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不覚だった。
朝、目が覚めた瞬間に感じたのは、頭を重い石で殴られたような鈍い痛みと、鉛のように重い四肢の感覚だった。喉は焼けるように熱く、呼吸をするたびに肺の奥が疼く。
「……っ、これは、不味いな……」
無理に体を起こそうとしたが、視界がぐにゃりと歪み、俺は再び枕に沈み込んだ。どうやら、緊張の糸が、昨日の白のアルバイトや黒の留守番といった「穏やかな一日」を終えた途端に、ぷつりと切れてしまったらしい。これまで張り詰めていた気が緩み、溜まっていた疲弊が一気に熱となって噴き出したようだった。
「ご主人様? いつまで寝てるの? 朝ごはんだよ……って、ええっ!? ご主人様、顔が真っ赤だよ!」
最初に異変に気づいたのは、朝食の催促に来た白だった。彼女は俺の額に手を触れ、その熱さに「ひゃうっ!」と声を上げて飛び退いた。普段の彼女ならここで「お腹空いたー!」と騒ぐところだが、俺の虚ろな目を見て、事の重大さを察したようだ。
「⋯⋯ん。⋯⋯うるさい、白。⋯⋯ご主人様、⋯⋯まだ、⋯⋯寝てる⋯⋯え?」
続いて現れた黒も、俺の呼吸の荒さに即座に表情を硬くした。彼女は猫特有の鋭い感性で、俺の体から発せられる「病」の気配を敏感に察知したのだ。
「⋯⋯熱い。⋯⋯ご主人様、⋯⋯壊れた? ⋯⋯どうしよう、⋯⋯アタシたち、⋯⋯どうすれば⋯⋯」
普段は俺に守られ、俺の指示に従って動く二人の猫たちは、主の初めての衰弱を前に、一瞬だけパニックに陥った。白はベソをかきながら部屋を右往左往し、黒は俺の手を握ったまま、震えるように喉を鳴らしている。首元のピンクとボルドーの鈴が、彼女たちの不安を代弁するように、不規則で心細い音を立てた。
だが、白が拳を握りしめ、涙を拭って立ち上がった。
「泣いてる場合じゃないよ、黒ちゃん! 今度はアタシたちが、ご主人様を守る番なんだから! 今日はアタシが、この家の『隊長』になる!」
「⋯⋯ん。⋯⋯わかった。⋯⋯アタシ、⋯⋯看病、⋯⋯する。⋯⋯絶対に、⋯⋯治す」
そこからは、二人の「献身」という名の戦いが始まった。
キッチンからは、かつてないほど激しい音が響いてくる。「チリン、チリン」と、二人の首元の鈴が、戦場を駆けるように鳴り響いている。
「黒ちゃん、お水持ってきて! 氷はもっとたくさん! あとお粥の火加減見てて! 焦げないようにね!」
「⋯⋯わかった。⋯⋯氷、⋯⋯冷たい。⋯⋯でも、⋯⋯がんばる⋯⋯。お粥、⋯⋯ふつふつ、⋯⋯言ってる。⋯⋯これ、⋯⋯混ぜるの?」
白の指示は的確(?)だが、慣れない共同作業にキッチンは戦場と化していた。しばらくして、白が誇らしげに運んできたのは、やはり彼女らしい「派手」な一皿だった。
お粥は少し水分が足りずにボテッとしており、所々が少し茶色く焦げている。だが、その上には梅干しのペーストで、歪ながらも大きな「はなまる」が描かれていた。添えられたリンゴも、皮が剥ききれていなかったり形がバラバラだったりするが、一生懸命剥いたのが伝わってくる。
「ご主人様、これ食べて! アタシが魂を込めて作った『元気が出る爆発お粥』だよ!」
白は俺の体を支え、熱っぽい吐息を漏らす俺の口元へ、ふーふーと丁寧に、だが少し勢いよく冷ましたお粥を運んでくる。
「熱いからね、気をつけてね! ⋯⋯はい、あーん!」
一口食べてみると、驚いた。見た目こそ無骨で少し焦げ臭い部分もあるが、出汁が効いていて、驚くほど優しく滋味深い味がした。喉を通る熱が、凍てついた体の芯に小さな灯をともしていく。
「⋯⋯おいしいよ、白」
「えへへ! よかったぁ! おかわりもいっぱいあるからね!」
「⋯⋯お薬も、⋯⋯ちゃんと飲んで。」
理性的(?)な看護をする白に対し、黒の看病はもっと本能的で、直接的なものだった。
彼女は俺がお粥を食べ終えると、白が食器を片付けに行っている隙を突き、スルスルと俺の布団の中に潜り込んできた。
「⋯⋯ご主人様。⋯⋯アタシが、⋯⋯熱、⋯⋯吸い取ってあげる。⋯⋯こうすれば、⋯⋯治るって、⋯⋯聞いたことある」
黒は人間の姿のまま、熱い俺の体にぴったりと冷たい素肌を密着させてくる。ひんやりとした彼女の体温が火照った肌に心地よく、俺は意識が朦朧とする中で、思わず彼女の細い腰を抱き寄せた。
「⋯⋯ん。⋯⋯いいよ。⋯⋯もっと、⋯⋯抱いて。⋯⋯アタシの、⋯⋯冷たさ、⋯⋯全部、⋯⋯あげるから⋯⋯。その代わり、⋯⋯熱いのは、⋯⋯アタシに、⋯⋯ちょうだい」
黒は俺の首筋に顔を埋め、ボルドーの鈴を静かに鳴らしながら、一定のリズムで喉を鳴らす。ゴロゴロ、ゴロゴロというその特有の振動は、どんな高価な薬よりも深く、俺のささくれ立った神経を鎮めていった。彼女の細い髪から香る、いつもの微かな石鹸の匂いが、死にかけていた俺の意識を繋ぎ止めてくれる。
「あーっ! 黒ちゃん、また先回りして! アタシも一緒に温めるんだから!」
戻ってきた白も、反対側から布団へ潜り込み、俺の腕を力一杯抱え込んだ。
右からは白の献身的な情熱。左からは黒の静かな慈愛。二人の鈴の音が混ざり合い、俺の意識は再び深い眠りへと誘われていった。
数時間後。再び目を覚ましたとき、熱は驚くほど引いていた。
室内には夕闇が降りており、部屋の隅で小さな間接照明が灯っている。両脇では看病に疲れ果てた二人が、幸せそうな寝顔で俺に寄り添い、重なり合っていた。
白のベレー帽は脱げ、隠されていた白い耳が、夢の中で楽しげにぴくぴくと動いている。黒のフードも外れ、俺の肩に押し当てられた黒い耳が、安堵したように横たわっている。
これまでの人生、俺は常に「強くなければならない」と自分を律してきた。誰かに弱さを見せることは、隙を見せることであり、それは破滅に直結すると考えていた。だが今、俺の周りには、俺の弱さごと包み込もうとしてくれる存在がいる。俺のために必死にスープを焦がし、俺のために氷枕を何度も取り替えてくれる彼女たち。
「……ありがとう。白、黒」
俺が二人の頭をそっと撫でると、寝ぼけたようにピンクとボルドーの鈴が「チリ……」と、共鳴するように鳴った。
不器用で、派手で、けれど世界で一番温かいこの看病。
風邪が治りゆく心地よさの中で、俺は改めて、この二人の守護者と共に歩んでいく決意を強くした。