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「……うん、いいよ! カットー!」
その声で敦は肩の荷がふっと軽くなったのを感じた。何度劇をやっても、何度カメラを向けられても、肺が凍りついたかのように緊張する。
「お疲れ様です、敦さん!」
「お疲れ様、太宰くん」
びちょびちょになった二人は、そのままごろんと横になる。一話の収録の入水のシーンが終わったのだ。
「独歩もお疲れ様。すごく良かったよ〜!」
敦はメイクさんに手直しされている国木田に話しかける。国木田はにへらと笑い、
「先輩に褒められたら、めちゃくちゃがんばれるー! あーでも次もわし出んにゃあなのかー!」
「あはは。独歩は普段は声、へにょへにょだもんね」
「そうじゃよ! なのになんでこねーな声を張る役なんじゃろう……先輩、飴やら持っちょらん?」
「ラムネならあるよ、いる?」
「おるおるいる! やったあ!」
と、国木田にラムネをやろうと立ち上がった途端、
「嫌です、敦さん。僕を置いていかないで!」
と太宰に足を掴まれた。
「ただマネージャーさんからもらいに行くだけだよー?」
太宰はぷくーっとふぐのように頬をふくらませ、
「敦さんは後輩の僕と、ただの共演者だったら、どっちが可愛いんですか!」
と、敦の足にしがみつく。敦は考えるまでもなく、
「独歩かな」
「最悪だ!」
どっと笑いが起こる。太宰はなぜ笑われているのかわからないとでも言った様子だ。
それでいい。彼はそれが一番心地いい。
「でもまあ、僕も喉痛いし、ふつうにラムネほしいな。ってことで離して。」
「じゃあ僕にもください。……敦さんの」
「言い方言い方。……わかった、持ってくるね」
敦は太宰から離れ、マネージャーの元へ行く。マネージャーは敦を見るなり、ぺこりと頭を下げ、「こちらです」と手際よくラムネといちごの飴をくれた。
「敦くん、昨日の夜から何も食べていないでしょう?」
とマネージャーさんは顔を歪ませて、敦の首元を撫でた。襟を直してくれただけだった。
「……ありがとう」
「いえ、お構いなく。」
マネージャーは敦の手の甲を、ゆっくり撫で、そして人差し指を置く。
「……兄は無事ですから。今は、ただ、兄の物語を完結させてください。……あなたにしかお願いできないんです。」
その目は、強く鋭かった。唾を飲み込む。
「……当たり前です。必ず、終わらせてみせます。それで、夢から覚めるのなら。……そしてまた、先生と生きていけるのなら……」
淡い期待を胸に、彼らはただひたすらに手を握りしめて祈ることしかできなかった。
先生の命は、もう長くないだろう。だけれど、ここで終わらせるわけにはいかない。あと、あと半年。あともう少しがんばれば、この『文豪ストレイドッグス』は終わる。そうすれば、先生は……また敦と抱きしめてくれるかもしれない。
先生は善い人だった。お人よしだったが、信念は常に強い人だった。いつだって子どもたちのことを考えてくれていた。特に敦と芥川のことは、よく叱って愛して撫でてくれた。
先生との思い出と言えば、読み聞かせだった。先生は本が大好きなお方だから、読むのも書くのもお上手だった。子どもたちは先生の演じるキャラクターが大好きで大好きで、よく読んでとせがんでいた。だからか、先生の書斎の前には子どもたちの列が並んでいた。
芥川はその中でも一番最初に並んでいた子どもだった。そして一番刺激的で長い話を持ってきて、みんなの前で目を輝かせながら、先生が受け取るのを待っていた。敦は真逆だった。だから、芥川のことが羨ましかった。
先生はみんなの父親のような人だった。優しいけれど、厳しい方だったから、自然と子どもたちは先生のことをパパと慕っていた。
最初は敦だって、パパと呼んでいた。けれど、パパはパパにはなれなかったものだから、やめた。いい思い出などないパパを慕うことなどできなかった。
「……耳がある者、目がある者、口がある者がいるのならば、真っ先においでなさい。必ずやそれが必要な時がある。」
監督がよく先生に言っていた言葉を、先生は機嫌良く繰り返している。……今も、なお。