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夜の街に、やわらかい風が流れていた。
高校二年の春、僕は何かを変えたくて、あてもなく駅前のライブハウスに足を運んだ。
普段なら絶対に入らない場所だったけれど、その日はなぜか、ドアの向こうから聞こえる音に引き寄せられた。
重たい扉を開けると、光と音が一気に押し寄せる。
ステージの上には三人組のバンド。
観客のざわめきの中で、ボーカルの声がすっと空気を切り裂いた。
その瞬間、時間が止まった気がした。
歌詞はまるで、僕の中にずっと溜まっていた言葉を代わりに叫んでくれているみたいだった。
うまくいかないこと、誰にも言えなかった不安、自分でも気づかないふりをしていた弱さ。
全部、見透かされたみたいだった。
でも、不思議と嫌じゃなかった。
むしろ、少しだけ救われた気がした。
ライブが終わる頃には、僕は最初とは別人みたいに汗だくで、声が枯れるほど叫んでいた。
知らない人たちと肩をぶつけながら、同じリズムで跳ねていた。
外に出ると、さっきまでの音が嘘みたいに静かだった。
だけど、胸の奥ではまだ音が鳴り続けている。
帰り道、スマホでさっきのバンドの名前を調べた。
「Mrs. GREEN APPLE」
その文字を見た瞬間、さっきの光景が鮮明に蘇る。
僕はその場で、彼らの曲をいくつか再生した。
イヤホンから流れてくる音は、ライブとはまた違って、それでも確かに同じ熱を持っていた。
次の日から、僕の生活は少しずつ変わっていった。
朝、学校に向かう電車の中で曲を聴くようになった。
意味なんてちゃんと分からないはずの英単語や難しい言い回しも、不思議と心に残った。
放課後、ギターを触ってみたくなって、古い楽器屋に入った。
店主のおじさんに笑われながら、安いアコースティックギターを一本買った。
指先はすぐに痛くなったし、コードもまともに押さえられなかった。
それでも、やめようとは思わなかった。
ある日、クラスメイトの佐藤に「最近なんか変わった?」と聞かれた。
「ちょっと音楽、始めてみたんだ」
そう答えると、佐藤は少し驚いた顔をしてから、「いいじゃん」と笑った。
その一言が、やけに嬉しかった。
夏が近づく頃、僕はもう一度あのライブハウスに行った。
今度は一人じゃなかった。
佐藤も一緒だった。
またあの三人がステージに現れる。
同じはずなのに、前よりもずっと近くに感じた。
曲が始まる。
今度はただ圧倒されるだけじゃなかった。
僕は知っている。この曲を、この声を、この気持ちを。
そして思った。
いつか、自分も誰かの心をこんなふうに揺らせるだろうか、と。
ライブの帰り道、夜風に吹かれながら、佐藤が言った。
「お前、いつかステージ立つんじゃね?」
冗談みたいな言い方だったけど、僕は少しだけ真面目に答えた。
「…立てたらいいな」
空を見上げると、街の光に負けそうになりながらも、星がひとつだけ見えた。
小さくても、確かにそこにある光。
あの日、扉を開けた自分の選択は、きっと間違っていなかった。
胸の奥で鳴り続ける音は、まだ止まらない。
そして僕は歩き出す。
いつか、自分の音を見つけるために。