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医者×弁護士 『誰よりも君の味方』~i×f~
Side深澤
俺の名前は深〇〇哉。
医療訴訟と聞くと眉をひそめる弁護士は多いけれど、俺は逆。むしろ、そういう複雑で繊細な案件にやりがいを感じるタイプなんだよね。
人の命に関わる現場は、どんな小さなミスも取り返しがつかない。その緊張感と責任の重さが、俺をこの分野にのめり込ませたんだ。
今は独立して、数件の病院や医療法人と顧問契約を結んでいる。けれど今回の依頼は、これまでの仕事の中でも群を抜いて重たいものだった。
──素の大学病院。
全国的にも有名な大病院で、設備も人材もトップクラス。けれど、先月そこで起きた”ある出来事”が世間をざわつかせていた。
深夜の緊急手術中に患者が急変。数時間後に死亡。
遺族は「医療ミス」と主張し、病院を相手取って訴訟を起こす準備をしている。
病院側の言い分は「不測の事態であり、過失はない」。
けれどマスコミは連日取り上げ、ネットには真偽不明の情報があふれ返っている。こうなると世論も裁判の空気も、病院にとっては不利に傾きやすいんだよね。
俺はその病院の新しい顧問弁護士として雇われることになった。
……正直に言うと、引き受けるかどうか一瞬迷った。
表向きは冷静に対応すればいい案件だけれど、医療事故の真相は、時に”法”と”人の感情”が真っ向からぶつかる。勝ったとしても誰かの心は救えないかもしれない。
それでも俺がこの仕事を断らないのは、依頼してくれた人たちの「助けてほしい」という声を無視できないからなんだよね。
弁護士の役目は、依頼人の権利を守ること。病院が本当に正しいなら、その正しさを法廷で証明する。それだけなんだ。
今、俺は病院の会議室で分厚いカルテと手術記録に囲まれている。
専門用語だらけの記録と、患者家族からの聞き取りメモ、医療スタッフの証言が乱雑に並べられて、頭の中でまだ整理がつかない。
医療は専門外だけれど、だからこそ、曖昧にせず一つ一つ噛み砕いて理解するしかないんだよね。
壁際の時計は、もう夜の九時を回っている。
俺はコーヒーの紙カップを片手に、無意識にため息をついた。
カルテの山に目を通していたら、事務局の職員さんが顔を出した。
「深澤先生、今回の手術を執刀した担当医が記録を持ってきてくれました」
「ありがとうございます、こちらにお願いします」と机の上を片づけながら返事すると、扉がノックされる。
「失礼します」
低く落ち着いた声とともに、背の高い男が会議室に入ってきた。白衣の袖口から覗く手首は骨ばっていて、書類のファイルを持つ動きまでやけに整っている。
顔を上げた瞬間、俺は思わず口を開けたまま固まってしまった。
「……あれ?照?」
相手も一瞬、目を丸くした後でゆっくりと笑みを浮かべる。
「……ふっか?」
その声と顔立ちで、間違えるわけがない。
〇〇照──大学時代、同じゼミで机を並べていた同期。
当時から成績は常にトップクラス。物静かだけれど、発言すると的確で説得力があって、教授も一目置いていた。
背はやたら高くて、学内を歩いているだけでも女子の視線を集めていたし、本人は全く意識していないところもまた腹立たしいぐらい完璧だった。
俺とは性格もノリも真逆だったけれど、ゼミのグループワークでは何度も一緒になって、妙に息が合う瞬間も多かったんだよね。
まさか、そんないつかの同期が、今やこの病院で外科医として働いていて、しかも今回の事故の執刀医だったなんて──。
白衣姿の照は、大学時代よりもずっと大人びていて、優しい標準語の口調と低めの声が妙に耳に残る。
俺の中にあった「昔の照」のイメージと、目の前にいる”医者の照”が、頭の中で重なりきらない。
「えっ、ちょっと……照、ここで何してるの?」
「何って……ここで外科医やってるんだよ。ふっかこそ、弁護士になったんだね」
そう言って差し出された書類の束。
そこには、手術の経緯と詳細がきっちりと記載されていた。几帳面な字、隅々まで揃った資料──ああ、こういうところ、全然変わってないんだよね。
