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「えーと……
女王、でいいのでしょうか」
「う、ウム。
我らとしても、どうしてこうなったのか
わからぬが……」
ルーメン・ビートルの群れを撃退後―――
私たちは人間用の拠点の中で、一人の、赤い長髪・
長身の女性と、そして一家を前に困惑していた。
衣服は取り敢えず体に巻かれた布で代用し、
人間の姿をしているが、その正体はと言うと……
ワイバーンの女王、そしてアンナ様と仲の良かった
子供ワイバーン、そしてその家族である。
ビートルを撃退した後とはいえ、公都から来た
人間・ラミア族・イリス君の全員が避難し―――
この拠点の上空と周囲は、他のワイバーンたちが
警備にあたっていた。
「あの、貴方……なの?」
「う、うん」
長いパープルのウェービーヘアーを持つ少女は、
青みがかった短髪を持つ少年に質問し、そして
彼もまた同意で答える。
どうやらこの少年が、伯爵令嬢を乗せていた
子供ワイバーンらしい。
「こちらの言葉……はわかるんですよね?」
狐耳の、赤茶の髪を持つ獣人族の少年が、
人間の姿になった女王、そして彼らに問うと―――
ただ黙ってうなずいた。
そして改めて私は、女王であろう人間の女性の姿の
『彼女』と向き合う。
「どのような感覚でしょうか。
その、痛いとか苦しいとかは?」
「それは無い。
違和感は覚えるが、別に動けぬというわけでも、
魔法が使えないという感じでも無い」
手をグーパーと、握ったり開いたりしながら、
女王は自分の体を見つめる。
身体強化ならすぐ確認出来るし、おそらく
そういった不都合は無いのだろう。
「でもすごい美人さんになりましたねー」
「体つきものう。
我が嫉妬するほどじゃ」
「ピュピュ~」
黒髪の、セミロングとロングの妻2人が、
同性としてその美貌を褒め称える。
「人間の美醜の程度はわからぬが……
女として美しいと評価されるのは悪くは無いな」
まんざらでもない顔をする女王。
そして一家の方を振り向くと、全員の視線も
そちらへ移る。
「お前たちはどうだ?」
まずは両親らしき大人の姿の方から、
「不思議な感覚ではありますが……」
「苦痛などはございません」
子供たちの方も、『新しい姿』の体の確認を
するように、首や手足を適当に動かす。
ちなみに男の子2人、女の子3人の兄弟姉妹だ。
「女王様。
やはり、『先祖返り』なのでしょうか?」
アンナ様と隣り合う少年がおずおずと口を開く。
そもそもの発端は、彼の体の異常だ。
それに対する女王の見解の一つではあったが、
「わからぬ。
魔狼に対するフェンリルのように、加護を
かける者がいるでもなし」
確かに魔狼の話では―――
人間の食事……正確にはドラゴンの影響を受けた
メルの水魔法によって、育てられた魚を主食と
する事で魔力が満ち……
それプラス、ルクレセント様の加護で人間の姿に
なったのでは、と聞いた。
(69話 はじめての にんしん参照)
加護を与える側のルクレさんも、普通に人間の姿に
なれるし……ん?
「あの、女王様。
あなたには加護の力は無いんですか?
