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曇り空を見上げながら、今日ばかりは激しい雨を降らせて、御仕置きを取り止めにしてくだせえと神様に祈ってみた。
まあ、オラみたいな刑場人足の祈りが、神様に通じるとは思えねえが、祈らずにはいられない。
今日、御仕置きをされるのは、何と十五歳の小坊主だった。
しかも、引き回しのうえ火罪ていうから驚いちまう。
よっぽどひでえことをやったのかと、お役人様に訊ねてみりゃあ、あの目黒行人坂大火の付け火の下手人だって言うじゃねえか。
しかし、それにしたってあんな小さな坊主を火炙りにしちまうなんて…
まだ童じゃあねえか。
オラみたいな馬鹿にも子はあるが、子は可愛いに決まってる。
それを火炙りにするなんて見てられね。
さっき火罪用の薪を用意してると、市中引き回しが終わって馬から下ろされた小坊主が、後ろ手に縄を打たれた状態で筵の上に座らされていた。
すると、その小坊主が澄んだ瞳でオラを見上げながら、「お世話を掛けます」って言いやがったんだ。
信じられるかい?
普通、死罪を言い渡された科人なんていうのは、死が目の前に迫っているもんだから、己れのことしか考えてねえ。
ましてや、この土壇場で他人のことなんて気にも掛けねえや。
それなのにあの小坊主は、己れのことよりも、オラのことを気遣ってくれたんだよ。
不浄だと蔑まれているオラのことを…
何より、あんな真っ直ぐな目をした科人なんて見たことがねえや。
オラは、こんな稼業だから多くの科人を見てきたが、科人なんていうのは己れのやったことを棚に上げて、己が御仕置きをされる番になると、その目には、みっともない程の怯えを浮かべながら、腹ん中にゃあ泥々とした憎悪が渦巻いていやがる。
しかし、あの小坊主の瞳には憎しみどころか、怯えの色さえ浮かんでなくて、まるで澄み切った青空みてえだった。
あんな目をした小坊主が、付け火なんて大罪を犯すはずがねえ。
どうせ、火盗のやつらが乞食芝居よろしく、無実の童に罪をなすり付けやがったんだ。
ああ、雨が降らねえから、とうとう御仕置きが始まっちまうじゃあねえか。
火罪っていったって、最近じゃあ炎に焼かれてもがき苦しむのを見せるのは、いくら何でも惨すぎるってんで、煙で燻して殺しちまってから、死人を焼くってのが普通だが、燻されて息が出来ねえってのも苦しいに決まってる。
そんなことを考えながら、オラ達は、お役人様の指示通り着々と準備を進めていった。
丸石をくり抜いた火炙台に、竹枠が組まれた柱を立てると、その下に薪を積み上げれば準備が整っちまう。
後は、罪人を薪の上に立たせてから柱に縛り付け、竹枠の周りに萱(かや)を積み上げるだけだ。
検視役の与力様に、準備が整ったことを知らせに走ると、数人のお役人様が揉めているのが目に入った。
どうやら、その乞食芝居の火盗が急にやって来て、検視役の与力と牢屋敷見廻り同心に無理難題を吹っ掛けているようだ。
検視役の与力が「矢部様、それはいくら何でも困ります」と押し問答を繰り返していたが、最後に、矢部様と呼ばれた火付盗賊改方の与力が、「これは、お頭もお奉行様もご承知のことだ!」と怒鳴って揉め事が終了しちまった。
そりゃあ、町奉行所の与力は御家人で、火付盗賊改方の与力は旗本だっていうから話にならねえや。
オラ達が、どうなっているんだと戸惑っていると、火盗与力の矢部様が不機嫌そうに、「早く始めろ!」と怒鳴ったので、オラ達は慌てて準備を始める。
牢屋敷見廻り同心が引っ立ててきた小坊主を、薪の上に立たせて、焼け落ちないように泥を塗った縄で柱に縛り付けると、周りに萱を立て掛けていく。
その折に目にした、小坊主の素足が小さすぎて、何だか悲しくなっちまう。
本当に焼いちまうのか…
この子が、もがき苦しむ姿なんて見たくねえよ。
すると、火炙台の後ろに立った与力の矢部様が、「背後の萱は後で良い」と小声で囁いた。
オラ達は、「へい」と畏まって返事をしたものの、どうして良いか分からずに、矢部様の背後に萱を持ったまま控えていると、前面にだけ萱が張り巡らされて、見物人や検視役からは見えない位置に立った矢部様が、脇差を静かに抜き放ったのだ。
オラは慌てて、「何をなさるんですか!」と叫んだが、その言葉を無視した矢部様が脇差を左手に持ち替えて、小坊主の背後に寄り添うように立った。
しかし、その姿はまるで親に叱られた子供みてえに萎れている。
馬鹿なオラ達にも、もう矢部様が何をするつもりなのかは分かっていた。
幼い小坊主が、炎に焼かれてもがき苦しむのは、いくら何でも可哀想だと考えて、楽にあの世に送ってやろうとしているのだ。
オラ達が、黙って成り行きを見守っていると、矢部様は、何度も脇差を上げては下ろしてを繰り返している。
中々、決心がつかないのだろう。
オラ達にも、その気持ちが痛いほど伝わってきた。
すると、その気配に気付いた小坊主が静かに口を開いたんだ。
「矢部様、色々とお心遣い頂き誠にありがとうございます」
その言葉が言い終わらない内に、矢部様の脇差が深々と小坊主の心の臓を貫いちまった。
そして、矢部様は「こちらこそ気を遣わせてすまぬ。弱虫なワシを許してくれ」と呟いたのさ。
矢部様が、振り返って血振りをくれた脇差を鞘に仕舞うと、「他言無用だぞ」と吐き捨てる。
オラ達は、頭を下げながら手に持っていた萱で吹きこぼれた鮮血を隠すように、普段よりも丁寧に火炙台の背後に立て掛けていったんだ。
不思議なことに、オラが作業の途中でチラッと矢部様の顔を見ると、涙を浮かべていたように思う。
まさか、餓狼と恐れられている火盗の与力が、涙を流すなんてことが有るのだろうか…
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