「お世話様です。豊田自動車です」
寒河江は何も変わらない顔でやってきた。
愛は颯爽と立ち上がると、受付に出た。
「お世話様です。これ、軽バン5137の鍵です」
「あ、ありがとうございます」
寒河江が100点満点の笑顔で応える。
「お子さん、平気でしたか?」
「え?」
途端に笑顔が曇る。マイナス20点。
「検査結果は?」
「あ、ああ。大丈夫でしたよ。ご心配おかけしました」
取り繕った笑顔が胡散臭い。マイナス30点。
「よかったですね。旅行に出る前で」
明らかに顔が引きつる。マイナス20点。
「それじゃあ、夕方までに点検終わらせて返しますから」
逃げ腰。マイナス30点。
「はい、0点」
愛の言葉に寒河江が眉間に皺を寄せる。
「豊田自動車さん。お世話様です」
奈緒子が後ろから声をかける。
「あ、お世話になっております」
寒河江がまた笑顔に戻って会釈をする。
「5137の鍵、渡してくれた?」
「あ、はい」
愛は頷いて微笑んだ。
「夕方までにお返ししますので」
寒河江も微笑む。
「あら、返してくれなくて大丈夫ですよ」
奈緒子は寒河江に近づき、受付台に、ジャラジャラと鍵を置いていった。
「3323、4046、4686、2213、2025、8252」
「ーーーーー?」
寒河江が次々と置かれる鍵に目を丸くする。
「このリース契約、今期で終わりにします。もう新しい会社と契約を結んでいるので、時間があるときに取りに来てください」
奈緒子が笑顔を向ける。
「うちも不景気なので。会社の決定です。ごめんなさいね」
口を開いていた寒河江だが、愛と奈緒子を見比べてやっと合点がいったらしく、唇を噛んだ。
微笑を讃えていた奈緒子が、一瞬で真顔に戻る。
「今までお世話になりました」
寒河江は置かれた鍵をかき集めると、一礼して自動ドアを出ていった。
「奈緒子さん、ありがとうございます」
笑顔で振り返ると、彼女はため息をついた。
「何のこと?安くて条件が良くて、対応の良いイケメンディーラーに変えただけよ」
その手が愛の肩を叩く。
「ほら!仕事よ、仕事!!今日こそ私を定時で上がらせてよ!」
「———はい!」
愛はその小さな背中に続いた。
ブロロロロロ、ブオン!!
寒河江が運転する軽バンが、腹立たし気にエンジンを吹かすのを聞いて、二人は同時に振り返り、顔を見合わせて笑った。
【④ 沈む女 ~愛の場合~ 完 】
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!