ルクレセントさんのように―――」
私の質問に彼女は両目を閉じて、
「そのような事、考えた事も無かった。
確かにここのみんなは我が庇護下にあると
思っておるが」
そこでアルテリーゼが割って入り、
「あのルクレセントにも加護の力が
あるのじゃ。
普段から群れを統率するお主にあっても、
別におかしくはなかろう?」
「うん。ていうかむしろ女王サマの方が
フツーに持ってそう」
「ピュ~」
メルとラッチも同意するように続く。
そこで女王は、フッ、と一息ついて、
「……まあ、ここで何をどう言おうが
わからぬ事よ。
しかし、『女王』や―――
そこの者、ではいちいち呼びにくいな」
後ろで話を聞いていた、ライトブラウンの
長髪を持つラミア族の女性が片手を上げ、
「それなら、何か名前を名乗ったら
いかがでしょうか。
確か公都のワイバーンさんには、
名前があったような」
タースィーさんが言っているのは―――
『ハヤテ』『レップウ』『ノワキ』の3体の事だ。
だけどあれは、ワイバーンライダーとして
訓練するため、識別用に付けたようなもので……
以前から公都にいる、巣へ卵を届ける一家には
何もつけていなかったのだが。
「じゃあ、まあ……」
「ここは一つ、シンに頼んでみては?」
メルとアルテリーゼの言葉に、全員の視線が
今度はこちらに向く。
いきなりの提案に、私は両腕を組んで考え、
「アマテラス、というのはどうでしょうか」
「あまてらす?」
女王が聞き返し、私は名前を説明する。
自分の故郷の最高神であり女神。
また、太陽を意味すると。
「……嬉しいが、ちと私には恐れ多い。
もう少し控えめの方が気が楽なのだが」
遠慮がちに彼女は否定する。
しかし控えめと言っても……と考えていると、
私の頭にもう一つ名前が浮かび、
「では、ヒミコではいかがでしょうか。
神に仕える人間の名前で、同時に女王でもあった
者の名前ですが」
そこで彼女は軽くうなずき、
「……良き名前である。
では、私はこれから『ヒミコ』と名乗ろう」
ホッと胸を撫で下ろすと、ワイバーン一家の
方向から声がして、
「あ、あのっ!
彼にも何か、名前を付けて頂けませんか?」
声の主はアンナ様で―――
『彼』とはもちろん、彼女を乗せていた子供の
ワイバーンの事だろう。
「え、いやその……
私が付けてもいいんですか?」
女王や他のみんなの顔を見ると、誰もが
ウンウンとうなずき……
逃げられない事を悟る。
男の子なのは知っているので、男っぽい名前で、
さらに神様から取るのは女王が拒否したので、
それも避けなければならない。
私はしばし熟考の時間に入る。
『ヤマト』は公都ですでに使ってしまっているし、
何より地名から取るのは少し違う気もする。
でもかつては戦艦の名前でもあったし……
いや、確か姉妹艦が……名前が……
「……『ムサシ』、ではどうでしょうか。
私の故郷の歴史上の人物―――
最強と謳われた剣士の名前です」
それを聞いた彼女は、『彼』に確認するように
振り向くと、
「『ムサシ』ですね!
とってもいいと思います!
アンナ様、よろしくお願いします!」
『ムサシ』は興奮しながら、伯爵令嬢に
話しかける。
「は、はい……!
こちらこそよろしくお願いします、
ムサシ君……!」
彼女は顔を赤らめ、周囲はそれを暖かく見守り……
取り敢えず話はお開きとなった。
その後、女王様とムサシ君が名前を付けて
もらったと聞いたワイバーンたちが、自分も
付けて欲しいと殺到したのだが、
『人間化したら』と条件を付け―――
ワイバーンの巣に人間の拠点を建設する作業は、
何とか無事に終了し……
私たちは公都へと帰還した。
「うむむむむ……」
2日後、冒険者ギルドの支部長室で―――
その部屋の主がうなり声を上げていた。
「ふむ、ワイバーンまでもが……」
「完全に人化しています。
翼もシッポも見られず―――
子供の魔狼のような、不完全さも
見られませんね」
銀髪と、さらに白いシルバーのロングヘアーを持つ
薬師とその妻が、ムサシ君を観察する。
「女王様……『ヒミコ』様と、その、何だ。
『ムサシ』の家族も、か。
他に人化したワイバーンは?」
白髪交じりの頭をかいて、ジャンさんが質問を
継続する。
「僕の両親と―――
4人の兄弟・姉妹だけです。
まだ慣れませんが、意図的に人化を解いたり