心臓が、ほんの少しだけ早く打ち始めているのを自覚しながら、俺はその書類を受け取った。
「まさか照が執刀医だとはなぁ……本当にびっくりだよ」
俺は書類を机に置いて、半分笑いながらそう言った。
照は肩をすくめて、控えめに笑う。
「俺も驚いたよ。ふっかがこの病院の顧問弁護士になるなんて」
「大学以来だよね?もう何年ぶりかな……」
「八年くらい?」
「うわ、そんなに経つのか。俺、あの時まだ二十代前半だったんだよ。信じられないよね」
ふっと笑い合う空気。
思い返せば、あの頃は同じゼミで机を並べて、レポートの締め切りに追われて夜中まで資料室にこもったこともあった。
「照、徹夜で本読み込んで、朝一の発表でケロッとしてたよなぁ」
「ふっかこそ、あの時寝坊してギリギリに教室飛び込んできたじゃん。俺の資料、勝手に使っただろ?」
「いや、あれは……借りただけだよ」
「借りたら返すのが普通だよ」
「……今も返してないな」
「やっぱり」
口調は穏やかで、突き刺すような言い方はしない。
けれどこの人は昔から、相手の心の内をあっさり見透かすような目をする。
その目に、俺は大学の頃からちょっと弱かったんだよね。
──正直に言うと、当時少しだけ気になっていた時期があった。
もちろんそういう意味で。
理由はよく分からない。勉強できるとか、顔がいいとか、そういう単純なことじゃなくて……なんだろう、あの落ち着いた空気とか、不意に見せる笑顔とか。
でもそれを本人に言うなんて、想像しただけでゾワッとする。
だから今も、こうやって何でもない雑談をしているんだ。
「……そういえば、ゼミ旅行の時、照だけ浴衣着崩さなかったよね」
「俺はそういうの気になるタイプなんだよ」
「真面目だなぁ。俺なんか帯ゆるゆるで先生に怒られたよ」
「覚えてる。あの時、ふっかがこけて、湯飲みひっくり返してた」
「やめてよ、黒歴史なのに」
互いの声が少し柔らかくなる。
それでも──今は仕事の現場。思い出に浸るのはここまでだよね。
俺は手元の書類を改めてめくりながら、努めて冷静に声を出した。
「じゃあ、この内容、改めて確認させてもらうよ」
「うん、何でも聞いて」
何でも、か。
もしそれが仕事のことだけじゃなかったら──なんて、くだらない妄想を振り払って、俺はペンを走らせた。
―――――――――――――――
病院の会議室じゃ、職員の出入りが多すぎて集中できない。
俺は頼み込んで、夜間当直医が使わない片隅の当直室を借りることにした。
六畳ほどの狭い部屋だけれど、机と簡易ベッド、それに蛍光灯の白い光があれば十分なんだよね。
机の上には、患者のカルテ、手術記録、看護師の経過報告、検査データ……分厚い紙の束が山を作っている。
どれも専門用語だらけだけれど、ひとつひとつ目を通して、自分の中で時系列を組み立てていく。
記録が残しているのは事実の断片だけれど、そこから”法廷で通用する物語”を組み立てるのが俺の仕事なんだ。
ペン先を走らせながら、気づけば時間は夜の十一時を回っていた。
背中がガチガチに固まって、伸びをした瞬間──
コン、コン、と軽いノックの音。
「どうぞ」
扉が開き、白衣姿の背の高い男が入ってきた。
片手に紙コップを二つ持って、もう片方には缶のコーヒーのパック。
「……ふっか、こんな時間に何してるの」
呆れたような声色。でもその顔は、完全に責めているわけじゃない。
「いや、ちょっとね。会議室だと落ち着かないから、ここで調べものしてるんだよ」
「調べもの……って、全部見るつもり?」
「当たり前だろ。見落とし一個でもあったら、裁判で即アウトだよ」
照はため息をつきながら、俺の前にコーヒーを置いた。
紙コップから漂う香りに、ほんの少しだけ肩の力が抜ける。
「……ありがとうな。助かるよ」
一口、熱い液体を喉に流し込んでから、俺はファイルを閉じて顔を上げた。
「なぁ、照……今回の手術、どう思う?」
一瞬で空気が変わった。
白衣のポケットに手を突っ込んだまま、照は何も言わない。
視線だけが俺をまっすぐ射抜く。
沈黙。ほんの数秒だけれど、やけに長く感じる。
「……」
