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ある日の夕刻前。
エリアスがサシャとの密談を終えて雑木林を歩いていると、見覚えのある後ろ姿に気づいた。
ルシンダだ。木の横でうずくまりながら、うんうんと唸っている。
「どうしたんだ!? どこか具合が……」
「あ、エリアス殿下」
咄嗟に駆け寄ってみたが、こちらを見上げるルシンダは顔色も表情も問題なさそうだ。
「紛らわしくてすみません。実は野草の観察をしていました」
「そうだったんだね。具合が悪いんじゃなくてよかったよ。……ところで、今は何の野草を見ていたの?」
「あ、今はこの本に載っているフィルカ草を見ていました。葉っぱが猫の頭みたいな形なのが面白くて」
「そうだね。煎じて飲むと胃もたれに効くんだよ」
「はい、本にもそう書いてありました。さすがお詳しいですね!」
無邪気にはしゃぐルシンダを見て、なぜか過去の自分を思い出す。彼と一緒に森の中を歩き回りながら、探していた薬草を見つけて喜ぶ自分。
(……いや、今はそんな風に感傷にひたっている場合じゃない)
これはチャンスだ。聖女と距離を縮める絶好の機会。
エリアスは感じのいい笑顔を浮かべて優しく尋ねる。
「ルシンダ嬢は、こんな場所で一人で観察してたの?」
「はい、今日はみんな用事があるみたいで」
「そっか。それじゃあ、僕と一緒にこの辺を散策しない? 今日は時間が空いてるから、薬草について色々教えてあげるよ」
「わあ、ありがとうございます。ぜひお願いします」
ルシンダがうまく誘いに乗ってくれて、エリアスは内心でほくそ笑む。
「それにしても、ルシンダ嬢は本当に勉強熱心で感心するよ。授業以外でも野草の観察をするなんて」
おだてるためにそんなことを言ってみるが、今の言葉は本心でもある。
聖女だなんて言っても、どうせ自己犠牲が大好きな押し付けがましい女か、周りからちやほやされて勘違いしているお花畑女だろうと思っていた。
でも実際に接してみると、予想とは違って、意外と普通の女の子だった。
勉学に真面目だし、恋愛にはあまり興味がなさそうだ。
おかげで落とすのに手間取ってしまってはいるものの、後々のことを考えれば相手をするのが面倒そうな令嬢よりはいいだろう。
鈍感なのは困りものだが、性格そのものは好ましいとエリアスは思っていた。
「私、サイラス先生のおかげで薬草学が楽しくなってきたんです」
「……たしかに、サイラス先生は教えるのが上手いよね」
「はい。それに、将来のためにもちゃんと勉強しておきたくて」
「ああ、たしか前に旅に出るとかって言っていたよね。それって、聖女としての巡礼の旅ってことかな?」
「あ、いえ、そういうわけでは……。でも、その口実は説得力があっていいですね……」
思案顔になるルシンダに、エリアスが首を傾げる。
「口実って……本当は違うってこと?」
「はい、実は私、将来は魔術師として冒険の旅に出たくて」
「冒険の、旅……?」
想定外すぎる単語にきょとんとした顔で呟くエリアス。
ルシンダが明るい声で肯定する。
「はい、冒険です」
「……冒険って、何?」
「えっとですね、魔物を倒したり、あわよくば仲間にしたり、あとは世界中に散らばるアーティファクトを探したり、訪れた町の人たちの困り事を解決したり……そんな感じです!」
エリアスの問いに、ルシンダがキラキラした笑顔で答えてくれる。しかし、答えてもらった後のほうが混乱が大きかった。
「そ、そうなんだ。なるほどね。……でも、ルシンダ嬢は聖女なんだし、たとえばどこかの王子妃になって何不自由ない優雅な暮らしを手に入れることだって夢じゃないと思うけど?」
ルシンダの突拍子もない返事に面食らいながらも、さりげなく王子妃という可能性について触れてみる。
もしルシンダが手に入るなら、逃げられないよう閉じ込めることにはなってしまうだろうが、その分何でも買い与えて、望みを叶えてやるつもりだ。
しかし、ルシンダは眉を寄せて微妙な表情を見せる。
「うーん、それも素敵でありがたいことだと思いますけど……でもそれは、私がしたい生き方じゃないんです」
「したい生き方じゃない……?」
「はい、私は誰かにお世話をしてもらうのではなくて、自分で自分の面倒を見たいんです。部屋でゆっくり過ごすより、外に出て色々なものを見てみたいし、魔術を練習したり、こうやって薬草を探したりしたい。そして自分の力を人のために役立てられたら素敵だなって思うんです」
(……なんだそれ。理解できない)
女の子なら、普通は王族や貴族の伴侶となって、悠々自適に暮らすのが夢なのではないのか?