する事は可能です」
公都に戻ってすぐ、私たちは事情を説明するため、
ムサシ君を連れてギルド支部を訪れていた。
ヒミコ様は女王という立場から、ワイバーンの巣を
うかつに離れる事は出来ないため、同行せず―――
その代わり、何かわかり次第お互いに情報を
共有・更新するという事で同意した。
「あのう、僕はどうなりますか?」
獣人族の少年が、不安気に質問してくる。
彼はこの公都へ留学組という事になっているが、
ワイバーンの通訳として、という意味合いが強い。
そのワイバーンが人化してしまったと
いう事は―――
ただでさえ、獣人族の地位向上を好ましく
思わない勢力が、獣人族の引き上げを
要請する可能性は、十分考えられた。
しかし―――
「それがねー。
ヒミコ様とムサシ君、ワイバーンの言葉
わからなかったんでしょ?」
「人の言葉は、ワイバーンであった時でも
理解出来たらしいのだが―――
人化した時は仲間の言葉がわからなかった
そうだ」
「ピュ~」
メルとアルテリーゼがその心配に答える。
そう―――
魔狼と同じような現象が彼らにも起きていたのだ。
リリィさんを始め、大人の魔狼は人化する事に
成功したが……
人間の姿の時は完全に『別種族』。
魔狼の姿の時の仲間とは、言葉が全く
通じなかったのだ。
(89話 はじめての もぐら参照)
「普段なら、通訳の機会は減るかも知れませんが、
緊急時となりますと」
「大変だったんですよ。
獣人族がいない時は、本当に」
医者として、パック夫妻が真剣な表情で語る。
彼らの説明によると、魔狼の子供も人間と
同じように体調変化を起こしやすいらしく、
治療の際、容態や具合は母親を通じてしか
聞く事が出来ず……
質問の度に母親が人化したり魔狼に戻ったりして、
その意思疎通は困難を極めたという。
つまり、パックさんが質問する
↓
母親魔狼が魔狼の姿になり、子供に質問する
↓
母親魔狼、人化してパックさんに答える
↓
さらにパックさんが質問する
↓
母親魔狼、また魔狼の姿になり子供に質問……
という事か。
「そりゃ確かに大変そうッスね……」
「でもそうするしかないですもんね……」
ギルド長の後ろの方に立っていた、褐色肌の黒い
短髪の青年と―――
その妻であるライトグリーンのショートヘア、
丸眼鏡の女性がうなずく。
「浄化魔法で治せるものならいいんですけど、
異物を飲み込んだりしていた場合なんかは……
原因を取り除く必要がありますから」
「それに、パック君だっていつもいるとは
限らないので―――」
そういう問題もあるよなあ。
確かに、対応出来る選択肢はいくらあっても
困る事はない。
しかし、負担を増やしていた事に気付かず……
私は2人に頭を下げた。
「申し訳ありません。
そのような事になっていたとは」
すると医者夫婦は首を軽く左右に振って、
「いえ、それが仕事ですから―――
それにひと昔前に比べれば、病人もずっと
減っているんですよ。
この規模にしては、むしろ少ない方です」
「やっぱり、食事とお風呂とトイレが
効いているんだと思いますよー」
栄養と衛生は、そのまま健康に直結するからなあ。
そう言われると、少しだけ心が軽くなる。
「しかし、人間の姿になれるって言ってもなあ。
あのワイバーン用の住居だと、いろいろと
不都合が出て来ないか?」
生活についてギルド長がたずねる。
あの巨大なカラーボックスのような、土魔法で
作られた建物―――
ワイバーンの時はそれでもいいが、人間の姿で、
となると問題も生じるに違いない。
「ずっと人間の姿ではいられないの?」
アンナ様がムサシ君に問うが、
「正直、どこまで自分自身の意思で人化を
解いたり戻したり出来るかは……」
ある程度は制御出来るだろうが、まだ完全に
能力を把握し切れているとは言い難いのだろう。
「まあワイバーンとの共存生活は、今後
もっと多くなるだろうし……
こちらでも考えなければなるまい。
ひとまず、今の住居の隣りに人間用の
家屋を建ててもらおう。
そこでしばらく様子を見る事にして―――
寝る時だけ、元の住居に戻るっていうのは
どうだ?」
「それまではどうするッスか?」
ジャンさんの提案に、レイド君が聞き返すと、
「あの児童預かり所で暮らしてもらおう。
場所もすぐ後ろだし―――
確か7人家族だっけ?
