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腐った男子太宰リターンズ
平和なヨコハマの午後、武装探偵社のソファには、場違いなほど豪華な「三段重ねのアフタヌーンティー・スタンド」が鎮座していた。
「……ねえ、太宰さん。これ、本当に僕たちが食べていいんですか?」
中島敦が、震える指先でスコーンを指差す。その向かい側には、なぜかポートマフィアの芥川龍之介が、いつになくおとなしく座っていた。彼は黒い外套を丁寧に畳んで膝に置き、目の前のマカロンを、まるで爆発物でも見るような目で見つめている。
「いいとも、敦くん。これはね、森さんと福沢社長が『たまには若手の親睦を深めなさい』という名目で送り込んできた、いわば平和の供物だよ」
太宰治は優雅に紅茶を注ぎながら、楽しそうに目を細めた。隣には、帽子を脱いで不機嫌そうに紅茶を啜る中原中也がいる。
「親睦だぁ? 冗談じゃねェ。俺は忙しいんだよ、手前みたいな暇人と違ってな」
「まあまあ、中也。そんなにカリカリしていると、せっかくの美味しいクロテッドクリームが酸っぱくなっちゃうよ」
太宰は中也の肩を軽く叩き、そのまま自然な動作で、敦と芥川の間に視線を移した。
(……来た。今、この瞬間だ)
太宰の脳内では、すでに「観測モード」が起動していた。 彼はこの平和な茶会を、単なる交流の場だとは思っていない。これは、彼にとっての「聖域」を至近距離で、かつ「壁」として合法的に眺めるための最高の舞台装置なのだ。
「芥川、これ……美味しいよ。甘すぎなくて、君でも食べられると思う」
敦が、小さなサンドイッチを芥川の皿にそっと移した。芥川は一瞬、眉をひりつかせたが、拒絶はしなかった。
「……人虎。貴様は食うことばかりだな」
「だって、せっかく用意してもらったんだから。ほら、食べてみて」
芥川は、敦の期待に満ちた眼差しに気圧されるように、細い指先でサンドイッチを口に運んだ。もぐもぐと咀嚼し、「……悪くない」と短く呟く。
(あああ、これだ!!)
太宰の内心は、絶叫に近い興奮に包まれていた。
(敦くんの無自覚な餌付け! そして、文句を言いながらもそれを受け入れる芥川くんの従順さ! これは……『敦芥』の可能性が極めて高いが、芥川くんがそのサンドイッチを咀嚼する際の、あの少しだけ上目遣いになる瞬間の色気……! 『芥敦』への反転も十分にあり得る。……いや、今はその議論は横に置いておこう。大事なのは、この二人の間に流れる、言葉にならない信頼の粒子だ!)
太宰は、自分がこの場に存在しているという事実を消したかった。 自分はただの「椅子」でいい。あるいは、紅茶の湯気になりたい。 自分が二人の会話に介入すれば、その瞬間に「師匠と弟子」という公式のパワーバランスが働いてしまい、彼らの純粋な関係性が歪んでしまうからだ。
「おい、太宰。手前、さっきからニヤニヤしすぎだ。気持ち悪りィんだよ」
中也が肘で太宰を突く。太宰は一瞬で「無」の表情に戻った。
「失敬な。私はただ、平和の有り難さを噛み締めていただけだよ、中也」 「嘘をつけ。……まあいい。ほら、芥川。お前、ここの店の羊羹が好きだったろ。これ、持って帰って部下に分けろ」
中也が、紙袋を芥川に放り投げる。芥川はそれを器用に受け取り、「……忝い」と頭を下げた。
(……っ! 地雷警報!!)
太宰の心の中で、真っ赤なサイレンが鳴り響いた。
(中也が、芥川くんに、私的な好みを把握した上での贈り物!? ……これだ。これが一番危険なんだ。世の中の不届き者たちは、これを『旧双黒から新双黒への継承』だの『中也×芥川』だのと言いたがる。……断じて、否だ! 中也と芥川くんは、あくまで直属の上司と部下! そこに湿度の高い感情を持ち込むのは、私の美学に反する!)