答えを待っても、口が開かれない様子に、俺は少し息を吐いた。
「正直に言うとね、この事件……厳しいよ」
その瞬間、当直室の蛍光灯の白い光が、やけに冷たく感じた。
紙の擦れる音も、コーヒーの香りも、急に遠のく。
──これから先、病院も俺たちも、容赦なく追い詰められる。
その覚悟を、互いの顔から探るみたいに、目を逸らさずに見つめ合った。
俺はコーヒーをもう一口飲んでから、紙の束を指先で軽く叩いた。
「……照、はっきり言うけどね、この案件、かなり厳しい」
白衣の胸ポケットに片手を入れたまま、照は静かに頷く。
「理由、聞かせてくれる?」
「まず一つ目。手術記録と経過報告の間に、時間のズレがある。記録上は処置開始が午後十一時なのに、看護師の証言だと十一時十五分だ。十五分の差は、緊急オペだと致命的に突っ込まれるよ」
「……」
照は視線を落とし、黙ったまま聞いている。
「二つ目。患者家族の聞き取りメモ。これは完全に遺族側に有利な内容だよ。『手術前の説明が不十分だった』『予後のリスクを伝えられていない』──これ、証言台で言われたら陪審員の心証は一気に悪化する」
「……」
「三つ目はメディアだ。ネット記事、読んだだろ?あれ、事実じゃない部分まで拡散されてる。今のままだと世論は完全に向こう側だよ。裁判官は影響受けない……と言いたいところだけど、人間だからね、完全には無視できない」
照は唇を引き結び、わずかに息を吐く。
「四つ目──これが一番やっかいだ。術後の検査データの一部が抜けてる。おそらく記録ミスだと思うけど、遺族側の弁護士がこれ見つけたら、”隠蔽”や”改ざん”って騒ぎ立てるよ」
「……」
「最後に、病院内部の空気だ。今回の件、職員同士でも意見が割れてる。証人申請しても、『自分は関係ない』って距離置く人間が多い。味方は……多分、想像以上に少ないよ」
当直室の空気が重く沈んだ。
俺は一気に並べ立てたせいで、呼吸が浅くなっている。
それでも、ここで曖昧な慰めを言うつもりはない。
「……で、結局のところ、この訴訟で、この病院は何が一番欲しいと思う?」
照は一瞬だけ視線を彷徨わせ、それから俺をまっすぐ見る。
「──勝訴」
「その通り」
言葉にした瞬間、互いの間に走ったのは、妙な温度のある沈黙だった。
勝つために、何を差し出す覚悟があるか。
その答えを探るように、俺も照も視線を逸らさなかった。
「もちろん、不利なのは重々分かってる」
静かに落ちる声に、俺は手を止めた。
照は胸ポケットに突っ込んでいた手を抜き、まっすぐこちらを見ている。
「執刀したのは俺だ。俺の判断で、俺の手で……患者は亡くなった。もしかしたら、本当に医療ミスがどこかにあったのかもしれない」
その言葉は、言い訳でも自己弁護でもなく、ただ事実を淡々と述べるようだった。
一切の逃げ道を作らず、責任から目を逸らさない目の色──ああ、こういうところ、昔から変わらないんだよね。
俺は少し息を飲んでから、ゆっくりと口を開く。
「……このままだと、照はこの病院やめなきゃいけなくなるってことだよね」
そう言い切ると、照は何も返さず、ただ俺を見つめ返してきた。
沈黙。
声はない。でも、その視線が全てを物語っている。
無言は、肯定だ。
胸の奥がズン、と重くなる。
けれど同時に、変なスイッチが入った。
「なら……やっぱり、俺が頑張らないとね〜」
わざと少し調子を外した声でそう言って、口角を上げてみせる。
ニコっと笑った瞬間、照の眉がほんのわずか動いた。
安堵か、それとも呆れか──判別はつかないけれど、それでいいんだ。
俺が笑うのは、自分のためじゃなくて、この人に「まだ終わってない」と伝えるためだ。
どんなに不利でも、どんなに証拠が少なくても、この人を簡単に潰させるわけにはいかないんだよね。
机の上に広がるカルテの山をもう一度引き寄せた。
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作者名「木結」(雪だるまアイコン)でご検索ください。
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