テラーノベル
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「来るぞ」
賢者のおっさんの声は低く、短かった。
さっきまで澄んでいた空が、ゆっくりと濁っていく。風が止み、草原が不自然なほど静まり返った。
「魔王軍だ。斥候だが、数は少なくない」
「え、初の対人戦がいきなりそれ?」
俺は反射的に愚痴ったが、身体はちゃんと動いていた。
ブラック企業で培った**“指示が来る前に動く癖”**が、こんなところで役に立つとは思わなかった。
遠くから現れたのは、人型に近いがどこか歪な影。
黒い鎧、赤い目。三体……いや、四体。
「魔族兵。下っ端だが、人を殺すことに躊躇がない」
「最悪だな」
俺は一歩前に出そうになり、すぐに止められた。
「前に出るな。お前は囮だ」
「言い方!」
だが次の瞬間、魔族兵の一体がこちらに気づいた。
「――発見。転生反応、確認」
ぞっとするほど機械的な声。
視線が、一直線に俺へ向く。
「お前、目立ちすぎだ」
「転生者だから!?」
魔族兵が走り出す。速い。明らかに人間より上だ。
「どうする!? 魔法まだ撃てないぞ!」
「撃たなくていい」
賢者のおっさんは、俺の背中を軽く叩いた。
「お前の“仕事”をしろ」
一瞬、意味がわからなかった。
だが、身体が先に理解していた。
俺は一歩前に出て、深く息を吸う。
「……すみません、こちらの不手際です」
魔族兵が、ピタリと止まった。
「現在、状況を確認中――」
「すぐ対応します。確認事項はありますか?」
自分でも驚くほど自然な声だった。
怒らせず、逆らわず、しかし主導権を握る――社畜の処世術。
【固有スキル:社会人経験(ブラック)】
【理不尽耐性:発動】
【上司系モンスターへの威圧効果:強】
魔族兵たちがざわつく。
「命令系統、混乱……」
「上位存在……?」
「今は対応中ですので、一旦下がっていただけますか」
俺がそう言った瞬間、魔族兵の一体が膝をついた。
「了解……撤退を……」
その背後で、残りの一体が叫ぶ。
「違う! こいつは敵だ!」
次の瞬間、黒い魔力が俺に向かって放たれた。
「危ね――!」
反射的に腕を上げた、その時。
身体の奥で、何かが“通った”。
腕から、淡い光が走る。
魔力が、初めて意思を持って流れた感覚。
黒い魔力は、逸れた。
「……今の、俺がやった?」
「そうだ」
賢者のおっさんが、静かに言った。
「恐怖と責任が重なった瞬間、魔力は動く。お前はそれを、嫌というほど知っている」
残った魔族兵が、明確な敵意を向けて構え直す。
「転生者……排除対象」
「やっと本番かよ」
俺は一歩、前に出た。
「――じゃあ、こちらから報告です」
拳に、ぎこちないが確かな魔力を集める。
「現場は俺が抑えます」
賢者のおっさんが、後ろで小さく笑った。
「いい顔になったな、無職」
無職三十路。
異世界転生。
初仕事は――魔王軍対応だった。
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