テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
私たちが婚姻届を提出してから、もう一年が経つ。
今日もよく晴れた秋の夕暮れの空を横目に、私はリビングで明日のミーティング用の資料とにらめっこをしていた。
「愛音、花斗、今日はコロッケ、な」
キッチンからジュージューと揚げ物の音をさせながら、壱月がリビングにひょこっと顔を出す。
「うん、了解! 私ももうこれ、片付けちゃうね」
私は資料を手早くまとめつつ、壱月に返事をした。
花斗は私の隣で、落書き帳に飛行機の絵を描くのに夢中になっていた。
花斗はもうすぐ五歳になる。年中さんにもなると、もう見た目はすっかりお兄さんだ。描くイラストも、ずいぶんしっかりしてきた。
コロッケなんて聞いたら、昔はすぐにコロッケダンスを踊っていたのに。
そんなことを思い出してクスっと笑い、壱月と再会してからもうそんなに時間が経ったのかと、不意に懐かしさが胸を襲った。
壱月と再会したのは、一年半ほど前。
彼の子をお腹に宿したまま、音信不通になってしまった彼と再会したのは、花斗が三歳の時だ。
壱月が初恋の人で、ハジメテの相手で、だからこそ再会した時は嫌悪感だらけだったし、彼の無責任な態度に何度も泣かされた。
けれど、違った。
私がシングルマザーとして花斗を産み、育てている間に、壱月も苦しみを乗り越えていた。
それを知ってからは、壱月の愛を素直に受け取れるようになった。
色々とすれ違ったこともあったけれど、壱月はいつも私を愛してくれていた。
その愛は、もちろん息子の花斗にも向いていて、今は立派な花斗の父親だし、私の自慢の愛しい旦那さんだ。
「花斗、そろそろ片付けて手を洗いに行こう?」
壱月の声が馬耳東風な花斗に、私が言っても意味なし。必死にクレヨンで飛行機の翼部分を塗り続けている。
そのグレーの色の塩梅に、大人の私もつい感心してしまう。
けれど。
「はーなーと。ほら、愛音も!」
肩を叩かれてピクリと震える。エプロン姿の壱月が、コロッケのお皿片手にこちらを見下ろしていた。
「ごめん、壱月! ほら花斗、急いで片付けよう。コロッケ冷めちゃう!」
慌てて、散らばっていたクレヨンを拾い集める。
まだ描いていたそうな花斗に「ご飯の後でね」と告げクレヨンを片付けさせてから、私は花斗と洗面台へ向かった。
ご飯のいい匂い。素敵な旦那さんのいる毎日。
こんな幸せな日々が、ずっと続くはず。
私はそう思いながら、花斗の小さな手を洗う。
「ママ、ダイニングまで競争!」
手を拭くのもそこそこに、ダイニングまで走りだした花斗を、私は幸せな気持ちで追いかけた。
壱月お手製コロッケの夕食の後、これまた壱月の淹れてくれた特製コーヒーを飲んでいると、壱月が話しかけてきた。
「そういえば、今度俺の上司が、ホームパーティーするんだけど」
花斗はリビングで、飛行機の続きを描いている。
「上司って……パイロットさん?」
「ああ。ほら、空港で会ったことなかったか? 体の大きい、陽気なアメリカ人」
その人の顔を思い出し、「ああ」と頷く。すると、壱月は続けた。
「彼、定期的にホームパーティーをしていて、俺も何度も誘われていたんだ。でも、俺らって結ばれるまでにいろいろあっただろう? だから、今までは断っていたんだ」
壱月はそこまで言うと、申し訳無さそうに眉を下げ、ふう、とひと息ついてから続けた。
「でももう入籍してから一年経つし、そろそろ参加したほうがいいと思ったんだ。……それに、職場のみんなに、愛音のことを自慢したい。こんな可愛い嫁が、高校の頃から俺のこと一途に愛し続けてくれてますって」
最後に呟くように付け足された言葉に、顔が熱くなる。時間差でニマニマと頬がだらしなく緩んでしまい、私は慌ててカップで顔を隠した。
「でも私、部外者だよ。お邪魔じゃないかな?」
つい、そんなことを聞いてしまう。すると、壱月は続けた。
「邪魔だと思ったら誘わない。そもそも、欧米ではパーティーはパートナー同伴が基本だ」
「そうなの?」
「そうなの」
言いながら、壱月が私の額を小突く。思わずキュッと目を閉じると、チュッと唇に甘い口づけが降ってきた。
「あー、パパ、ママにちゅーした!」
飛行機の絵の続きを描いていたはずの花斗が、いつの間にかテーブルの横にいた。
どうやら、私たちを見ていたらしい。こちらを指差し、不機嫌そうに顔をしかめる。
「ぼくもー!」
「はいはい、ちゅー」
腰を屈めて花斗の方に顔を近づけると、「『はい』はいっかいでしょ!」と小言を言いながら小さな唇がちゅっと触れてくる。
「ああ、愛音と結婚したのは俺なのに」
壱月がこぼす。そんな小さな嫉妬に、またニマニマと頬が緩んでくる。
「そういうわけで、ホームパーティーよろしくな」
「え!? もう決定事項だったの?」
壱月にそう返すと、彼はにやりと笑った。
「おう。あ、もう義姉さんには花斗のこと、頼んであるから」
「えええ!?」
声を上げると、壱月がケラケラ笑う。
こういう時の壱月の段取りの良さはピカイチすぎる。
でも、壱月の職場の人たちに会えるのは、素直に楽しみな気持ちもある。
私が「よろしくお願いします」と頭を下げると、「そんなにかしこまらなくていいから」と壱月に笑われてしまった。
35
67
44
コメント
1件
おお、72話お疲れ! 壱月と愛音の結婚生活、もう一年経ったんだね。再会した頃のゴタゴタを思うと、今の日常が本当に沁みるわ…。コロッケの夕飯に、花斗とのちゅーの奪い合い、そして「自慢したい」って照れながら言う壱月。あのシーン、こっちまでニヤけたわ。 ホームパーティー、どんな職場の人たちが来るのか気になるし、愛音がどんな風に振る舞うのか楽しみ。今夜はあたたかい気持ちで眠れそうだ🔥