それくらいならまだ空きはあるはずだ」
と、今後の方針が決まり、一段落した雰囲気が
室内に満たされると同時に……
なぜかドア越しに、
『えー!?』『そりゃ無いですよー』
『冒険者ギルドでいいじゃん!!』
『せめてムサシ君だけでも……!』
と、複数の女性の声でブーイングが飛んできた。
「あの……あれは?」
その方向を見ながらアンナ様が質問すると、
ギルド長は頭をガシガシとかいて、
「気にしないでくれ。
ただのしゃべる石だと思えばいい」
「は、はあ……」
多分、ムサシ君目当てで女性冒険者がのぞきに
来ているんだろうなー……
土精霊様の時もそうだったけど、この世界の
女性って積極的や過ぎませんかね。
レイド夫妻も微妙な顔しているし……
こうして複雑な空気の中、話し合いは終了した。
「よし……っと」
2、3日ほど経過して―――
私は今日やる仕事のため、身支度をしていた。
場所は、公都中央区画の施設。
丈夫な長ズボンを履き、胸ポケットには照明の
魔導具を着ける。
顔に布マスク、ガラスで出来たゴーグルのような
物を装着し―――
肩にかつぐためのロープを付けた、水魔法の
魔導具の杖を背中に回して準備が完了する。
「相変わらずムダにカッコイイ装備だねー」
「考えあっての事だと言っておっただろう。
現に、シンの狙い通りになっておる」
「ピュー」
メルとアルテリーゼが、この格好について
言葉を交わす。
そこへ、同じような装備に身を包んだ、
やや痩せ型の―――
ダークグリーンの短髪をした、30代の男性が
片手を上げて近付いて来た。
「シンさん、こちらも準備完了です」
「わかりました。
ではリーベンさん、『上』の方は手はず通りに
お願いします」
風魔法の使い手であるリーベンさんは―――
当初、店の換気や魚の一夜干し、後に下水道の
匂い対策として、トイレ部分から風を送り込んで
もらう仕事をしていたが……
ブーメランの使い手となってもらってからは、
いざという時は冒険者ギルドと合同で町の防衛に
あたる、ブーメラン部隊の副隊長となった。
その後、隊長だったレイド君は、次の支部長となる
事が確定した経緯もあり―――
ブーメラン部隊から外れ、そのままリーベンさんが
隊長に昇格。
今や非常時における公都防衛を担う、
ブーメラン部隊30名の最高責任者だったが、
未だに率先して下水道関連の仕事も続けて
くれていた。
「でもリーベンさん。
こちらとしてはありがたいのですが……
この仕事続けてもらってもいいんですか?
別にお金にお困りではないでしょうし」
するとリーベンさんは苦笑しながら、
「それをシンさんに言われても、ねえ?」
周囲を見ると、妻たちを始めとして―――
微妙な表情で笑っていた。
自分の場合は、言い出しっぺという事もあって、
一ヶ月に一度は必ず参加しているのだが……
実のところ、この仕事は当初、かなりの
人手不足という事情もあった。
いつの時代、どこの世界でも―――
やはり汚物処理というのは不人気なのだ。
結構な高額で募集もかけたのだが、それでも
短期だけで、長期間やってくれる人はなかなか
現れず……
そこで形から入る事にしたのである。
事実、糞尿から来る病気や感染は危険度MAX
なので、完全ガードの防護服を用意。
これには魔物や動物の皮を惜し気なく使っている。
また、胸には照明の魔導具、さらに勢いよく
水を吹き出す魔導具の杖も装備。
マスクやゴーグルは、重曹を作ってもらっている
人たちにも使用していたので、そちらから流用し、
現在のようなデザインに定着したのであった。
「では、『下』に行く人は私の指示に従って
ください。
今回は、こちらを着用してもらいます」
私がズボンのような形状の『それ』を取り出すと、
「おー、アレだね」
「もう出来たのだのう」
「ピュ~」
家族が感想を口々にする中、私が見本として
身に付ける。
これは、釣り人が水中に入るために付ける
防水服……ウェーダーのようなものだ。
胸元まであるそれを履いた上で、サスペンダーで
肩から固定する。
素材はもちろん、先日サンチョさんから購入した
『ゴム』である。
最初は、ゴム製の長靴だけでもいいかと思って
いたのだが―――
これならほぼ全身がガード出来る上、外に出た時
水魔法で洗い流せばいいだけだ。
どちらにしろ、一度使った防護服も洗濯するが、
精神的な負担はかなり減るだろう。
しかし何というか……
新素材も相まって、軍の特殊部隊のような外見に
なってしまったが―――
「うおぉおお……!
