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高らかに跳騰(ちょうとう)した男性の体躯が、手捷(てばしこ)く葛葉の頭上を襲った。
身のこなしも然(さ)ることながら、本能のままに邁進(まいしん)するその姿勢は、まさに獣のようだった。
「と……っ!」
拍子も何もなく、滅茶苦茶に繰り出された手腕を、左右の平手を駆使して擦(す)り落とす。
狙いを逸(そ)らした愚直な一撃は、吸い寄せられるように地表へ到り、夥(おびただ)しい土砂を炸裂させた。
粉塵を払いのけ、木履(ぽっくり)をカロカロと引きながら間合いを外す。
とにかくタイミングを計ろうと努めるも、攻勢は烈(はげ)しさを増す一方で、つけ入る隙が無い。
道具をあつかう能すら忘れたか、得物はグラウンドの隅に打ちやったまま、ひたすら徒手空拳に物を言わせ、なり振りかまわず攻め立ててくる。
この一挙一動を見ても、理性に通じるものがひとつも感じられない。
先頃の咆哮が、まだ鼓膜に残ってる。
不気味に思いつつ、拳をギュッと握りかため、念入りに機をさぐる。
ともかく間隙(かんげき)をついて、頬っぺたに一撃ぶちかます。
あわよくば、先方の正気を呼び覚ますことができるかも知れない。
「お……?」
矢庭に跳躍した彼は、またぞろひとつ覚えの攻め手を講じた。
こちらの頭上を、速やかに強襲する腹だ。
ひとまず後方へ跳んで、脚力を充填する。
まともに地表に落ちた場合、体勢の立て直しにかかる間(ま)は、果たしてどの程度か。
少なくとも、質量の問題で猫のようにはいかないだろう。
敵の着地と同時に、一気に攻める。
「………………っ!」
そのように企てる葛葉の鼻先に、虎の前肢を思わせる剛辣な手腕が、勢い込んで駆けてきた。
いくら何でも、アクロバティックな動きが過ぎる。
自由のきかない宙空にあって、五体を捻転させるだけならまだしも、そこから更に軌道を変えて飛び掛かってきた。
こんなの、人間の身体能力では到底──
いや、そこは論じるだけ野暮だろうと、後方へ身を翻(ひるがえ)しながら物思う。
御遣(かれ)らのやり口を見るのは、もう何度目かになる。
その度に泡を食っていてはセンスがない。
「おらぁ!!!」
己の足裏が地表を捉えたと知るや、即座に神威を爆発させ、まばたきの間(ま)に双方の隔(へだ)たりを平らげる。
そうして予(かね)て目論(もくろ)んだ通り、渾身の一撃を敵の頬に見舞ってやった。
衝突にともない、拳が強(したた)かな火花を散らした。
あわせて、何やらむず痒い感覚が、波紋のように腕部を伝ってくる。
まるで、何の手立ても講じず、巨塊を力いっぱい殴りつけた折りのような。
こちらが訝(いぶか)しく思う間(ま)に、俊敏な動作で宙返りの手本をなした男性は、ふたたび奇怪な軌道をたどって攻め掛かってきた。
落下の速度に乗せて、剛直に繰り出された手爪の尖端を辛くも避ける。
これが地中に深々と埋没し、不服そうな顫動音(せんどうおん)がグルグルと鳴った。
この機を逃さず、箒のように乾燥した頭髪を手早く捕らえ、頸動脈に手刀を叩き込む。
「痛った……っ!?」
またしても凛冽を感じさせる火花が咲いて、今度はまざまざと疼痛を覚えた。
ともかく、先方の身柄に蹴りを入れて後ろへ下がる。
チラと視線を落として確認すると、手腕に施した神威の皮膜が、早くも磨耗をきたしたように、細かく裂けているのが見えた。
あり得ないことだ。
かの面妖な得物であれば、そういう事もあるかも知れないと、まだ何となく得心はいく。
しかし、生身の人間とカチ合った程度で。
それに何より、見たところ痛手を被(こうむ)ったのはこちらだけ。
どうにも不可解で、納得が行かない。
「お前さんアレ、本当に人間が飲(や)っていいヤツなんか?」
質(ただ)したところで、もちろん応答はない。
いずれにせよ、先の薬液に原因があるのは明白だろう。
身体強化。 そんな生易しいものではない。
まるで人間の身体を、一個の刃金に変じるような。
「くぅおらあぁぁぁ!!!」
「あ……?」
途端、葛葉をしても驚くべき事態が持ち上がった。
横合いから駆け込んできた見知らぬ人物が、男性の身柄に痛烈な蹴撃を見舞ったのだ。
これが並みの脚力ではない。
たちまち翻弄された彼(か)の体躯は、爪弾きにされた小石のように跳ね飛んだかと思うと、人工木で設(しつら)えられたフェンスにいたり、これを派手に破壊した。
「………………」
呆気にとられたのも束(つか)の間、ともかく目元をじっとりと据えて、先方の形(なり)を観察する。
巫女装束で間違いはないが、本邦のそれとは、少しばかり趣(おもむき)の異なる装いをした女丈夫。
息せき切った慌てぶりが、上気した日焼け肌によく表れていた。
背中には、柔軟な佇まいに不相応な物品が負われている。
“何者?”と問う前に、先方は淀みのない挙措(きょそ)で身を低くした。
恭(うやうや)しい口振りで、決まり文句を奏上する。
「お初にお目にかかりまする。 わたくしセリと申しまして」
その所作は流麗のひと言に尽きるもので、かえって居心地を損なうような、何とも言えない気分に駆られた。
元来、崇め奉(たてまつ)られることには慣れていない。
しょうことなしに、別の気配がする方向を返り見たところ、見知った顔が目に留まった。
「ありゃ? 虎石っさん……?」
ちょうどフェンスの際に設けられた簡素な搬入口の辺りに、いつになく渋い顔をした彼と、黒ずくめの徒輩が一名、これに従っていた。
どういう具合か。
いよいよ混乱を余儀なくした葛葉の耳に、どうやらそれらしい明言が及んだ。
しかし、その内容は断じて見過ごしには出来ないものだった。
「ご無礼の段は平にご容赦を。 当事者らにつきましては、厳しく詮議の上、きっと厳罰に」
「ちょい待ちなよ?」
「は……」
彼女の立場に関しては、おおよそ察しがついた。
それはいい。 いま何と言った?
