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「おはようございます、さかえ義兄さん」
「おはよー、はるちゃん」
数日後。僕は「笑い自殺事件」の記事をまとめてネットに上げた。
「優しく死にいざなう地獄の門」。読んだとき、義兄はなんとも言えない顔をして僕の髪を撫でてきた。
「絶望も、生きていくためには必要なんだね」
納得したような、していないような、そんな声で。
「はるちゃん、今日の予定は?」
「今日、外へ取材に行く予定です。動画配信者さんが自分の経験を取材してほしいって」
「そっか。気をつけて行っておいで」
——僕は。
僕は、未だにあの音が聞こえるような気がする事がある。
岩がこすれるような、軋むような音。
耳をすませてはいけないとわかっている。
姉にも、義兄にも、そっちは僕の行くべき場所ではないと言われた。
だから僕は、音が聞こえそうなとき、姉に買ってもらったボールペンと、義兄に買ってもらった手帳を握りしめる。
まだ、絶望をすべて捨てるときではないのだと。
そう、自分に言い聞かせる。
姉の優しい声を。
義兄に振り回される苦労を。
今は、捨てることはできないと。
きっと、僕は今後も怪異に巻き込まれ、義兄に苦労をかけて生きていくことになるのだろう。
好奇心の赴くまま、不思議な現象を追いかけて、取材して、記事にして。
そのせいで、危険な目に合うこともあるかもしれない。
それでも、この世界への執着だけは、手放さないように。
机においておいた手帳とボールペンを手に取り、カバンに入れる。階段を下り、和室にある仏壇に、静かに手を合わせた。
「……行ってくるね、姉さん」
仏壇の遺影はほのかに笑っている。記憶の中の姉のように。
部屋を出て、リビングでりんごジュースを飲んでいる義兄の方を覗き込んだ。
「義兄さん、お昼ごはん冷蔵庫に作り置きしてありますから、時間になったら温めて食べてくださいね」
「お、やったね、ありがとう!」
嬉しそうな義兄の声を背中で聞いて、玄関で靴を履く。玄関のドアノブを握り——ふと顔を上げて後ろを振り返った。
「行ってらっしゃい」
義兄が笑っている。へら、と力の抜けた笑顔を見返して、僕は頷いた。
「はい、行ってきます」
ドアを開けて歩き出す。
スマホを取り出し、スケジュールアプリを呼び出した。
「……『事故物件滞在動画配信者、ほだちゃさんの取材』、駅前のカフェ、と」
駅までは歩きで行ける。スマホをカバンにしまって、歩調を速める。
事故物件だとか、義兄さんに知られたらまた叱られそうだな、なんて他人事のように考えながら。
コメント
1件
みぅだけど、読ませてもらったよ……🤍 「まだ、絶望をすべて捨てるときではない」っていう台詞がすごく刺さった。喪ってからどう日常を取り戻すかって、きっと簡単じゃないよね。でもはるちゃんが義兄さんに作り置き弁当を用意して、仏壇に手を合わせて、ボールペンと手帳を握りしめて外へ出ていく――その一つ一つの行動が「それでも生きる」って決意に思えてさ。最後の事故物件取材、ちょっと心配になるけど(また叱られるやつだね…笑)、それも彼女らしいなって思った。 方舟さん、59話お疲れさまでした🥀 良い終わり方だったよ。