何か異国っぽい……!」
「見た目は重要という事が、よくわかるのう」
「ピュ!」
家族にも好評のようで、周囲を見渡すと、
「何ですかコレ!?
すごく曲がる!」
「変形が容易ですし、切れたり千切れたり
するような心配も無いほど、丈夫です」
私の他に、10人ほどの男女がその感触を
確かめていた。
「今回、施設整備班用に特別に作られたものです。
水、そして雷を通さない最先端の素材で作られて
います」
おおお、と各所から感嘆の声が聞こえる。
ちなみに『施設整備班』とは―――
こちらもイメージ戦略上、『清掃』や『トイレ』
という名称をなるべく避け、考えられたものだ。
「ではリーベンさん、先にお願いします。
『上』の作業が終わり次第、私たちは『下』へ
向かいますので」
こうしてまずは、リーベンさんが10人ほど従え、
施設を後にした。
門の外にある、直径1メートルほどの円形の
金属のフタのところで―――
私と施設整備班10名は待機していた。
(家族とは施設で別れた)
下水道の清掃は、まず一番上流にあたる部分に
設置された開口部に……
水魔法の使い手が、大量に水を流し込む事から
始まる。
10分ほど水を流した後、今度はリーベンさんを
始めとする風魔法の使い手が、匂い対策として
風を送り込む。
またこれは酸欠対策も兼ねていた。
この作業も10分ほど続く。
そして終了後、
「シンさん、『上』の作業終わりました!」
報告を受けた私は片手を上げて、
「ではみなさん、最終点検を!
安全が確認され次第、入ります!」
全員が慌ただしくチェックを行う。
そして私は、金属製のフタをどかし―――
中を確認すると、あるものを取り出す。
魔物鳥『プルラン』だ。
それにロープを縛って、中へと降ろしていく。
酸欠、もしくはメタンガスのようなものが
発生していないとも限らないので……
最後のチェックとして投入するのだ。
底に到着したらしいが、ロープの引きが激しい。
どうやら元気のようだ。
これで少なくとも酸素関係の心配は無くなった。
「では、私から入ります。
焦らず一人ずつゆっくり入ってきてください」
私はプルランを地上へと戻すと―――
入れ替わるように、下水道へと降りて行った。
「ふーむ。
だいたい洗い流せたようですが……」
胸ポケットに着けていた照明用の魔導具を
外し、手に持って辺りを照らす。
10分間の水の放流は、ほとんどの汚れや
汚物を流したようだが……
それでもこびりついたり、残ったりしている
『ブツ』はある。
「では各自、汚れを発見次第洗い流していって
ください。
くれぐれも直接肌や目に汚れが接触しないよう、
気をつけて」
「「「はいっ!」」」
こうして―――
『下』の作業はスタートした。
この下水道は一番最初に作られたもので……
行先は川の下流、公都から500メートルほど
離れたところへつながっている。
全体として800メートルくらいの長さだろうか。
その地点へ向けて、汚物を処理しながら進んで
いくのだ。
とは言っても、水魔法用の杖が支給されており、
見つけ次第、その魔導具から出るジェット噴射の
ような水流で洗い流すだけ。
この世界、水魔法を使える人は多いのだが、
メルやラミア族のように、攻撃にも使用出来る
水魔法を持つ人は、ほんの一部しかいない。
手から流れるように出すだけとか、また噴射しても
せいぜいコップの水をぶっかけるような―――
そんな使い勝手の水魔法がほとんどで、
それに対し、自分が発注した『一点集中して
勢いよく吹き出す』という魔導具は画期的だった
ようであり……
今では水洗用として、公都各所の大浴場にも
配られている。
そして作業しながら歩き続ける事、30分ほど。
前方にゴールの明かりが見え始めた。
「これで今回も無事終了ですかね」
「早くお風呂入りてー!」
気が緩んだのか、みんなが軽口を叩き始める。
「そうだね。
いつも通り、大浴場を一時間貸し切りにして
もらっているから―――」
それを聞いた全員の顔がほころぶ。
この下水道を担当する人たちの待遇は、
いろいろと優遇しており、お風呂もその一つ。
さらに今日の分の飲食やお酒は全て、
公都のお店であれば家族含めて無料になるのだ。
もちろん、そのお代はこちらが肩代わりする事に
なっているけど。
「……え?
