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しばらくして宴もたけなわとなり、ソラマリアの姿のレモニカは、ラーガの妹にしてレモニカの姉であるリューデシアと共に宴の輪の外で二人きりになっていた。どこからか引っ張り出されてきた椅子に座り、神にでも捧げるような豪勢な料理の並んだ机を前にしているが、二人ともまだ手を付けていない。羹から上り立つ湯気は風が吹いても揺れることなく、一方で馨しいかけ汁の香りは周囲に広がっていく。戦士たちの食卓と違って、その場は同じく屋外にもかかわらず巧みな魔術によって快適な空間が形成されている。いくら粗野なライゼンの戦士たちの宴とはいえ、貴い血筋の姫君を遇する文化はあるのだった。そして気を遣っているのか、レモニカの呪いを知ってのことか、人々は誰も二人のそばに近づかず、喧騒も楽の音もだみ声の歌声も遠い。
「改めて謝るよ、レモニカ」とリューデシアが切り出した。「聖女として生きた日々や為したことを色々と聞かされたけれど、何一つ思い出せていない。母のこともそうだし、存在さえ知らなかったあなたのことも憎んでなどいるはずもない。どうして呪ったのか、さっぱり分からない。とても私のしたこととは思えない」
「でしたら謝ることなど何もありませんわ。救済機構の企みなのかもしれません。聖女という存在さえ、あの組織の駒に過ぎないということなのかもしれません。ですがもし、思い出したならば、その時は呪いを解くのにご協力ください」
「ええ、もちろん」リューデシアは時折盗み見るようにレモニカを、ソラマリアの姿に視線を向ける。「私がソラマリアを嫌っているのは間違いないんだよね?」
「……はい。何度となく検証しましたので、そういう呪いであることは間違いないことと思います。あまりお気になさらず。好意と嫌悪が両立することもあるようなので」
「ソラマリアね。あなたに嫉妬しているだなんて。しかも母の想いを知ったうえで、なお。そう言われるとソラマリアに負の感情を一切抱いていないわけではないけど、だけど最も嫌いだなんて……」
リューデシアの視線は真っすぐ前に向けられ、そこには本物のソラマリアがいた。二人の机からはかなり遠い場所で、使い魔取り仕切る者、殺し屋ではない本物の取り仕切る者と酒の飲み比べをしている。ソラマリアは既に肌に赤みを帯び始めているが、本物の白磁の肌の人形に憑りついている取り仕切る者には何の変化も見られない。
ソラマリアは次々に継ぎ足される酒を喉の奥に流し込んでいるが、あまり楽しそうには見えない。ソラマリアが楽しそうに見えることはあまりないが。それにソラマリアが酔いつぶれるところなどレモニカは見た覚えが無かった。が、そもそも使い魔が酔い潰れることなどあるのだろうか。
「攫われる以前のことは覚えておいでですか?」とレモニカは世間話のように尋ねる。
「なんとなくね。幼い頃だったからうろ覚えだったけど、なぜか母に与えられた予言のことだけははっきり覚えていた」リューデシアの方は探るように言葉にする。「救済機構に護女としての教育を受けつつ記憶を頼りに自分のことを調べ尽くしたから、どこまでが記憶でどこまでが調べた結果なのかは最早曖昧だけどね。自分がリューデシアだということは自分だけの秘密だったんだ。まあ、それでもリューデシアではいられなくなったんだけど。聖女を継ぐ儀式を行ったのが最後の記憶だった」
明るい性格の姉が、聖女アルメノンとして積み重ねたらしい蛮行に深く罪悪感を抱いているらしいことはよく伝わった。レモニカは、幸せとは言い難いが、それでも今は前向きに生きていることくらいは姉に伝えたかった。
「わたくしの場合は窮屈な日々でしたわ」レモニカは昔を懐かしむような語り口で話す。「呪いの詳細は聞かされず、ただ無闇に変身してしまう性質を持って生まれたのだと。いずれ話すつもりだったのかもしれませんが、それまでは隠し通す予定だったようです。一部を除いて召使いは目の不自由な者だけを従事させていました」
「なるほど。対処法としては単純だけど効果的だね」
「ですが、わたくしの呪いを解くために用意したある薬でわたくしの友人の目を治してしまいました。そのこと自体に後悔はありませんが、幼い二人が立ち直れなくなるのには十分な衝撃でした。そうして、わたくしのために、かつわたくしを閉じ込めるために用意された城から出奔しました」
「よく逃げ出せたね。そう簡単な警備じゃないでしょ?」
「長年の計画と準備ですわ。その後もいくらかの不運はありましたが、ユカリさまやベルニージュさまと出会い、わたくしもわたくしの人生も大きく変わりました。わたくしを騙していた大王国の者たちを恨んでもいましたが、騙してでも生き永らえさせ、呪いを解こうと頑張ってくれていたのだと、そんな当たり前のことにもようやく気づき、呪いを解こうと思えました」
視線の先ではソラマリアが潰れそうになっていた。真っ赤な顔になって机に突っ伏している。
「止めた方が良くない?」とリューデシアが心配する。
「止めないと止まらないようではわたくしの親衛隊失格ですわ」レモニカはソラマリアの顔色を見てリューデシアに視線を戻す。「どのような状態であれ、わたくしを助けられないということにはならないと思います」
「信頼しているんだね」
「ええ、これまでずっと、わたくし自身よりも、わたくしのことをずっと気にかけてくれましたから。母のように。姉のように。呪いのことなどは特に」
リューデシアもソラマリアから目の前の机に並ぶ手を付けられずにいる食事に視線を戻す。
「何も覚えていない私が言っても仕方ないかもしれないけど――」
「わたくしもそう思います。謝らないでくださいませ。わたくしはただ、知っておいて欲しかったのです。呪いの有無など些細な差異だった、そう思える人生を送るつもりだということを」
「レモニカのような妹ができたことは私の誇りだよ。私もきっと、レモニカの誇れる姉になるからね」
「わたくしももっと立派になりますわ。呪いは決して、その邪魔にはならないでしょう」