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これ、最近の出来事ですね!
「それでも、あなたに名前を呼ばれたかった」
目が覚めた。
また今日も、生きてしまった。
ベッドの天井には、昨日と同じ染みがある。
白い天井は、いつの間にか灰色がかって見えて、
光はすっかり鈍くて冷たい。
何回、ここで目を覚ましただろう。
数える意味も、もうとっくに失われている。
それでも――目を開けた。
それでも――息をしてる。
ほんの少し、誰かの声が聞こえる気がして。
「……誰か……」
声にならない声でつぶやく。
返事はもちろん、ない。
この病室は、相変わらず静かだ。
病気は少しずつ良くなってきてる。
熱も下がった。
咳も減った。
医者は、「順調ですね」って言ってくれる。
でも、そんな言葉のどこに希望があるんだろう。
健康な身体に戻ったとして、
その身体で何をすればいいの?
この先の人生に、「生きていてよかった」と思える未来なんてあるの?
リモコンでテレビをつける。
ニュース番組が流れていた。
事件、事故、政治、経済、芸能人の結婚報道。
そのどれもが、今の自分には関係のない話。
誰かが笑ってる。
誰かが泣いてる。
けど、それらすべてが、遠い国の知らない人の物語みたいに感じる。
「わたしのことなんて、誰も知らない」
ぽつりとそう呟くと、
自分の声が、やけに冷たく響いた。
一日が始まって、
でもその一日は、何も起こらずに終わる。
昨日も、今日も、たぶん明日も、
同じ場所で、同じ思考の中を、ぐるぐると彷徨っている。
スマホを開いた。
通知はゼロ。
LINEの一番上は、半年以上前の「またね」だった。
その人も、今どうしてるんだろう。
あのとき、ほんの少しだけ「助けて」って打ちかけたメッセージを、
消して、送らなかったこと。
今でも、時々後悔する。
でも、たぶん、あの人に助けられたとしても、
またすぐ壊れてしまったと思う。
誰かに頼るには、わたしはあまりにも歪んでいて、
人に甘えることが「罪」に感じるくらい、
自分を責める癖が染みついてしまっていた。
だから、ひとりでいいって思っていた。
本当は、そんなわけなかったのに。
夕方、看護師さんがカーテン越しに声をかけてきた。
「お風呂、どうしますか?」
返事に少し迷ったけれど、
「……行きます」と言った。
このまま腐ってしまいたい気持ちと、
人間でいたいと願う気持ちの、
どちらも持て余している。
浴室へ歩く足取りは、重かった。
身体が回復しても、心は重さを増していく。
鏡に映った自分は、別人だった。
髪はぼさぼさで、目の下にはくっきりとしたクマ。
顔色は青白く、血の気がない。
ああ、誰が見ても「病人」なんだ。
でもこの姿のほうが、本当の自分に近い気がした。
笑顔を貼りつけてるときより、
ずっと自然で、ずっと苦しくて、
そして、ずっとリアルだった。
湯に浸かりながら、
「このまま沈めたら楽なのにな」と思った。
でも、お湯の中では、涙が出てもバレないから。
目を閉じて、じっとして、心だけを遠くに逃がした。
どこか、知らない街の、知らない人の心のなかへ。
誰も知らない場所で、もう一度、生まれ変われたら。
病室に戻ると、ベッドの上に紙袋が置いてあった。
見覚えのある文字。
名前の書いていない差出人。
でも、それだけで胸がぎゅっと痛んだ。
そっと中を見ると、
小さな手紙と、
やわらかい色の飴がいくつか入っていた。
手紙には、たった一言だけ。
「いま、すぐにじゃなくていいから、
あなたがちゃんと笑える日が、いつか来ますように」
涙が止まらなかった。
意味もわからず、何度も何度も読み返した。
字の形をなぞるように、指で触れた。
その言葉をくれた誰かが、
今どこで何をしているのか、
それはわからないけれど――
たったそれだけで、