太宰にとって、自分に関わるカップリングは全て「地雷」である。 中也と自分がどうこうなるなどという展開は、もはや吐き気がするほどに「解釈違い」なのだ。 自分はあくまで、二人を見守る。あるいは、二人の邪魔をしない。 自分がBLの当事者になるなんて、そんな、物語の美しい黄金比を壊すような真似、絶対に自分に許せない。
「ねえ、中也。君は相変わらず部下思いだねえ。私にも何かプレゼントしてくれたまえよ。例えば、君の帽子をどこかの海に沈めてくるとか」 「誰がやるか! せっかくの茶会なんだ、静かに飲めねェのか手前は」
中也が太宰の脛を蹴る。太宰は「痛いなあ」と笑いながら、こっそりと距離を取った。
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なつほ
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(よし……中也との物理的距離、確保。これで私が当事者に見えるリスクは減った。さて、観測再開だ)
視線を戻すと、敦と芥川が、最後の一つになったイチゴのマカロンを巡って、静かな火花を散らしていた。
「……芥川、これ半分こにする?」 「……愚問だ。菓子を切れば、その造形美が損なわれる」 「じゃあ、芥川が食べなよ。僕はもう結構食べたし」 「……貴様、僕に施しを与えるつもりか。ならば、貴様が食え」
お互いに「譲り合う」という、彼らにしては極めて珍しい、そして極めて「尊い」押し問答。
(…………ッッ!!(言葉にならない絶叫))
太宰の脳内手帳が、猛烈な勢いで更新されていく。
(譲り合い! 相手を思いやるがゆえの拒絶! そして、視線が絡み合うこの膠着状態! これこそが、新双黒が歩むべき『理解と共鳴』のステップだ! 私は今、この瞬間をカメラに収めたい。……いや、カメラなどという物質を介してはいけない。私の網膜に直接焼き付け、永遠に保存するんだ!)
「……太宰さん、本当に大丈夫ですか? 顔が、なんていうか……凄く、変ですよ」
敦が引き気味に声をかけてくる。太宰は我に返り、慌てて紅茶を口に含んだ。
「なんでもないよ、敦くん。私は今、このイチゴの赤色が、ヨコハマの夕日に似ているなあ、なんて詩的なことを考えていただけさ」 「絶対嘘だ……」
敦は呆れたように肩を落とし、結局、芥川とマカロンを半分に割って食べた。 その様子を眺めながら、太宰は心からの充足感を感じていた。
自分は、誰からも愛されなくていい。 誰とも結ばれなくていい。 自分という存在が「消える」ことで、彼らの物語がより鮮明に、より美しく輝くのであれば、それ以上の喜びはない。
「おい太宰。……お前、たまにはマフィアの方にも顔を出せよ。首領が退屈してんだよ」
中也が、ぼそりと呟いた。それは彼なりの、不器用な「寂しさ」の裏返しだったのかもしれない。 だが、太宰はそれを「設定のバグ」として処理した。
「嫌だよ。私は今、この探偵社の『壁』として、非常に忙しい任務に就いているからね」 「……壁? 意味分かんねェよ。……まあいい。行くぞ、芥川」 「はい、中原さん」
茶会が終わり、マフィアの二人が去っていく。 敦が「またね!」と手を振り、芥川が背中越しに小さく会釈する。
太宰は、誰もいなくなったソファの、わずかな沈み込みを見つめていた。
(……最高の午後だった。新双黒の供給は安定しており、中也とのカップリング事故も、私の機転により最小限に抑えられた。私は今日も、誰の邪魔もせず、ただの『観測者』として一日を終えることができる)
「太宰さん、片付け手伝ってくださいよ」 「嫌だよ、敦くん。私は今、この余韻という名の海に沈んでいる最中なんだから」
太宰は幸せそうに目を閉じ、脳内で再生される「マカロンを分け合う二人」の映像をスローモーションで鑑賞し始めた。
ヨコハマの平和は、今日も彼の手――ではなく、彼の「眼差し」によって、美しく保たれているのである。