コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
私は男に捨てられた。それまで私を大層愛していた男は、私を捨てた。今私は暗く何も無い狭苦しい部屋で眠っている。自分の乱れ、傷んだ髪を見て、昔のことを思い出し打ちひしがれている。あれから何年が経っただろうか、今や埃を被った遠い昔の話で、語っても仕方あるまい私とあの男の馴れ初めを思い出す。埃を被っているのは私もか。全く笑えない話だ。
あの男と出会ったのは古い店でだった。なんともその店は奇妙なもので、男やら女やらが立ち尽くしていた。その波に呑まれたわけではないが、私も周りと同じようにしていた。そんな中、その店を颯爽と歩く男がいた。その男は私を見るや否や、こちらを凝視した。私に近づいてきて、しばらく眺めてから私の手を握りこう言った。
「とても美しい」
私は紅潮した。いやそれを隠し通すのに尽力した。女において、こんな事を言われて気分が悪くなるなんて事はない。私はその男に連れられてその店を出た。何とも不思議だと思うでしょうね。でもそれはあなた達にとってなのだ、私にとっては何の不思議な事はない。私の周りではただの日常茶飯事だ。それから私達は二人で、沢山の所を歩いて回った。海や、山滝や川、それに湖。稀に街を二人で歩いた事もあった。周りの人達は、よほど羨ましかったのか、私達を仕切りに眺めていた。ある日男が家に帰って来た時、男は泣いていた、泣きじゃくっていた。私は男から、悩みを一方的に話された。私はそれを黙って聞いていた。男は涙を流しては袖で拭った。土砂降りでも降ったみたいだった。しかし私は、その男の肩を優しく撫でてやる事は出来なかった。黙って話を聞いてやるくらいしかその男のためにできる事はなかった。
ある日私は浮気をされた。あまりに大胆にされたものだから、最初は呆気に取られた。何処となく私に似た女を家に連れて来たのだ。驚いた事にその男は、私をその女に、その女を私に紹介したのだ。結婚前に、花婿をかっさられた花嫁の気分だった。次第に大釜で沸かすお湯、いやそれ以上に沸々と怒りが煮えたぎった。しかし私は黙っていた。
そしてその日はやってきった。男は私を置いて、家を出て行った。男は私に謝罪の類の言葉などしなかった。しかし、これだけ言ったのだ。
「いつか、帰る」
私はその言葉を信じて待った。何年も何十年も。しかし来なかった。その男はいつまで経っても四季が百回巡っても来なかった。私はただ落胆した。涙を流す事は出来なかった。
そんな苦く辛く酸っぱく甘い思い出達も今では何十年もん寝かしたワインのように、コクがあり、深いと形容するに足る。何十年も寝ていたのは私か。全く笑えない。
その瞬間、暗く狭く何もないその部屋の戸口が、開かれた。突然の事で驚く。しかし私の表情は変わらない。
現れたのはあの男によく似た、まだ幼い童(わっぱ)だった。私の髪に触れる。瞳を眺めてこう言った。
「これがひいおじいちゃんの大切にしていたお人形か。」