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私は肉を食べない、絶対にだ。体にできた古傷を掻いた。私は度を超えたヴィーガンではないが、決して肉だけは食べない。あの時そう誓ったのだ。もう肉は見たくないし、齧りたくもない。あの時から。
しかし私はそれまでは、牛肉に豚肉、鶏肉や羊肉。それに鴨だって食べていた。むしろ肉料理は好きな方だった。別段裕福なわけではなかったが、高い肉を高い店で食べたり、3ヶ月に一度位の頻度で行ったりしていた。言っておくが、私は大豆ミートなど動物に由来しない肉も食べない。肉に類似しているだけで食欲をなくす、いやなくしている。ではどうやってタンパク質を摂っているのか、そんなものはプロテインで間に合わせている。しかしどうも鉄分不足には悩まされているようだ。自覚はしている。
あの日の前日の事だ。私には彼女がいた。とても美しく愛らしい女性だった。その日は私と彼女との記念日だった。そして比較的高級な店を二人で取り決め、そこのワインやらパスタやらティラミスやらを嗜み(たしなみ)に行こうということになった。そして当日、結果から言わせてもらうと、僕達は指定の店には行けなかった。どういうわけか、その日急に休業することになったらしい。私達は少し考え込んでから、隣にもこじんまりとはしていたが、料理を提供している店があることに気づく。
「まあ今日は仕方ないでしょう。」
そう言って彼女は、私の手を取りその店へ引っ張る。私も特に反対する理由もないので、されるがままについていく。店の戸を開ける。
それまで明らかに店の天井を見上げながら、虚な目をして思考という行為を放棄していたであろう店員が数秒遅れて言った。
「いらっしゃいませ」
私達は店員の言われるがままに二人席に腰掛けた。席に着くや否や店員は言った。
「今日は豚肉の料理を安く提供しております。
安く仕入れたものでして、味は保証します。」
「豚肉か。」
私は思わず口に出す。私はどちらかといえば質より量的な思考をしていたので豚肉を500グラム注文した。その日は米を食べる気はなかった。彼女は豚肉を200グラムに米を付け前菜とまでは言わないが、生牡蠣(かき)を注文した。私達以外に特に客が居なかったというのに、店員は早足で厨房へと急ぐ。気早なんだと思った。私と彼女はこういう記念日も悪くないなど互いに励まし合ったりなど何気ない会話をしていた。すると早速、生牡蠣が運ばれて来た。彼女はそれをとても美味しそうに食べるので気持ちが安堵した。まず私の元に程よく焼かれたかなりの大きさの肉が運ばれて来た。彼女の食べる姿を見ているうちすっかり空腹だった。口から涎が出るのを自覚する。フォークとナイフでその肉を頬張る。咀嚼を繰り返す。少し筋があり噛み切りにくく、顎が疲労する。喉の音が響く。四、五回いや八、九回いや、何回だったか、それを繰り返した頃に彼女が吐き気を訴え始めた。そして手洗い場に向かった。僕も同行しようかと腰を持ち上げると
「あなたの食欲までなくなっちゃうかもしれない。」
と言い放たれた。仕方なく肉を食べて、三十分だろうか、一時間だろうかしばらく待っても帰ってこないので、見に言った。
「大丈夫かい。」
手洗いのドアをノックする。
「ごめんなさい、牡蠣があたったみたい。」
「そうか、気分が良くなったら、出ておいでいくらでも待つから。」
そう言って私はテーブルに出された彼女の分の料理を惜しみながら、店員に謝りお代を少しばかり余分に払い出てきた彼女を連れて店を後にした。店員はしょげかえっていた。残されたのが、余程きたのだろうか、本当に申し訳ない事をしたと思った。私は車を走らせた。その走行途中の事だった。彼女からか、自分からかとてもいい匂いがした。私は彼女に尋ねた。
「香水でも付けたの。」
「香水、私は香水はつけないわよ。知ってるでしょ。」
知っている。しかしとても良い匂いがするのだ。走行中私は自分の意識なのか定かではないが、こう言っていたらしい。
「今日は家に泊まってかないか。」
正直自信がない、そんな事を自分の口から出したのか。何故なら私は自分から彼女を誘ったことが無かったから。その事あって彼女は嬉しかったのだろう、素直に応えたらしい。私も気づいた時には彼女が自分の家に居ることが自然のことだと思っていた。それどころか、私は例のように彼女が誘ってくれたのだと思っていた程だった。夢で頻繁にある、明らかに支離滅裂な状況に自分が勝ってに辻褄を合わせている、そんな感じだった。私も彼女も酒は飲まなく、ワインを好んで飲む。私は素面(しらふ)ではいられないと思い故意に自分を酔わせた。しかし、その時はもう既に他の何かに酔わされている感覚だった。その時はきっと彼女にだろうと思った。その日の夜の事について、重要な事は一点だけだった。
誰がやったんだ。
ただそれだけだった。私の彼女の顔をえぐり、腑(はらわた)を引き摺り出し、喰い荒らしたのは。くいあらした、くいあらしたのは。ん、何で食べたと断定するかって、勘だよ勘。そんな事より、私が朝起きた時、凄くあの展性に延性高い電気伝導性と熱伝導性、隠し味に磁力を加えたような甘美な味がした。警察には連絡をしなかった。こんな酷い(むごい)彼女の姿を誰にも見せたくなかった、独り占めしたかった。全てを。なんとなくテレビを付けた。ニュースが流れていた。
「昨日未明、○○県×××市で飲食店を経営する42歳男性が行方不明になった事で、周辺で聞き込み調査をした結果、隣店の39歳の男性と金銭トラブルがあったとのこと。警察は殺害容疑で逮捕しました。しかし未だ死体は見つかっておらず、引き続き捜査を進めているそうです。」
全く物騒な事だった。
おや、私は今何であの日の記憶の話をしているんだったかな。古傷が疼く。
突然、頭が膨らむような、中から空気が飽和していくようなそんな頭痛に襲われる。悶える、悶え苦しみ、転がる、自分で作り上げた自作の楕円に近い木のタイヤのように不細工に。
血の涙を流した。そして血反吐を吐いた。ああ、思い出した、あの日はつい一週間前の事じゃないか、どうして今まで忘れていたのだろう、この古傷もできたてほやほやの香ばしい瘡蓋(かさぶた)じゃないか。そしていつの間にか私は眠った。ねむった。