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◇◇◇◇
城の廊下は明るく照らされていた。窓の外はすでに真っ暗だ。
磨き上げられた床に、セレナの足音が静かに響く。
「待て」
低く、抑えた声。
振り返ると、細身の男が立っていた。
切れ長の目に、知性を宿した光。整った顔立ちに銀縁の眼鏡がよく似合う。隙のない装いをしている。
男は、眼鏡のブリッジをくいっと押し上げた。
「お前がセレナか」
「はい。貴方はどちら様で?」
「大臣のダルフィードだ」
名乗りに迷いはない。
「お偉い方だったんですね」
「見え透いた敬語などいらん」
冷ややかな視線が突き刺さる。
「陛下に取り入って、何を考えている。この国をヴァルディウス王国のように、内部から腐らせる気か?」
「……なんのことかわかりません」
セレナは静かに返す。
「私はお前が気に食わん」
ダルフィードの声は低いが、激情は抑え込まれている。
「陛下は、お前のために国まで賭けようとしている」
その言葉に、セレナの指先がわずかに強張った。
「……はい」
「わかるだろう。つい最近まで人を救うことを使命としていた白の魔女なら、何が間違っているかぐらい」
「わかります」
迷いなく、答える。
ダルフィードの眉が、ほんのわずかに動いた。
「私では、もう陛下を止められない。お前から正しい道へ導いてくれないか」
「私にどうしろと?」
「ヴァルディウス王国へ自ら帰れ」
圧のある声が、セレナに突き刺さる。
「陛下には隠すことになるが、馬車はこちらで用意する。欲しいものは何でも揃えよう」
「欲しいものは、死んだら持っていけないわ」
「いらないならそれでいい。これは私なりの善意だ」
ダルフィードは淡々と言う。
「踏み付けてもらっても構わん。どうせ私は、お前に残酷なことをしようとしているのだから」
セレナは小さく息を吐いた。
「いいえ。国と私なら、比べるまでもないわ。陛下がおかしいのよ」
「……まったくだ」
即座に同意する。
「陛下は勝てると仰ってくれた」
セレナはまっすぐダルフィードを見る。
「大臣のダルフィード様から見て、バリスハリスはヴァルディウス王国に勝てるの?」
鋭い問い。
ダルフィードは一瞬だけ視線を逸らし、そして言った。
「陛下が仰ったなら、勝つ。どんな手を尽くしてもな」
「どんな手を尽くさないと勝てない相手、ということね」
沈黙。
「私も、この国の人たちに傷付いてほしくないのは、貴方と同じ」
セレナは微笑む。
「馬車はいつ? 今から?」
「今からでも出せる」
「そう。私が従順でよかったわね。手荒なことをしなくて済む」
その瞬間。
ダルフィードの手が、ゆっくりと腰の後ろから出てくる。
そこに握られていたのは、白いハンカチと小さな薬瓶。
透明な液体が、わずかに揺れている。
「……なぜわかった」
「魔女は鼻がいいの」
セレナは一歩、近づく。
「魔女を眠らせたいなら、効力を弱めてもいいから無臭の薬を使わないと」
ダルフィードは眼鏡を押し上げた。
「それは今後に生かそう」
「今後がないといいわね」
静かな、からかい。
廊下の外では、平和な城の時間が流れている。
だがその中心で、国の未来を左右する選択が、静かに揺れていた。