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空の足音が廊下を離れていく。
やがて静かになった。
代わりに、別の足音が、ゆっくりと近づいてくる。重く、慎重な音。
「……陸。起きてんのか?」
声がした。海だ。
陸は返事ができなかった。
焦る気持ちだけが先に立って、喉に詰まったように息が漏れる。
だめだ。返さないと。大丈夫だって言わないと。
けれど、そのまま沈黙が続いた。
しばらくの沈黙ののち、海の声が低く、ため息混じりに言った。
「……開けるぞ」
ガチャ、と扉がゆっくり開いて、海が中に入ってくる。
部屋の薄暗がりの中、ベッドに丸まっている陸の姿が見えた。
「……なにしてんだ、バカ。点呼すっぽかすとか、お前らしくねぇぞ」
苦笑交じりに言いながらも、海の足取りはすぐに止まった。
陸の様子が「ただ寝てる」ものではないと、すぐに気づいたからだ。
「おい、……顔、真っ青じゃねぇか」
ベッドのそばにしゃがみ込んで、海はそっと布団をめくる。
その下で、陸は汗まみれの顔をしかめていた。シャツは濡れ、喉はひくひくと動いている。
「……動けねぇのか」
ゆっくり問うたが、陸はうっすら目を開けるだけで、首を横に振れなかった。
「胃、きてんのか。昨日も何も食ってなかったろ」
低くぼやきながら、海はふと見慣れた症状に思い当たる。
この、寒気と寝汗、吐き気、過敏な動悸――
これはただの風邪じゃない。
見覚えがある。自分も昔、やられたことがある。
「……自律神経、か」
静かに言うと、陸の目がわずかに揺れた。
その目だけが「気づかれた」と言っていた。
「やっぱり、無理してたな、お前」
海は頭を掻いてから、軽くため息をつく。
そして、そっと陸の額に手を当てた。
「……熱は微妙。でも、たぶんこれは中からだ。外からの病気じゃなくて、ちゃんとした”故障”のほうだ」
陸は言葉にならない声で、かすかに「……わりぃ……」とつぶやいた。
「は? なんで謝んだよ」
海の口調が少しだけきつくなる。
「謝る前に、言え。……倒れる前に言え、陸」
その声に、陸の目元が少しだけ濡れた。
でも、声にはならない。身体はまだ動かない。
海は黙って数秒見つめてから、小さく「ったく……」と呟いて立ち上がる。
「いいから、もう寝てろ。祖国には俺から言う。……言い訳してやるよ」
そして部屋を出ようとしたその時――
「……兄貴、……ありがと」
かすれるような声が、背後から届いた。
海は背中を向けたまま、手だけひらりと振ってみせた。
「言葉だけじゃダメだからな。次やったら、さすがにぶん殴る」
それだけ言って、静かに扉を閉じた。