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現在の時刻は九時三十分。あと三十分で約束の時間になってしまう。
スマホを取り出して大樹にかけたけど出てくれない。
【今、会社を出た】とメッセージを送ってから走って駅に向かった。
大樹が今どうしているのか分からない。
まだあの人と居る? それとも家に帰ってる途中?
思い出すと胸が痛くて涙が滲んで来るけれど、それでもとにかく大樹に会いたかった。
十時時三十分に、ようやく自宅最寄駅に到着した。
大幅な遅刻に焦り、ホームから駆け足で階段を上る。
息を切らして改札を飛び出した私は、その瞬間、ビクリと足を止め立ち止まった。
視線の先に大樹が居た。いつものブラックコート。ダークグレーのスーツ。
柔らかそうなブラウンの前髪をうるさそうにかき上げていた大樹は、私に気付くと、これ以上無いくらい優しく笑った。
「大樹……」
立ち止まる私に大樹が近付いて来る。
「お帰り花乃」
凄く不安で怖かったのに、大樹はいつもの優しい声で私を迎える。
もう我慢出来なくなって私はポロポロと大粒の涙を零し、大樹にしがみついた。
「大樹!」
「か、花乃?」
慌てた大樹の声が聞こえる。でも涙は止まらないくて、気が済むまで大樹の胸で涙を流した。
気付けばベンチに座っていて、ハンカチで涙を拭いていた。
いつの間にか大樹が私を駅の広場のベンチに連れて来てくれた様だった。
「花乃、大丈夫?」
大樹が心配そうに私の顔を覗きこむ。
その様子はいつもの大樹と何も変わらなくて、さっき見た光景が嘘みたいだ。
ああ、思い出すとまた苦しくなる。
「大樹……あの女の人は誰?」
本当は冷静なときに切り出そうと思っていた。でも大樹の顔を見たら冷静になんてなれなくて、言葉が出てきてしまった。
「女の人?」
大樹は怪訝な顔をする。
「八時頃、大手町で腕組んで歩いてたでしょ? 私見ちゃったんだよ?」
そう言うと大樹はハッとした表情になり、それから苛立たし気に目を細めた。
「花乃、それで泣いたのか?」
大樹は怒っているようだ。私が責める様に言ったから?それとも子供みたいに泣いたから?
でも、仕方ないじゃない。
「大樹とずっと会えなくて寂しかったけど我慢してたのに、イブにあんな綺麗な人と歩いてるなんて……泣けて来ちゃうよ」
「……今までどこに居た? 何してたんだよ?」
「会社で仕事。メッセージ送ったよ?」
そう言うと大樹は拍子抜けした様に、「ああ」と頷いた。
「仕事だったのは分かったけど、どうして直ぐに連絡しなかったんだ?」
「連絡しようなんて思いつかなかった。ショックでどうしていいのか分からなかったし。早く仕事して帰らなくちゃとし
か思えなかった。だって大樹と十時に約束してたでしょ?」
大樹は悔しそうに顔をゆがめる。
「花乃……ごめん。また傷つけて」
「……あの人は誰なの?」
「元同僚。幕張事業所の時一緒だった。彼女はもう退職してるけど」
不安で答えを待つ私に、大樹は悩む事なく言った。
「元同僚? それだけ?」
「それだけ。仲は良かったけど花乃に言い辛い関係になった事はないから」
「でも……それならどうして腕なんて組んでたの? それにプレゼントも上げたんでしょ?」
「プレゼント?」
大樹は怪訝な顔をしたけれど、直ぐに私の言ったことに思い至った様だった。
「あれは腕を組んでたってより勝手にあいつが掴んで来ただけで……でもごめん。俺がちゃんと拒否すればよかった」
「……本当にただの友達なの?」
大樹は私を見つめながら頷いた。
「お互いただの同僚としか見てない。今日会ってたのはちょっと頼みごとをしてたからその件でなんだ」
「頼み事?」
「そう。詳しい事は後で話すけど。心配かけたのは俺が悪かった、本当にごめん」
大樹はとても心苦しそうで、そんな顔を見ているとさっきまでの不安や疑いの心がどんどん小さくなっていき、代わりに大樹への愛しさが胸に広がっていった。
「私こそごめんね。疑ったり泣いたり、子供みたいだよね」
「花乃は悪くないだろ?」
大樹は否定してくれたけど、私は首を横に振った。
「ううん。私がもっとしっかりしてればって思う。大樹の言う通り直ぐに電話して聞けば良かった。もっと上手く振舞えたらいいのに……」
私の言葉に大樹は何かを感じたのか黙り込んでしまった。
それから少しするとベンチから立ち上がり私の手をそっと掴んだ。
「花乃、帰ろう」
「……うん」
手を繋いで夜の道を歩く。大通りのイルミネーションがとても綺麗だ。
こうやって大樹と歩けて良かったな。でも……、
「ケーキを焼こうと思ったんだけど間に合わなかった」
初めて一緒に過ごすクリスマス。ふたりでケーキを食べたいと思って、材料を準備していた。でも今から作ったら出来上がるのは明日になってしまう。残念だけど今年は諦めるしかないか。
「あそこで買おうか?」
大樹は通り沿いのコンビニを指して言う。
そっか……コンビニならまだ置いてあるかも。
「うん!」
大樹は二人で丁度良いくらいの大きさの苺の乗ったショートケーキを買ってくれた。
さっきまで泣いていたのに単純な私はもう気分が弾んでいる。
私の家に着き大樹と一緒に部屋に上がる。
こんな遅くに男の人を連れて来たら普通はお父さんとお母さんが小言を言いそうなものだけど、お気に入りの大樹はむしろ歓迎されていた。
私の部屋の小さなテーブルの上にケーキを置いて蝋燭をつけて部屋の電気を消す。
ゆらゆらと揺れる蝋燭の炎を見るとクリスマスイブだって気分が一層高まる。
時刻は十一時三十分。
「大樹、メリークリスマス。ぎりぎりだけど間に合ったね」
隣に座る大樹が優しく微笑み、小さな包みを差し出してきた。
「大樹、これって……」
「クリスマスプレゼント」
「ありがとう!」
「開けてみて」
大樹に言われ、私は慎重に綺麗で繊細な包装を取って行く。
小さな正方形の箱が現れ、その箱の蓋を開けると中には、小さな雪の結晶をモチーフとしたネックレスが入っていた。
「……可愛い」
可愛らしい雪の結晶。でもプラチナの輝きは高貴で子供っぽくは見えないし、私の好みぴったりだ。
「大樹……ありがとう」
感動に浸りながら、視線をネックレスから大樹に移す。
大樹は嬉しそうに微笑んでいた。
「雪の結晶が綺麗で好きだって昔から言ってただろ? クリスマスプレゼントに贈ろうって決めたんだけどなかなかイメージに合うものが見つからなくて、結局作って貰った」
「え? じゃあこれってオーダーメイドなの?」
大樹がくれた世界に一つだけのネックレスなの?