毎日煌びやかなドレスに身を包み、茶会やパーティーに参加してお喋りに花を咲かせるのが楽しいのではないのか?
この魔術学院に通う女子生徒たちだって、本気で魔術師を目指している者は少ないだろう。
そもそも、魔力持ちは魔力の制御方法を学ぶために魔術学院に通うことが義務付けられているだけで、皆がみな魔術師を目指しているわけではない。
中には魔術師という高給職に就きたい者もいるだろうが、魔術師になって冒険の旅に出たいと語る令嬢など、明らかに変わり者の部類だ。
全然、普通の女の子なんかではない。
「この人生では私、自分の気持ちを大事にしたいんです」
でも、そう言って花が綻ぶように笑うルシンダが、どうしようもなく眩しく見えた。
『エリアス、自分の気持ちを大事にするのよ──……』
ルシンダの言葉と、かつて母がくれた言葉が重なる。
懐かしさと切なさと、なぜか少しの罪悪感が胸をよぎり、エリアスは魔法にかけられたように動けなくなってしまった。
だから、ルシンダが「あ、これもたしか……」と言って何かに手を伸ばしたときも、すぐに止めることができなかった。
「痛っ……!」
小さな叫び声で、エリアスが我に返る。
見れば、ルシンダの指先からわずかに血が出ていた。
「ルシンダ嬢?」
「あ、その花も薬草の本に載っていたなと思って触ったら、棘があったみたいで……」
ルシンダが指差す先に目をやると、そこには紫色の蝶の羽のような花びらが特徴的なヴィスリア草が揺れていた。
「っ馬鹿、これを素手で触るなんて、本の説明を読んでなかったのか!?」
普段は優しいエリアスの突然の荒っぽい言葉に、ルシンダがびくりと肩を跳ねさせる。
「あ……ごめん……。気が動転して、つい……」
しばらく昔を思い出していたせいか、優しくておっとりした王子の仮面を被るのを忘れてしまった。
エリアスが謝ると、ルシンダはふるふると首を横に振った。少し顔色が悪い。
「いえ、私が不用意でした。すみません……」
「……これは薬にもなるけど毒も持ってるんだ。目眩や吐き気と、下手したら意識も失う。……ちょっと待ってて」
エリアスはそう言うと、近くの草むらで何かを探し始めた。
「だいたいすぐ近くに生えているはずなんだけど……あった」
エリアスは小指くらいの厚みがある変わった形の草をポキリと折り取り、ルシンダに差し出した。中にゼリーのようなものが詰まっているのが見える。
「この葉肉部分には、さっきのヴィスリア草の毒に効く成分が含まれているから、飲むといいよ」
「はい……」
エリアスから葉を受け取り、中のゼリーを押し出して飲む。
「甘い味がしますね……少し気分も落ち着くような気がします」
「それならよかった。……あ、でもルシンダ嬢は回復魔術が使えたから、余計なお世話だったか」
少し気まずそうに目を逸らしたエリアスに、ルシンダがお礼を言う。
「いえ、解毒はまだ上手くできないので……。ありがとうございました。エリアス殿下がいてくださってよかったです」
「……いや、気がつくのが遅れてごめん。一応、応急処置はしたけど、きちんと医者に診てもらったほうがいいよ」
「はい、分かりました」
ルシンダの身体を支えながら、エリアスが校舎に向かって歩き出す。
こういう事態になってしまっては、散策もお開きにするしかない。それに、なぜか妙に胸がざわついて落ち着かなかった。
「あ、エリアス殿下」
ルシンダの呼びかけにエリアスが顔を向ける。
「あの、さっき叱ってくださったの、嬉しかったです」
「は……?」
「あ、いえ、変な意味じゃなくて……殿下が遠慮なく接してくださったのが嬉しかったというか……。今まで殿下は少し無理して優しくしてくださっているところがあったでしょう?」
図星をさされてエリアスは固まった。いかにも鈍感そうだから気付かれることはないだろうと思っていたのに。意外と鋭いところもあるらしい。
「だから、これからはありのままのエリアス殿下でいてください」
やはりまだ気分が悪いのか、うっすらと青ざめた顔で微笑みながら、ルシンダがそんなことを言う。
「……分かったから、そんなことよりも君は早く医者に診てもらったほうがいい。ほら、行くよ」
毒のせいで冷えたルシンダの手を引きながら、エリアスは胸のざわめきが一層強まるのを感じていた。