テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
──今なら、もう少しだけ踏み込めるかもしれない。
side Riva
少し沈黙が落ち、グラスの氷がカランと鳴った。その音に混じって、彼が小さく息を吸うのがわかる。
──あ、何か聞かれる。
「そういえば……リヴァさん、この前“人生の夏休み”って言ってたよね」
胸の奥がひやりとする。
冗談のつもりだったのに、ちゃんと覚えてたんだ……。
「……覚えてたんですね」
「うん。気になってたから」
目を見られるのが、少しだけ苦しい。
それでも、言葉を濁すのはもっと嫌だった。
「……あれは、半分冗談、半分ほんとです」
「半分ほんと、って?」
「いろんなことが重なって……少し休みたくなっただけです」
声は軽く出したつもりなのに、奥の方に沈んでいるものまでは隠せなかった。
彼がそれ以上聞いてこないのを感じて、ほんの少しだけ、ほっとした。
side mtk
「……あれは、半分冗談、半分ほんとです」
「半分ほんと、って?」
「いろんなことが重なって……少し休みたくなっただけです」
笑っているように見えるのに、その奥に小さく影が差している。
僕は、その影の正体を今すぐ知ろうとは思わなかった。
代わりに、ずっと気になっていたことを切り出す。
「……そういえばさ、リヴァさんの本当の名前って聞いてなかったよね」
彼女の指がストローの先をゆっくりなぞる。
「……え、今ですか?」
「今、知りたい。だめかな」
真正面から見える柔らかな黒髪が、肩に沿ってさらりと揺れる。
少しだけ息を呑んだあと、彼女は小さく笑った。
「……なら、特別に教えちゃいます」
伏せられていた瞳が、まっすぐこちらを見る。
その視線に、胸の奥がかすかに跳ねた。
「……澪。柊 澪(ひいらぎ みお)です」
「……澪ちゃん」
試しに口にすると、彼女は頬を真っ赤にして視線を落とす。
「……変な感じです」
そう言う声は、ほんの少しだけ、嬉しそうだった。
side mio
「……澪。柊 澪(ひいらぎ みお)です」
「……澪ちゃん」
私の名前を呼ぶ彼の目は、まるで宝物を見つめるみたいに優しかった。
すぐに恥ずかしさがこみ上げてきて、私は慌てて「……変な感じです」と言葉を紡ぐ。
声は小さく、けれどその胸の奥には、じんわりと熱が灯っていた。
そのあと、いつものように映画やゲームの話、他愛のないやりとりで笑い合う。
グラスの氷がゆっくりと溶け、静かな時間が二人の間を流れていく。
ふと、気づいてしまう。
この時間にも、終わりが来てしまうこと。
そして、もし彼が私の素性を知ってしまったら、もう二度と会えなくなるかもしれないということ。
胸の奥がきゅっと締めつけられ、思わず口から零れた。
「また……会って、お話ししてくれますか?」
短い沈黙のあと、彼は柔らかく笑った。
「……僕も、また会いたいと思ってる」
その声は、今日いちばん優しくて、温かかった。
その余韻の中で、二人とも言葉を継がず、ただ静かに時間が流れる。
ふと店員がノックをして、閉店の案内を告げた。
彼と目が合うと、同じ気持ちが透けて見えるようで、胸が締めつけられた。
「……行きましょうか」
「うん」
席を立つと、机の向こう側だった彼が、隣に並ぶ距離へと近づいてくる。
ドアを押さえてくれたその手の温もりが、背中に残った。
外は、昼の蒸し暑さとは違い、涼しい風が吹いていた。
駅までの道を歩きながら、途切れ途切れに言葉を交わす。
けれど、互いに別れを惜しむ気持ちが、沈黙の奥に重なっているのがわかった。
改札の前で、自然と足が止まる。
自然と向かい合わせになる。
「今日は……本当に、ありがとうございました」
「こちらこそだよ。…気をつけてね、澪ちゃん」
「また…連絡します。…おやすみなさい。」
軽く手を振る彼の横顔を、私は目に焼きつけるように見つめた。
そして、振り返る勇気がないま ま、改札を抜けた。
side mtk
改札を抜ける彼女の背中を、しばらく目で追っていた。
振り返ることはないとわかっていても、
それでも、もし一瞬だけでも振り向いてくれたらと願ってしまう。
やがて人の流れに紛れて、黒髪の姿は見えなくなった。
胸の奥にぽつりと穴が空くような感覚と、
それを埋めるように残る、今日の笑顔と声の温もり。
──また会える。
根拠はないけれど、不思議とそう信じられた。