 何があったの?)
すぐに美月から返信が来た。
(昨日、コンビニで会っている所を白石さんに目撃されました)
(え? 大丈夫なの?)
(実は……後ろにいるのは気づいていたんですが……対処しきれず。すいません)
(ううん、謝らなくていいよ)
(で、見られただけならまだ、ごまかせたと思うんですが、会話の内容も聞かれていて)
(ああ……うん。それはもう、ごまかしようがないかもね……)
(で、周りに黙っておいてほしいとお願いしたんですが、何で?って……)
(話したの?)
(事情がある、と。でも引き下がらず聞いてきたので、これ以上話すのは美月さんの承諾がいると言ったんですが……)
(もしかして、3人で会いたいって言われた?)
悠真は、画面を見つめたまま数秒硬直した。
(え、なぜ分かったんですか? その通りです。今日、21時半、昨日のコンビニで……と)
(そっか……ソラちゃん、昨日初めて会っただけだけど、すごい好奇心強そうだし、恋バナとか好きそうだしね)
(素晴らしい推察力ですね……すいません、隠し通せなくて)
(ううん、認めた上で口止めする、って判断したんだよね。私、悠真君の状況判断能力を全面的に信頼してるから)
胸の奥が、熱くなるのを感じる。美月の言葉は、いつも悠真の凍りついた演算回路を優しく溶かしてしまう。
(買い被りすぎですよ)
(……でも、女の子のデータ蓄積が少ないからな~。そこの判断は信用しすぎたらダメかも……なんちゃって)
(おっしゃる通りです)
(また固い文章~。じゃあ、バイトの休憩時間を合わせて、その時にさくっと対策考えようか)
(よろしくお願いします)
(じゃあ、あとでね。大好きだよ)
(僕もです)
スマホを閉じると、悠真は一度大きく息を吐いた。
だが、安堵は長く続かなかった。昼間、学校という「オフ」の領域で無理やりエンジンを回し、強制再起動(リブート)した代償は、確実に彼の脳と体に蓄積していた。
――18時。ファミリーレストラン『クローバー』。
店内は夕食時のピークに突入していた。
悠真は、いつも通り完璧だった。ホールの動線を秒単位で予測し、美月や他のスタッフに的確な指示を飛ばす。
「3番テーブル、バッシング。5分後に5名様のご案内が可能です」
「瀬戸さん、2番のお客様のデザート、タイミングをあと2分遅らせてください」
その姿は、周囲から見れば冷徹なまでに正確な「司令塔」そのものだ。
しかし、悠真の内側では、警告灯が点滅し続けていた。
(……思考のリソースが、足りない。……演算速度が、落ちている……)
20時を過ぎた頃。客足が少し落ち着きを見せた瞬間だった。
ふっと、視界が歪んだ。
目の前の端末の文字が意味をなさなくなり、脳内を支配していた膨大なログが、一気にシャットダウンされる。
「水瀬くん!?」
美月の悲鳴のような声が聞こえたのを最後に、悠真の意識は暗転した。
どれほどの時間が経っただろうか。
目を開けると、そこはスタッフ休憩室のソファだった。後頭部に伝わる、柔らかく温かい感触。美月が彼を膝枕し、濡らしたタオルで額を冷やしていた。
「……あ……瀬戸、さん」
「よかった、気がついた。……無理しすぎだよ、悠真くん。学校でもずっと気を張ってたんでしょ?」
美月の瞳には、隠しきれない不安と慈愛が滲んでいる。彼女の手が、悠真の頬を優しく撫でた。
「今日ソラちゃんと会うの、やめようか。私だけコンビニ行って、また今度にして、って伝える。今日はもう、このまま帰って休もう?」
その甘い提案は、今の悠真にとって最大の誘惑だった。
だが、彼は弱々しく、けれど拒むように首を振った。
「いいえ。……今日、会うべきです」
「でも、こんな体じゃ……」
「……早いうちに、ちゃんとした方がいい。僕が昼間、出した最適解は……できるだけ早く、白石さんに2人のことを共有することです。先延ばしにするほど、バグは制御不能になり、情報漏洩リスクは高くなってしまう……」
眼鏡の奥の瞳が、少しだけ熱を帯びて美月を見上げる。
「それに、あなたを……不安にさせたくない。僕が招いた事態ですから、僕が立ち会って終わらせたいんです」
美月は困ったように、けれど幸せそうに微笑んだ。
「……わかった。悠真くんの『最適解』、信じるね。でも、あと30分。ここで寝てなさい? 司令塔さん」
美月の膝の上で、悠真は短く「はい」と答えた。
「でも、このままの体勢はちょっと……もし、店長たちに見られたら……」
「そうだね」美月は名残惜しそうに言った。「ごめんだけど、1回起き上がってくれる?」
悠真が身を起こすと、美月は立ち上がり、いたずらっぽく言った。
「私の膝枕、どうだった?」
「……柔らかくて、気持ちよかったです」
悠真は、計算機のように正確で、かつ一切の邪念がないトーンで素直な感想を述べた。
「なんか、やらしい」
悠真のあまりにストレートな言葉に、美月は顔を赤らめながら、困ったように眉を下げてそう言った。本音とも照れ隠しとも取れる、複雑な乙女心だ。
「そんな、やましい気持ちはなくて……」
「いいのいいの、冗談。気にしないで」
慌てて弁明しようとする悠真を制止するように、美月が言った。
「じゃあ、店長に悠真くんが目を覚ました、って報告してくるね。悠真くんの上がりまであと少しだから、そのまま帰っていいよ、って店長言うと思うけど」
「膝、貸してくれてありがとうございました。この額のタオルも」
「私の膝と、タオルを同列扱いするかなあ」
美月が拗ねた口調で唇を尖らせながら言った。
「なんか……すいません」
謝る悠真に対し、美月が首を振りながら悠真の頭をなでた。
「この後に備えて、ゆっくり休むんだよ。じゃあね」
頭をなでた手をそのままフリフリし、美月は休憩室を後にした。
悠真も手を振り返して美月を見送ると、再びソファに身を横たえた。そして、先ほどまでの美月の柔らかくて甘美な感触を反芻する。
(美月さんの膝の上、フワフワで気持ちよかった…)
その感触のおかげか、異常過熱していた悠真の脳内は、穏やかなスリープモードへと落ち着いていた。
(来たるべき「三者面談」に備え、今は静かに眠れ……クールダウンだ……。)
外は冷たい夜の帳が降りている。21時半。三人の運命が交錯する刻限が、刻一刻と近づいていた。