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チャイムが鳴って、教室が一気に騒がしくなった。
「佐伯、また明日な!」
としきくんが手を振ってくる。
わたしはうなずくことしかできなかったけど、それでも彼は、変わらず笑っていた。
教室の隅。
そこから立ち上がるのは、ほんの少しだけ、勇気がいる。
カバンを握りしめて、下を向いたまま、校舎を出る。
誰とも話さないまま、駅まで歩くのが、いつものルート。
電車に揺られて、最寄り駅に着いて、そこからの道が、わたしは一番嫌いだった。
夕暮れ。
家が近づくにつれて、足が重くなる。
ただいまと声を出す勇気も、靴を脱ぐ音を立てる自由も、ここにはなかった。
ガチャ。
「……ただいま」
薄く開いた玄関の先。
返事はない。けれど、テレビの音と、缶ビールの転がる音が聞こえた。
リビングを通らないように、静かに廊下を進んで、自分の部屋へ。
ドアを閉めたら、やっと息ができる。
壁が薄いせいで、怒鳴り声は聞こえる。
わたしの部屋の中まで、届いてくる。
「……くそ……っ」
小さくつぶやいて、机の引き出しからノートを取り出す。
日記帳じゃない。これは、声を出せないわたしの、唯一の“会話”だった。
『今日、また話しかけてくれた。』
『瀬戸としきくん。笑ってた。わたしにはできない顔。』
『まぶしくて、見てられない。でも、見ていたい。』
言葉にしたら、気持ちが溢れてくる。
何をどうしたいのかなんて、わからない。
でも――あの人の声だけが、ちゃんと届く。
ドンッ
突然、壁が揺れた。
となりの部屋から、なにかが叩きつけられた音。
わたしの手が震える。
ノートを閉じて、机の引き出しにしまう。
「……見つからなきゃ、大丈夫」
目を閉じて、自分に言い聞かせる。
どんなに揺れても、どんなに崩れても、明日になればまた学校がある。
また――彼の声が聞こえるかもしれないから。