「そう。今日花乃が俺と一緒に居るのを見た相手はそのネックレスをオーダーした店で働いてるんだ。今日に間に合う様に作ってくれって彼女に強引に頼んだんだ」
そう説明されてハッとした。そう言えば大樹が手に持っていた手提げって……小箱に描かれているブランド名を確認する。
やっぱりあの手提げ袋と同じところだ。
「今日はあの人からこれを受け取ってたの?」
「そう。本当にぎりぎりで間に合うかひやひやした」
手の中のネックレスに視線を落とす。
キラキラと輝く私だけのネックレス。
「大樹……ありがとう。私嬉しい」
「花乃……」
「それなのに私疑う様な言い方してごめんね。大樹は私の事考えてくれてたのに……」
大樹は口を開きかけたけど、何かに気付いた様で立ち上がり窓辺に行くと腕を伸ばしカーテンを開いた。
「あっ!」
私も立ち上がり窓辺により空を見上げる。
雪が降っていた。
白い羽の様なそれは、ひらひらと夜の闇の中を踊っている。
すごく綺麗だ。
「ホワイトクリスマスだね」
「ああ」
大樹が窓の外から隣に立つ私に視線を移した。
「子供の頃……まだ俺と花乃が仲良かった頃、クリスマスの約束したの覚えてる?」
「え? 約束?」
私は首を傾げた。記憶を探るけど思い出せない。
「なんだっけ?」
ちょっと気まずく感じながらも正直に言うと、大樹は苦笑いになった。
「やっぱり忘れてた……大きくなったら花乃の部屋で一緒にイブを過ごそうって約束したんだよ」
私の部屋で?
「……そっか、思い出した」
何歳の頃の事か忘れたけれど、幼かった私はサンタにどうしても会いたくて、大樹を誘った。
私の部屋で起きてサンタを見ようって。でも子供が夜中まで起きてるなんて出来なくて、大人になったらって二人で約束したんだった。
その後そんな約束はすっかり忘れたまま険悪になってしまったのだけれど。
「だから今日私の部屋で過ごそうって言ったの?」
「そう。花乃との約束を果たしたくて」
そんな遠い昔の子供の約束。私なんて忘れちゃってたのに。でも……。
「ありがとう大樹」
私との思い出を忘れないでいてくれて。
ずっと想ってくれていて。
だから私は今、こんなに幸せな気持ちでいられる。
「……俺は花乃が花乃らしくしていてくれたら一番嬉しい」
「え?」
「だから慣れてないとか上手く振舞えないとかもう気にしないで。少しでも不安なことが有ったら俺に言って。一人で悩んだりしないで、花乃にはいつでも笑顔で居て欲しいんだ」
大樹は切なそうに言う。それは私の心にも伝わって来て、幸せな涙となって頬を伝っていく。
私は私のままでいいんだ。
大樹の前なら顔が赤くなっちゃっても、恋愛に慣れてなくてもそれでいいんだ。
私は大樹に頷いてから言う。
「大樹が一緒に居てくれたら私は笑顔でいられるよ」
「花乃……」
大樹の手が私の頬にそっと触れる。
切なそうな目をした大樹は、そのまま私に顔を近づけて来て、ひんやりとした唇をそっと重ねた。
私は突然のことにビクリと身体を震わせ大きく目を見開いて……多分真っ赤になった顔で大樹を見つめる。
「花乃、愛してる」
大樹はそう囁くと今度は私の身体を強く抱き締めて、一度目よりずっと激しいキスをした。
それから先のことは記憶も曖昧。
ファーストキスの私にはあまりに刺激が強すぎて、頭が真白になって身体の力が抜けて、大樹に抱きとめてもらってないと倒れてしまう程だった。
「ごめん、夢中になりすぎた」
大樹はそう言いながら私をラグの上に座らせる。
顔も身体もカアッと熱くなった私は、大樹にもたれながら時計の針が十二時を指すのをボンヤリ見つめていた。