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朝、出勤すると、いつものフロアに、微妙なざわつきが漂っていた。
すちが席につくなり、近くの女性社員たちが、ひそひそと会話を交わす声が耳に入る。
「昨日さ、送迎のときのあれ……見た?」
「うん……まさか……彼氏だったの……?」
「てか、同性……だったよね……」
すちは無表情のまま、PCを立ち上げた。
意図的にその会話を無視したわけではない。ただ、それに反応する必要がないと判断しただけだった。
しかし、ある女性社員が意を決したように近づいてくる。
「すちさん……昨日の、その……あの方って……ご家族、ですか?」
遠回しな質問。周囲の視線も一斉に集まる。
すちは一瞬だけ手を止め、相手の目をしっかりと見て、穏やかに、しかしはっきりと答えた。
「彼氏です。大切な人です」
ざわっ、と空気が揺れた。
目を丸くする者、目を逸らす者、何とも言えない顔で頷く者。
でも、すちは動じなかった。静かな口調で、付け加える。
「驚かせてすみません。ただ、隠すつもりもありませんでした。
俺は、誰に何を言われようと、あの人を大切にします。だから、変な憶測や悪意のある噂話だけはやめてください。……それだけです」
それだけ言って、すちは再び画面へと視線を戻した。
何かを強く主張したわけではない。
けれど、その言葉の裏には“誰に否定されても構わない”という、確固たる信念があった。
しばらくの沈黙の後――
「……そっか。素敵な人だったね、彼氏さん」
「ちゃんと迎えに来てくれるとか、優しいね」
「……うん、ていうか、キスしたときめちゃくちゃかっこよかったんだけど」
そんな風に、少しずつ空気が和らぎはじめる。
あの毅然とした態度は、少なからず周囲の敬意を集めた。
“かっこいい”という噂は、別の意味で広まっていくことになる。
その日の昼休み、同期のひとりがコーヒーを差し入れながら、ぼそりと声をかけた。
「……やっぱ、すちってブレないよな。うらやましいわ、そういうの」
「……ありがとね」
「ま、その彼氏くんが迎えに来てくれるなら……次酔いつぶれても安心だな」
「二度と潰れないようにする。迷惑かけたくないから」
ぽつりとこぼしたその一言には、どこまでも“愛”が滲んでいた。
___
「ねぇねぇ、みことくんってさ、付き合ってる人いるんでしょ?」
同僚のひとり、明るめの髪色の女性が軽い調子で声をかけてくる。
「……っ、え? ……あ、う、うん……いますけど……」
おにぎりを頬張っていたみことは、口元を急いでぬぐいながら、目をぱちぱちさせた。
昼休みの休憩スペースに、数人の同僚が集まり、ちょっとした雑談モードに入っていた。
「わぁ〜!やっぱりー!なんかね、たまにスマホ見てニコニコしてるから、怪しいな〜って思ってたんだよね!」
「どんな人なの? 年上?年下? 職場の人? え、まさか遠距離?」
矢継ぎ早に飛んでくる質問に、みことはちょっとだけしどろもどろになりながら、それでも嬉しそうに目を伏せた。
「……同い年、です。大学のときの同期で……いまは別の会社だけど、近くで働いてます」
「へぇ〜〜! 大学からずっと? え、長くない? それってけっこう本気じゃん!」
「……はい、……すごく、大事な人です」
ポツリと答えたその一言には、はっきりとした“覚悟”と“愛情”が込められていた。
それを感じ取ったのか、周囲の同僚たちは少し驚いたような顔で、それでも柔らかく笑った。
「……ね、ていうかさ、写真ないの? どんな人か見たい〜!」
「えっ……しゃ、写真……!? ……い、いまは……」
あたふたとスマホを握るみこと。
そのとき、ふとロック画面に、すちと一緒に撮った写真が表示される。
「あっ……今の!それ!? ねえそれ誰!? めっちゃイケメンじゃない!?」
「うそ〜〜〜!モデル?てか、オーラやばくない?」
「えっ、待って、みことくん……恋人って……男の人、なの?」
一瞬だけ、空気がすっと静かになる。
みことは、迷うことなく、まっすぐ頷いた。
「うん。彼氏、です。……男の人だけど、俺にとっては、誰よりも優しくて、誰よりも、愛してくれる人です」
言い終えた瞬間、胸がどきどきしていた。けれど、その緊張は、すぐにふっと和らいでいく。
「……かっこいいな、それ」
「ちゃんと好きな人のこと、言えるのって素敵だと思う」
「てか、彼氏さん超イケメンだったし、正直、超納得なんだけど……!」
次々に届く、肯定の言葉。
驚かれても否定されなかったことに、みことの胸にはじんわりと温かいものが広がっていた。
「今度、紹介してよ〜!てか、彼氏さんってみことくんのことどう呼んでるの?」
「……“みこと”、って呼び捨て、かな……」
「きゃー!想像以上に甘いっ!まって、尊い〜〜!」
女子たちのはしゃぎ声に、みことの顔はすっかり赤くなっていた。
「そういえばさ、みことくんって指輪してるよね? あれって……もしかして……」
みことがぽかんとしていると、隣の同僚がニヤリと笑いながら続けた。
「もしかして、婚約指輪とか? あんなかっこいい人と付き合ってたら、結婚もあり得るってこと?」
みことは少し驚いて、でも顔がほんのりと赤くなった。
「えっと……はい。大学の卒業式の日に、プロポーズされました。指輪もらって……それで」
「わあ、なんかドラマみたい! 彼氏さんすごく真剣なんだね」
「うん、本当に大切な人で……」
みことの言葉に、周囲の同僚たちからは「お似合いだね!」と拍手が起こり、空気は一気にあたたかくなった。
「みことくん、幸せそうでよかった。いつか私たちもすちさんに会ってみたいな!」
「うん、そうだね。今度二人でランチとか誘ってよ!」
みことは嬉しそうにうなずき、心の中でそっとすちへの感謝を噛みしめていた。
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仕事終わり、 少し疲れた表情のすちがソファに腰掛けていた。
「みこと……最近、職場でお前の話、けっこう聞くんだよね」
すちが少し照れくさそうに言う。
「うん、俺も……すちの話、結構出てるみたい。なんか、みんな興味津々って感じで」
みことは照れ笑いを浮かべて答えた。
「指輪のこともね。羨ましがってるみたいだよ」
すちの声には、誇らしさと少しの戸惑いが混じっていた。
「みことが迎えに来てくれたあの日から、俺、絶対誰にも触らせたくないって改めて思った」
すちはみことの手をしっかり握り、目を見つめる。
「俺も……すちにしか甘えたくないし、触られたくない」
みことの声は少し震えていたけれど、確かな想いが込められていた。
「お互いの職場の噂なんて、気にすんな。俺たちだけの時間をしっかり作っていこう」
すちは静かにそう言い、みことの髪を優しく撫でた。
「うん……ありがとう、すち」
みことは安心したように目を閉じ、すちの胸に顔をうずめた。
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