息抜きついでに歩いていると、また勉強しているのか、本を読むまふゆの姿が。
また英単語を教えられたらたまったものじゃない。そう、足を反対方向へと踏み出そうとしたところで、気づく。
あれって、もしかして少女漫画──?
「ねえまふゆ、何読んでるの?」
「好き恋。」
「スキコイ……?」
「『好きから恋は始まるんです!』」
「ええ……」
表紙を見せて、淡々と題名を言うまふゆ。スキコイ、好きに恋と書いて好き恋か。聞いたことがある。確か今若い女性を中心に人気の少女漫画だとか。映画化も近々するみたいな話。SNSでよく目に入る。
「友達に貸してもらったの」
「ふーん」
確か内容は、感情が分からない男の子が女の子を好きになっていく、みたいな内容だったような。あまり記憶にないが、大体合ってるだろう。
まふゆにぴったりすぎる内容。貸した子は有能だ。まふゆにとってとてもいい勉強になるんじゃないかと思う。
「じゃあ、お勉強頑張ってね〜」
「待って、絵名」
「ん、どうかした?」
「これやろう」
「は?」
「ドキドキするか」
「………………は?」
まふゆは何を言い出しているんだ。
しかしまふゆはもうやる気を出している。立ち上がって、ページをめくって、確認して、本当にやるつもりだ。
「これ、この漫画、二人はこうやって一個一個試してるんだけど、私は読んでるだけじゃ分からないから」
「えと、何が?」
「この二人の気持ちが」
「何、二人の、何……?」
「やらないと二人の気持ちが分からないでしょ?」
少女漫画ってそういうものだったっけ。
まふゆはさも当然です、みたいな顔をして首を傾げた。なるほど、本当に少女漫画を参考にしているのか。
……これはダメかもしれない。
「いや、少女漫画ってやるものじゃないから」
「二人はやってるよ?」
「は?」
「ほら。こうやって試してる」
「いや、いきなり二人の話しないでよ」
「少女漫画とか関係なしに、二人がしてることが大切なの。意味があるみたいから」
「ちょっと見せなさい……!」
見せてるのに、そんな風に呆れた声を出されたが関係ない。奪い取り、パラパラと流し読みをしていくと、どうやら女の子は恋愛によくある胸キュンを、男の子で試して好きを教えようとしているらしい。ダメでしょ。
しかし、恋愛のことについてがメインだが、内容がまふゆ向けすぎる。友達はどうしてこんなものを勧めてしまったんだ、そのせいで今こうなっている。(最終的にまふゆが自分から借りたいと言い出していたが)
「じゃあ早速これやろう」
「これって、壁ドン?」
「そう、壁ドン。やろう」
「…………」
やる気のあるまふゆは、早速私を壁際まで追い詰めた。見慣れた無表情が正面に来る。そして、肘を伸ばしたまま壁に手を付けた。距離こそそれなりに近いが、別にこれくらい。
「……何にもだね、ちょっと見せて」
私は漫画を返すと、まふゆはまじまじと読み込みハッとした声を上げた。
「なに、どうしたの」
「ごめん、やり直すね。少し違った」
「ええ……合ってそうだけど、もういいわよ」
「ううん、違うからやり直す」
漫画を閉じ、床に置いた。
意外と真剣な表情で、緩んでいた心は締まった。私との距離を一歩詰めたまふゆは、肘を折って壁に腕を付けた。まふゆとの距離はぐっと縮まる。
顔がすぐ側にまで来ている。視線はまふゆにむ向かう。こんな風に至近距離でまふゆと顔を合わせることはなかった。整った顔立ちが、目が、私の心臓を強く跳ねさせた。
──睫毛、結構長いんだ。って
「っち、近い!」
肩を力強く押す。知らぬ間に息を止めていたようで、空気を吸い込む。この感覚、弓道の大会を思い出す。
「効果あったね」
「こ、これ私じゃなくてあんたがドキドキしないとダメなんだって! このヒロイン側が照れるやつダメなの、私が照れることになるんだから!」
「ドキドキしたの?」
「はぁ!? なわけ、あんたくらいじゃ響かないわよ!」
「そっか、じゃあ次は」
「やらなくていいから!」
ああ心臓に悪い。まふゆは顔がいいから、至近距離で見られると照れてしまうんだ。そのせいで全然目が合わせられない。
「絵名」
名前をはっきり呼ばれたので顔を見る。するとまふゆはまた先程のように壁に腕を付き、私との距離を無くした。だから近──
「なっ、!」
そして反対の手で私の顎を持ち上げた。視線が交わる。濃い紫色の、吸い込まれてしまいそうな瞳。つい、唾を飲み込む。そして段々と顔が近付いてきて、イチセンチにも満たなくなる。
まさか、このままキスされ──
「……ドキドキした?」
「へ?」
すぐに手を離し、距離を戻したまふゆは不思議そうに首を傾げた。
「どうだったの?」
「……ねえこれって、あんたのリハビリであって、私のは必要ないんだけど?」
「でも、漫画だとこうしてたけど」
「そもそも漫画のように上手くいくわけ無いから!」
あれだ、朝比奈まふゆは本屋に売っている恋愛の指南書に付箋をつけてマーカーを引いて読み込むタイプだ。想像がつく。
「それで、どうだったの?」
「だから私のは必要ないでしょ。なんで知りたがってるの」
「……同じようにしないと?」
「あのね、私の心拍数が上がろうが、まふゆの感情に関係ないでしょ。そこは形だけでいいんじゃないの?」
「確かに。……なんでだろう」
まふゆは斜め上を見て考えていたが、すぐに諦めて少女漫画の続きを読み始めた。
熱い顔。煩い心臓。残された私は、それ以上の追求がなかったことに少し安心していた。
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