いやちょっと待ってくださいシンさん!」
不意に一人が私を呼び止める。
「どうしたんですか?」
私が聞き返すと、前方、ゴールである出口を
指差し―――
「あ、あ、アレ……!」
「?」
その先を確認すると……
何やら、光を反射する半透明の物体が
視界に入ってきた。
「スライム?」
「スライムには違いありませんが、
ありゃ『スカベンジャー』と呼ばれる
ヤツです!
腐った肉でも汚物でも何でも食う上、
毒持ちで、もし攻撃を受けたら体が腐るとまで
言われています!」
排泄物まで食べるほどの雑食性―――
それはさぞかし、強力な病原菌のカタマリだろう。
「『スカベンジャー』だって!?」
「ちくしょう、もう少しで仕事が終わるってのに」
よく見ると、まるで入口をふさぐかのように、
水中から顔を出し、あるいは壁に、あるいは
天井に張り付く。
大きさは両手で抱えるほどだろうか。
それが10体以上、待ち構えるようにして
陣取っていた。
「弱点は無いんですか?」
すると、一番近くにいた男が顔を歪ませ、
「……火が効きますがね。
水魔法はほとんど効果が無いかと」
ここは川にたどり着く水場。
水中に潜られでもしたら、火は意味が無い。
「例えシンさんでも、ありゃ相手が悪い」
「ボーアやバイソンと違って、肉が手に入る
わけでもなし―――
構うだけ損ですよ」
獲物としてはハイリスク・ノーリターンだし、
当然の事ながら、誰も戦う事には消極的だ。
「下手に刺激して襲い掛かられるより、
ここは大人しく引き返した方が」
どこからともなく、それに同意するように
ため息が聞こえるが、
「では、全員そこで待機してください」
「はい、じゃあ……って、へ?」
ポカンとする一行を残し、私だけ出口へ向かって
前進する。
そして、『スカベンジャー』とやらとの距離が、
5メートルくらいになった時―――
さすがにあちらさんも気付いたのか、忙しなく
動き始めた。
「結構、早い動きしてますね……」
スライムを見るのは二度目だが―――
あの時は、ドラゴンの脅威から逃れるため、
ゴーレムの隙間に入ろうとしていただけだし。
(40話 はじめての せきざいさがし参照)
実際に、こうして戦闘状態に入るのを見るのは
初めてだ。
でも、スライムを無効化させるのは初めてでは
無いわけで……
後ろの彼らに聞こえないように、
私は小声でつぶやく。
「これだけの大きさで、流動性が高く―――
さらに素早く動く生物など……
・・・・・
あり得ない」
すると、壁と言わず天井と言わず……
スカベンジャースライムはその機動性を失い、
バシャバシャと音を立てて水面に落ちた。
「……え?」
「な、何が起きたの!?」
驚く彼らの方へと振り向き、私は手招きして、
「えーと、まあ……
もう動けなくしたので。
殺す必要は無いですから、流して
しまいましょう。
みなさん、手伝ってください」
言葉の意味がわかるまで時間がかかったのか、
彼らはしばらく茫然としていたが―――
我に返った者から一人、また一人とこちらへ
走って来て、持っている魔導具の杖を
スカベンジャースライムへ向け始めた。