今の自分の命が、ほんの少し「意味を持ってもいいかもしれない」って
思えてしまった。
夜がきた。
点滴の音は今日も同じリズムで鳴っていた。
でも今日は、窓を開けてみた。
外の風は、夏のにおいがした。
夜の街の明かりが、かすかにきらきらしていた。
そこに自分の居場所はないと、今も思ってる。
でも、ほんの少しだけ、
「あの明かりの中に、あの人がいるかもしれない」と思えた。
「もし――また名前を呼んでもらえたら」
「もし――ちゃんと『生きててよかった』って思えたら」
そんな”もし”ばかりを並べて、
それでも今夜は、少しだけ呼吸が深かった。
もしかしたら、
わたしはまだ終わりたくなかったのかもしれない。
心はまだ折れたままだけど、
明日も目が覚めてしまうなら、
せめてそのとき、
誰かの優しさを、忘れないでいられますように。
「……お話があります」
主治医の先生が、いつもより深刻な顔でそう言った。
病室の空気が、急に冷えた。
隣に座る看護師さんも、目を伏せている。
なんとなく、察してしまった。
心が、先に反応してしまっていた。
ああ、そうか。
そういう話なんだなって。
でも、聞かないわけにはいかなかった。
この現実を拒んだところで、
身体は確実に変化していて、
それはもう戻らないところまで来ているのかもしれないから。
医者の口元が動いて、言葉が流れてくる。
でも内容は、音として頭に入ってこなかった。
「進行が想定以上に早く……」
「現時点で、治療の選択肢が……」
「おそらく、余命は半年程度……」
その言葉だけが、
妙にくっきりと耳の奥で響いた。
半年。
あと、半年。
ふと、病室の窓の外に目をやる。
変わらない景色。
ビル、空、雲。
さっきまで普通に見ていた光景が、
急に、世界の終わりみたいに見えた。
「……わかりました」
自分でも驚くほど、冷静な声が出た。
泣かない。
取り乱さない。
医者の前で泣くのは、なんだか違う気がした。
だってあの人たちは、事実を伝える役割を果たしただけ。
泣きたくなるのは、きっとこのあと、
夜になって、ひとりきりになってからだ。
医者が出て行ったあと、
静かになった病室に、
時計の針の音だけが響いていた。
あと半年。
それって、長いのか、短いのか。
数えてみる。
一日、二日、一週間、一か月――
六月、七月、八月……
年末まで、生きられるかどうか。
もう一度、冬を見られるかどうか。
何をすればいいんだろう。
なにか、意味のあることを。
後悔のないように。
――なんて、綺麗ごとすぎて吐き気がした。
わたしの人生、今まで意味なんてあった?
誰にも必要とされず、
誰にも愛されず、
逃げて、隠れて、
それでも生き残ってきたのは、
ただ「死ぬ勇気がなかった」から。
そんな人生の最後の半年に、
なにをすればいいっていうんだろう。
スマホを手に取る。
誰かに伝えたほうがいいのかな、と思った。
でも連絡する相手が思い浮かばない。
家族は、もうほとんど縁が切れてる。
友達――いた気もするけど、もう何年も会ってない。
もし突然「余命半年なんだ」なんて言われても、
返事に困るだけだろう。
迷惑になる。
重たすぎる。
そう思って、またスマホを置いた。
伝えるべき人がいないって、
本当に孤独なんだなって、初めて実感した。
その夜、眠れなかった。
天井を見つめながら、
「死ぬ」ってどういうことなんだろうって、考えた。
眠るみたいに静かに終わるのか。
それとも、苦しくて、怖くて、叫びながら終わるのか。
わからない。
知りたくもない。
でも、確実にそれは近づいてきてる。
それでも――心のどこかで、
「本当は間違いだった」って、
誰かが明日そう言ってくれるんじゃないかって、
そんな奇跡を願ってしまう。
けれど、朝が来ても、
医者はやっぱり真面目な顔で「治療計画」を話していた。
奇跡なんて、ドラマの中でしか起きないんだ。
もしあと半年で死ぬのなら、
何をしておきたい?
