第1章
行動的な人のように考え、思慮深い人のように行動せよ──アンリ・ベルクソン
〈0〉
あなたはそれでもまだ、手を引くつもりはないのかい?
〈1 残響(惨境)〉
怪人が俺の部屋に来た。
そういえば、来客が来るのは久しぶりだ。
お菓子を出せばいいんだったっけ………いや、その前にお茶を沸かさなければ──って、いやいや、違うだろ。
怪人だ。
怪人が目の前にいる。
《朱色に輝く大鎧を身に纏った、クワガタさながらの大男》が、今。目の前にいる。
さしずめ『クワガタ星人』とでも言おうか。
──さて、クワガタ星人よ。
「俺を捕らえて………改造してくれるのかい?」
「──────」
クワガタ星人は何かを発した。しかし、その言葉が俺に聞こえることはなかった。
「………熱っ」
あまりにも脈絡のない、一瞬の出来事だった。
俺の両耳は機能を失った。否、俺の両耳は欠損していた。否否、俺の両耳は無惨にも──根本から引き裂かれていたのだ。
「────いったぁぁぁあああああぁぁああああいっ!!??」
しかしこの声も、俺にはもう聞こえない。
痛みと衝撃で見開かれた俺の眼球に焼き付けられた光景は、あまりにも信じがたく、非現実的なことで、至極普通のことだった。
クワガタ星人の両腕は、自らが纏う鎧と同じ、燃えるように。もとい、血の色ように真っ赤に染まった、朱色のブレードへと変化していた。
そりゃそうだ。鎧武者は、刀を握っているべきだ。
「ぐ………!」
俺は耳を抑える。止血のつもりだったが、その凪いだ感触が気持ち悪く、すぐに手を離した。
クワガタ星人は足を一歩、踏み出す。錯覚か幻聴か《ギィッ》と、鈍い音が響いた。
「──────」
「だから聞こえねえって………!」
俺は反射的に、顔の前で腕をクロスに組んだ。腕には橈骨と尺骨、二つの骨がある──両腕合わせて四本。
クワガタ星人のポテンシャルはまだ確定していないが、仮に止められなかったとしても、軌道はずらすことができるかも──
そこまで考えて、俺は考えることをやめた。
俺は腕を組んだまま、およそ生物的本能による直感に基づき、全体重を背中にかけた。
〈2 蜂起(放棄)〉
気付けば俺の部屋の天井は、オープンカーさながらの吹き抜けとなっていた。
クワガタ星人が斬ったのだろう。横一文字に。
「………冗談じゃねえ」
大家への言い訳とか、いろいろ考えることはあっただろう。
だけど、今考えるべきことはそこじゃない。
「──────」
このクワガタ星人、今は亡き友人との約束の如く俺を殺そうとしてくる。
事実、後ろに避けなければ今頃、俺の肩から上は平らになっていただろう。
………想像してゾッとする。
「がは、……がふぁ………」
と、その時。俺の口から、胃の中に溜まっていたものが全て吐き出された。
瞬間に視界がボヤける。ピンぼけというより、白黒反転しているような感じだ。
気持ち悪い
キモチワルイ
悪い気持ち
悪くて気持ち良い
気持ち悪いが悪い
良い気持ちが悪い
悪いノガワルイ/
「キモチワルイ 」
「アクハワルイ アクガワルイ」
──ああ、壊れた。
人は出血をしただけで、こんなにも簡単に壊れる。
後ろに倒れたせいで、体は身動きがとれない。
脚が上がら無い。
小指の先まで感覚が亡い。
聴覚が鳴い。
耳が凪い。
脳に酸素が回ら泣い。
頭もおかしく壊れている。
正義のヒーローとは程遠い。
自分で自分を見るなんて、それこそ鏡にしか出来ないだろうが──今の俺は、怪人よりも
よっぽど化け物だ。






