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◇◇◇◇
夜の馬車が静かに街道を進んでいた。
馬車は豪華なものではない。屋根もない吹きさらしの荷台に、セレナはひとり座っている。
御者の姿は分かりにくくされていた。分厚い服を重ね、口元まで布で覆い、さらに大きな麦わら帽子を深く被っている。顔の輪郭すら影に沈んでいた。
荷台にはセレナのほか、新鮮な野菜と高級な干し肉が積まれている。
どこにでもある商人の荷馬車。夜道を走るには、むしろ目立たない。
だがセレナは知っていた。
この馬車が向かう先は、ヴァルディウス王国。
そこに帰れば、自分は死ぬ。
久しぶりに見上げた夜空は、どこまでも広かった。
群青の闇の中で、色とりどりの星が瞬いている。
まるで、遠くから自分を迎え入れるように。
セレナは小さく息を吐いた。
「私も、もう少しであなたたちの仲間入りね」
星に向けて呟いた、その瞬間だった。
「いや、それは俺が許さない」
聞き覚えのある声だった。
セレナが勢いよく振り返る。
御者席に座っていたのは。
「……陛下?」
馬車がゆっくりと止まる。御者は布を外し、麦わら帽子を取った。
現れたのは、間違いなくバリスハリス王国の王、レオニスだった。
「なんで陛下がここに!」
「セレナと馬車のデートにでも行こうと準備していたんだが」
レオニスは肩をすくめ、少し笑う。
「こんなに早く実現するとは思わなかった。ダルフィードも行動が早い」
「……でも、なんで」
「最初からだ」
レオニスは当然のように言った。
「セレナがバリスハリスに来た最初から、網は張っていた。ダルフィードのことだ。いつか動くと思っていた」
静かな声だったが、確信に満ちている。
「セレナをヴァルディウス王国に帰すとな」
セレナは首を振る。
「ダルフィード様は悪くないのです。帰る私に協力してくれただけで」
「いい」
レオニスは静かに遮った。
「全部分かっている。臣下にそこまで心配させるのは、俺の落ち度だ。セレナにもな」
その言葉に、胸が締めつけられる。
「陛下は勝てると言いました。でも……でも……」
声が震える。
「私のせいで誰かが死ぬのは嫌なんです!!!」
叫びが夜の街道に響いた。
そのとき、レオニスが御者席から立ち上がった。そして荷台に向かって手を差し出す。
「セレナ」
強く、迷いのない声だった。
「お前は俺の隣で俺を支えてくれ」
夜風が二人の間を通り抜ける。
「それだけで誰も欠けることなく、完全勝利をしてみせよう!」
星が流れた。
その瞬きよりも、レオニスの真剣な瞳のほうが強く輝いていた。
「お前にはそれだけの力がある!」
セレナは首を振る。
「……ヴァルディウス王国に対して、完全勝利なんて無理です」
「ああ、無理だ」
レオニスはあっさりと頷いた。
「セレナが隣にいてくれなければな」
「隣にいたぐらいじゃ結果は変わりません!」
「俺を誰だと思っている」
レオニスの目が鋭く光る。
「バリスハリス王国の王、レオニス・バリスハリスだ。口にしたことは曲げん」
「レオニス様……」
「手を取ってくれ、セレナ」
セレナは迷った。
それでも……。
その手を、掴んだ。
次の瞬間、強い力で引き寄せられる。
「きゃっ!」
身体がふわりと浮き、レオニスの腕の中に落ちた。
抱きしめられる。
思ったよりも近い距離。息が触れ合うほど近い。
「死ぬ時は」
低い声が耳元で響く。
「俺の腕の中だ」
セレナは息を詰まらせる。
「陛下は完全勝利と約束されました」
「それは嘘だ」
レオニスは迷わず言った。
「口にしたことは曲げないとも仰いました」
「そんな夢物語を戦の前の日は必ず考える。だか叶ったことはない。今回は兵のほとんどが死ぬ。俺も生きているかどうか分からん」
その言葉はあまりにも現実だった。
「でもな」
レオニスの腕に、少しだけ力がこもる。
「むざむざセレナを死なせる訳にはいかない」
セレナは顔を上げた。
「なんで私なんですか? 禁忌の魔女で、みんなから嫌われる白の魔女なんですよ」
震える声で問いかける。
「私以外のみんなから愛される女性なんて、沢山います」
答えは言葉ではなかった。
レオニスの唇が、そっとセレナの唇に触れる。
「んッ……///」
一瞬のキス。
けれど確かに熱が残る。
レオニスは少しだけ笑った。
「言葉は無粋だ。俺がセレナを横に置きたい理由が分かったか?」
セレナは頬を真っ赤に染めながら答える。
「分からないです」
「じゃあ」
レオニスの顔が、もう一度近づく。
「分かるまで」
「えっ!? んッ……///」
再び、唇が塞がれた。
夜空の星だけが、二人を見下ろしていた。