「そんなん私は気にしてないよ? そこまで狭量な」
「そういう話では御座いません」
「あ?」
きっぱりと言い切った先方は、かすかに目線を上向けて言葉を次いだ。
瞳の奥に、あかあかと焔(ほむら)が宿っている。 部外者が口を出すなと言いたげだ。
「これは我々の問題にて。 どうか」
「いやいや、実際に襲われたのは私だよ? その本人が赦すっつってんだからさ?」
「そういう話では御座いません」
「ち……っ」
額に青筋が浮かぶのを感じたが、これをどうにか往なすつもりで、後方へ声を張る。
「そんで宿はどうなん!? 大丈夫だった?」
これに対し、彼は土気色の顔つきをそのまま、片手を小さく持ち上げて応じた。
ひとまずは安堵と受け取っていいのか。 いや、事態は思ったより深刻だ。
目線を女性のもとに返し、考え考え語を紡(つむ)ぐ。
こういう手合いを納得させるのは困難だろうが、やるしかない。
「人の上に立つ者(もん)ならさ? もうちょい便宜っていうか、その辺はちょっと考えた方がいいんじゃないの?」
「便宜……ですか?」
「そう。 懐の深さを見せるのは大事じゃんか」
「それは必要なことでしょうか?」
「人はついてくるよ。 そのほうが、きっと」
実りのないやり取りの末、いよいよ業を煮やしたか、女性はにわかに目線を澄まして言った。
畏(かしこ)くも天を垣間(かいま)見るような、健気で神妙な様相はすでに無く。
その瞳はまっすぐに、葛葉の眼を見据えていた。
「どうしても連れて行くなと申さるるなら、ご自分の手で裁いちゃくれませんかね?」
「あ……? おい、なんつった?」
大気がまざまざと粟立ち、遠雷が聞こえた。
今まさに、触れてはならないものに手を伸ばそうとしている。
そうした自覚を得ながらも、女性は気後れせず、あろうことか満面に不敵を装い、もはや売り言葉に等しい言いまわしで唱えた。
「よもや、そのお腰の物は飾りじゃねえでしょう? なんなら、手前の得物をお貸ししても」
刹那、稲妻のような迅速さで抜き打たれた小烏丸が、危うく彼女の鎖鋸に牙を立てた。
鋼の拗(こじ)れる気配がして、たちまち欠け損じた刃の破片が、褐色の肌をかすめていった。
「意外と話の通じん奴だね、お前さん」
「そいつはお互いさまじゃねぇんですかぃ?」
一歩 二歩と、葛葉がにじり寄るのに従って、チャリチャリと火花を溢(こぼ)した一刀は、さらに深く敵の得物に食いついた。
歯牙を剥き出し、間近で睨み合う。
「後悔すんなよ?」
「其方(そちら)さんこそ。 生っ白(ちろ)いお姫さんにゃ、ちいっとばかし荷が重いんじゃねぇんですかねぇ?」
「この野郎……ッ。 上等だよ」
命の懸かった戦闘に、酔(え)い心地を求めるような性質(たち)ではない。
そもそも死んじまったら終わりの戦場(いくさば)で、そんなフワッとした物を持ち出すこと自体、どうかしてる。
世にいう戦闘狂なる連中は、その辺りについてはどのように算段をつけて、事に臨んでいるのか。
強い奴を叩くのが堪(たま)らない。
ヒリヒリするような命のやり取りが、何よりも好物だ。
まったくイカれた主義主張ではあるが、そういう事であれば、自分にも少なからずそうした傾向があるのかも知れない。
──なんつう顔だよ。
そんな豪放な女性をしても、鼻先に臨(のぞ)む彼女の顔貌(かおかたち)は、図らずも怖気(おぞけ)を感じずには居られないものだった。
ひと睨みで諸人の心臓を止める手合いがいるとすれば、まさしくこれこそがと、そう思えるほどの。
それにしても、あれはいったい何だろうと、よくよく眼を凝らす。
艶のある口唇から、割り出(い)でるように顕れた尖端。
生憎(あいにく)と、あのような代物は当方の辞書に乗っていない。
いや、心のどこかでは理解していたのだと思う。
そうであるにも関わらず、脳みそが認識しようとしないのは、人間の潜在意識にすり込まれた本能的なものが原因か。
あるいは原初的な恐怖がそうさせたのか、当の女性にも判別がつかなかった。