テラーノベル
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眠気に誘われるまま、ベッドに沈み込む。枕に頬が触れた瞬間、昨日の笑顔がふわりと浮かび、気づけば眠りに落ちていた。
――よく眠れた。こんな朝は久しぶりだ。
新曲のレコーディングのため、午前中にスタジオへ向かう。
ドアを開けた瞬間、若井がにやりと笑い、涼ちゃんが首を傾げる。
「おい元貴、今日…顔つき、優しすぎない?」
「なんか…いいことあった?」
苦笑いしつつ、昨日ちゃんと会って話ができたことを話す。
「で?可愛かったの?その子」
若井が妬ましそうに茶化す。
「……なんというか、触ったら壊れそうな感じ」
「なにそれ、惚れた?惚気だ?」
若井がさらに食いつくと、涼ちゃんが少し目を細め、まるで全部知っているみたいに微笑む。
「…その人、元貴って気づいてたの?」
「指摘はされなかった…」
「そっか。じゃあ安心してもいいけど…まだお互いのこと、ゆっくりでいいんじゃない?」
諭すというより、守るような優しさがその声ににじんでいた。
横から若井が茶々を入れる。
「まあまあ、でも元貴〜、沼るなよ〜?」
「沼ってねぇし!」
即座に反論すると、二人は顔を見合わせて笑った。
side mio
いつもよりぐっすり眠れた気がする。
気づけば、お昼前。体が軽い 。
まるで魔法でもかかったみたいに。
昨日の彼の澄んだ瞳が、ふと浮かんだ。
──あの頃の記憶がよみがえる。
私が高校生の頃、偶然ライブハウスで見た彼は、昨日と同じ目をしていた。
真っ直ぐで、強くて、それでいて優しい光を湛えていて。
力強く歌うその姿に心を奪われて、「私もああなりたい」と強く思った。
でも、そうはなれなかった。
私はうまくいかず、すべてを投げ出した。
それでも、彼は夢を追い続けて、ちゃんとつかんだ。
──私も、ああなりたかった。
今からでも、遅くないのかな。
部屋着からラフな服に着替え、顔を洗い、水を一口飲む。
やるしかない。いまなら、できるかもしれない。
PCの電源を入れ、配信ソフトを開く。
震える指先を見つめながら、配信開始のボタンを押した。
「お久しぶりです。…リヴァです。
一ヶ月ほど、配信できなくてごめんなさい。
今日は突然なんですけど、久しぶりに歌いたいと思います。
私ね、本当は歌手になりたかったの。
そう強く思うきっかけになった曲を、今日は歌わせてください。」
ギターに手をかける。弾かなくても、手入れだけは欠かさなかった。
チューニングを合わせていると、平日の昼間にもかかわらず、どんどん視聴者が増えていく。
コメント欄がにぎわう。
「リヴァちゃん何歌うの?」
「リヴァ〜〜!キターーー!!」
チューニングが合ったところで、カメラをオンにする。
顔は映さない。ギターと手元だけが見えるアングルに設定した。
コメントがさらに湧く。
「えっ、初手元配信?!」
「これはレア…!」
「聴いてください──WaLL FloWeR」
大きく息を吸う。ギターの弦をそっとはじく。
♩〜傷は癒え 明日に期待をしてみても
生まれ持った 呪いがさ
解けてしまったら 私じゃないから…
歌い始めた瞬間、コメント欄が一斉に静まり返った。
スクロールが止まり、ただ音だけが画面を満たす。
最後の音が消えたとき、急に現実が押し寄せるように涙が溢れた。
視界が滲む中、コメントが一気に流れ出す。
「泣いた…」
「やっぱりリヴァちゃんの声最高」
「泣かないで〜」
「鳥肌立った」
「今日は…ありがとう。またね」
マイクに向かってそう言って、配信を切った。
静かな部屋に、自分の息づかいと、まだ熱を帯びた指先の感覚だけが残る。
そして、どうしようもなく涙が溢れた。
――会いたい。今すぐ、あの人に会いたい。
でも、会ってしまったら、きっともう止まれなくなる。
彼は私にとって、ずっと遠くで輝く存在だ。
私なんかが踏み込めば、その光に焼かれて、全部が壊れてしまう気がする。
だから、近づきすぎちゃいけない。
わかってるのに――胸が、苦しい。
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