行きたかった場所。
話したかった人。
伝えたかった想い。
でも、何も出てこなかった。
やりたいことなんて、思いつかない。
生きていた証なんて、何一つ残せてない。
それでも――
もしひとつだけ、願いが叶うなら。
「あなたに、名前を呼ばれたい」
たったそれだけだった。
一度でいい。
この世界のどこかで、
わたしという存在を、あなたが覚えていてくれたら。
名前を口にしてくれたら。
笑って「生きててよかったね」って、言ってくれたら。
それが叶わなくても、
その願いを胸に抱いたまま、
わたしは静かに、
最後の日までを数えていくのかもしれない。
半年。
死までの、カウントダウン。
でもきっと、
それは「本当の人生が始まるための時間」なんだと、
いつか思える日が来ることを、
少しだけ、信じてみたい。
余命半年。
それは、死刑宣告のような響きだった。
でも、不思議と泣けなかった。
すでに何もかもが終わったような気がして、
感情の出し方すら思い出せなかった。
最初のうちは、時計の針ばかり見ていた。
あと何時間生きるんだろう。
あと何回、この病室で朝を迎えるんだろう。
食事も、睡眠も、心からは受け入れられなかった。
死ぬとわかっているのに、なんで食べなきゃいけないのか。
目を閉じたら、そのまま死ねたらいいのに。
そんなことばかり考えていた。
でも、ある日――
ベッドの脇に、見知らぬ看護師さんが立っていた。
新しく配属された人らしい。
年の近そうな女性で、どこか優しい目をしていた。
彼女は毎日、ほんの短い時間、わたしに話しかけた。
「今日は本、読みました?」
「最近少しだけ、気温が春っぽくなりましたね」
そのどれもが、どうでもいい会話だった。
でも、その「どうでもよさ」が、
どこか救いだった。
死に向かっている人間に、
普通に、なんの気負いもなく話しかけてくれる人。
それだけで、自分がまだ「人」として扱われている気がした。
ある日、彼女がふと聞いてきた。
「残りの時間で、やりたいことってありますか?」
思わず、黙ってしまった。
そんなの、何もない。
言葉にしようとしても、出てこない。
でも、少しだけ考えてから、ぽつりと答えた。
「死ぬ前に、一回でいいから……
『生きててよかった』って思ってみたい」
彼女は、驚いたように目を丸くしてから、
ゆっくり笑った。
「それ、素敵な目標だと思いますよ」
その笑顔を見たとき、
胸の奥がきゅっと苦しくなった。
ああ、わたし、まだ――
誰かの笑顔を「嬉しい」と思えるんだ、って。
それから少しずつ、わたしは日記を書くようになった。
きっかけは彼女がくれた小さなノートだった。
「何でも書いていいです」と言って、そっと渡されたそれに、
最初は短い言葉だけを書いた。
「朝、空が青かった」
「テレビのドラマが、少し面白かった」
「今日は目が覚めた」
それだけでも、十分だった。
書きながら、
“今日を生きた”って実感するようになった。
ある夜、夢を見た。
広い野原を、裸足で歩いていた。
風が優しくて、草の匂いがした。
誰かが手を引いてくれていた気がするけれど、
目が覚めるころには、その手のぬくもりだけが残っていた。
そして、ふと、思った。
「ああ……まだ、死にたくない」
その言葉を心の中で繰り返すたび、
涙が溢れた。
病院の検査は、定期的に続いた。
主治医は、わたしの変化に少し驚いていた。
「最近、表情が柔らかくなりましたね」
そう言われて、自分でも気づいた。
人の言葉が届くようになっていた。
空の色が綺麗だと思えるようになった。
食事の味がわかるようになっていた。
それでも、病状は変わらなかった。
死に向かっていることは、確かだった。
でも、そのことが
もう、前ほど怖くなくなっていた。
終わることよりも、
「まだ今がある」ことのほうが、
ずっと意味があった。
そしてある日。
彼女が病室に入ってきた。
いつものように笑って、わたしの前に座る。
「ひとつ、伝えたいことがあるんです」
何かあったのかと、思わず息をのむ。
彼女は、静かに言った。
「最新の検査の結果……思ったより、状態が安定しています」
「先生たちも驚いてました。
もしかしたら、余命、もっと伸びるかもしれません」
言葉が出なかった。
何度も瞬きをして、耳を疑って、
それでも彼女の目はまっすぐだった。
「死なない、とは言えません。
でも……“今日が最後”じゃないかもしれない」
気づけば、目から涙が零れていた。
怖かったからじゃない。
悔しかったからでもない。
「生きてもいい」と、
誰かに許された気がして、
それだけで、胸がいっぱいだった。
あと半年。
その言葉は、今も私の中に残ってる。
でもそれはもう、「死ぬための時間」じゃない。
「生き直すための時間」になった。
何をしても遅いかもしれない。
何も成し遂げられないかもしれない。
でも、それでもいい。
誰かの優しさを覚えていて、
誰かを好きになれて、
今日を生きたいと思えた。
わたしは、
「終わり」を歩きながら、
ようやく「生きること」に出会えたんだと思う。
だから、
今日はもう少しだけ、目を閉じる。
また目が覚めたとき、
新しい今日に出会えるように。
コメント
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私の余命あげようか??私なんかが消費者だったら私の余命もかわいそうだわ() 看護師さぁん、、優しい人やねぇ、😭😭LINEとかでのおはようでさえ生きる希望になるひとだっているんよね、、その何気ないことがまだうれしいんよね、😭
看護師さん…マジでいい人だね あの一冊のノートには何気ない日常を書いている、 その小さなひとときを一つ一つ残しているの いいことだと思う 余命伸びろっっ!!!!!!((
少しでも生きる希望が見つかってくれて良かった……別に死にたいだとか思っても悪くないけど、でもやっぱ生きてて欲しいな…